08/14/23:40――五木忍・届かない謝罪

 屋敷の中に入り込んで謁見の間と呼ばれる広間に到着した五木忍は、一度納刀してから袖で額の汗を拭い、深呼吸を一度、二度と行った。

「幾度、その刀を振るったのかは知らぬが」

 まだ若い、しかし青年と呼ぶには老いた男が右の膝を立て、左手で刀を掴み立てて支えとし、その仕草を見ながらも口を開く。

「配置されていた式神のおよそ六十は切ったか――愚直にも、五木一透流と呼ばれる呪力斬断で。――愚かしいものだ。それしか手法を持たぬとはいえ――代償に、斬ったもの相応の呪力を自ら消費しなくてはならぬ。疲労し弱った主が今更何をしようと?」

「――全てに、終わりを告げてみせましょう」

 忍は言う。

「稲森家が当主、芯殿――否、我が父、五木いつきしん

 刃の下に心在り、故に我、心を亡とせずただ刃を押し上げる。

対するは草の下に心あり、故に彼、踏まれながらして草の如き強き心を生命力とす。

「毎年に行われる布陣の儀」ゆっくりと、威圧を与えながら芯は立ち上がる。「そして九年毎に行われる代替わりの儀。今宵は九年目――俺の代わりに、舞枝為が当主と成り、一ノ瀬が土地を強める役目だったが」

「もう、成ることはございません」

「いいや――そうでもない。舞枝為まえなの代わりにお前が行えばな」

「そうだとしても」

 忍は心に任せて刃を押す。――刀を抜く。

「――それはこれまでの仕組みを、貴方を殺すことで壊してから私が判断することです」

「ッたく……そのせっかちな性格、誰に似た」

 威厳も何とやら、相好を崩して苦虫を噛み潰したような顔をした芯は禿頭を掻いた。

「いや違うな。昔ッからお前は頭の回転が早かったか……まァ、お前なら一人でもできるか。苦肉の策だな」

「そのような簡単な言葉で済ませていただきたくはない」

「いいや、苦肉の策だ。かつて俺があいつを――お前の母を犠牲にしたように、一ノ瀬の者の助力を請うたようにな」

「――否。最早、問答は無用」

「そうか」

 瞬間、踏み込みによって畳が強く叩かれる。足が打つのは中央、切っ先は最短の軌跡を描く突き、狙うは喉――その一刹那の行動に対し、芯は踏み込みの畳の縁を足の親指で叩く。

「っと」

 ほんの僅かな重心の動き、予期しなかった動作への修正動作を行うか否か――それは時間が短ければ短いほど選択が難しくなり、今の忍のように多くは修正しない。しなければ動作のどこかにぎこちなさが混ざり、それは。

 それは小さじ一杯の誤差だけれど、自分よりも熟練者を相手にした場合は致命的でもあった。

 最適でかつ、最短に対する最長の位置取りで半身を滑り込ませた芯は忍の左腕を捻り上げながら畳みに叩きつけ、その背中を右足で踏みつけることで拘束した。

 丁寧な作業ではない、乱暴で乱雑なそれのため、忍の腕は折れたかもしれないし踏みつけによって内臓が傷ついたかもしれない。

 そんなものを芯が気にするはずもないが。

「――お前、誰が刀を教えてやったかってのを忘れてないだろうな」

「くッ――!」

「どうして、今まで待つ必要があった? 盆まで、今日まで待つ必要なんざなかっただろうに。式神をあっさり倒せる実力と、俺を殺す覚悟ができるお前は、決行なんぞいつだってできただろう」

 忍は奥歯を噛み締め、決して離すまいと右手の刀を意識しながらも答えない。

「――は、なるほどお前らしい。全てを消す覚悟をしながらも、一日でも長くの刻を生かせてやりたいと思ったわけだ。――偽善、いや偽悪だな」

 背中への圧力が増し、顔が畳みにぶつかった。

「ならわかっているだろう。この儀を失くせば、草去すらなくなり――そして、九尾の結界は破綻する。お前の覚悟は、どこまでの覚悟だ」

 そんなことはわかっていた。

 深い理由の如何はともかくも、結果的に草去更という器は九尾を封じるためのものだ。その副次的な要因として、人という模造品を作り上げ永遠に近い刻を、ただ同じ刻を生きるためだけの模造品を、外部からの干渉に対して利用した。だから稲森を、芯を、結界の頭とされるここが陥落すれば――結果が、つまり九尾の封が解ける。

「――した」

 忍は言う。――いや、叫ぶ。

「それがどうした……!」

 全身に力を入れるが動かない。背中を踏まれて左腕を取られているだけなのに、右腕も足も動かない。

「犠牲? 破綻? ――そんなものより私には二人を失う方が重い!」

「はっ、それはお前が惰弱なだけだ」

「そうだ、私は弱い。弱く、惨めだ――ああそうだとも。貴方のように愛する者を失って尚、生き続けることなどできないほどに私は弱い。だから――」

「だから、……どうした」

「だから」

 忍の躰を中心として、緑の術式紋様が展開した。

「――二人を助け、私が失われる覚悟をしたのだ!」

「む……!」

 芯の足が、忍もろとも畳を踏み抜いた。その力加減を見誤る芯ではない、術式によって踏み込みの力を強化させられたのだろう。

 拘束から逃れた忍は荒い呼吸のまま、破壊された畳を中央に置いて対峙する。

 痛みがあった。鈍い痛みは左の足首と右の肩、そして腹部のやや上にある。鋭い痛みは耳と太股――ああ、だがそんなもの。

それらを認識の外に置き――やはり、構えは正眼だった。

「私の弱さは――貴方の弱さとは、違う!」

 吼える、いや吠える。痛みを振り払うように、その先にあるものを得るために。

「無様なお前が何を言う。ずっと前に覚悟した俺と、今ようやく覚悟を抱き動いたお前とでは、結果が示す通り――俺にお前が敵うことは、ない」

 馬鹿を言え、と誰かは思った。それもまた違う覚悟なのよな、と。

 覚悟は事前にしておくもので、するのを回避しなくてはならない。その上でもし覚悟をしてしまったのならば――後になって覚悟した者の方が強いに決まっている。先に覚悟をしたのならば、それは達成された後の絞り滓が残っているだけなのだと、彼は思った。

 たとえば彼の覚悟は、己が見えない可能性がきた時に自身が致命的な隙を見せてしまう、というものだ。動揺も、失敗も、それがどれほど継続するかは知らないが――どうしたって致命的になってしまう。

 だから彼は覚悟している。その瞬間に己が驚いて隙を見せてしまう覚悟だ。それを持つことで、少しでもその時を穏やかに迎えたいと思っていて。

 その意志は、言葉にしなければ伝わらない。だが気に入らない。癪だったし憎悪すら浮かぶ。否だ、それならば先の忍の言葉にこそ怒ってやらなくては――クソッタレが。

 だが、その感情の機微を敏感に察した者がいた――芯だ。武術家としての経験がその気配を察し、第三者の介入を今まで気付かなかったことも含めて意識を大幅に逸らした。

――隙。

 その一瞬を、忍が見逃すわけがない。

 忍にはそれが隙にしか見えなかった。何が、どうなってそれが発生したのかを探るよりも早く、強くではなく間合いに滑り込むように右足が畳を噛み、芯の意識が引き戻される時遅く――既に、勝敗は決した。

 右下に下がった刀が持ち変えられ、手首を返すようにして足元から首を斜めに横断するよう真上へと引き上げられる。切り下げる――のではなく、手前に引っ張るよう切り上げるその斬戟は、白色の軌跡を描くようにして美しく、綺麗に、音もなく頭上を通過した。

 ほうと、誰かの吐息が静謐に漏れた。

「――そうだ。それで、良い」

 芯は言う。

「俺は結局、あの時に五木芯から〝稲森〟へと変わった――だからお前の父親は、九年前に死んでいた」

「はい。……お勤めご苦労様です、父上」

「ああ」

 ぐらりと、躰が倒れる。綺麗に、美しく、澱みなく物理的に首を撥ねたのにも関わらず、芯は笑った。

「大きくなったな忍。舞枝為も、大きくなったもんだなあ――」

 躰が畳みに落ちる音を背後で聞きながらも、忍は抜き身の刀を持ったまま上座を乗り越えた裏にある襖を勢い良く蹴破ると、奥間にいた彼女へと走って近づいた。

「二ノ葉!」

 呼んだ瞬間、忍は咳き込んで出た血液を吐き出した。ぜぃ、と鳴る喉が煩わしいのにも関わらず、血液ではない得体の知れぬ何かが胃を逆流してくる――呑み込む、青白い顔のまま奥歯を食いしばって吐くのを止める。

 全身を弛緩させ、襦袢姿の少女は力なく瞳を瞑ったまま壁に寄りかかっていた。

 既に抜刀している刀を正眼に構えようとして、両手が震えていることに気付く。切っ先が定まらず、その先に少女の姿を見通すことができない。

「――はっ、は」

 呼吸が乱れるのはいつぶりだろうか。瞑目して作業を思い浮かべ、いや、思い込ませる。危険はない、ただいつものように刀を振るだけでいい。落ち着け、乱れるな――。

 理屈として、頭の中で工程を理解することはできる。だが、それでも震えは収まらない。

 ――ああ、そうですね。

 重い吐息が落ちる。

 ――私は初めて、人を、この手にかけ、殺したのだ。

 震えるがままに腕を上げ、その肩口付近を五木一透流で切断した忍は重たい刀を持ち上げ、幾度も失敗しながら納刀を済ませた。

 犠牲となる一ノ瀬二ノ葉の役割は草去という土地に呪力を送ること――この場合は山頂から下へと水を送ることにある。おそらく十五日を迎えた瞬間に終わるタイミングだったのだろう、肉体は活動しているし呪力も自然回復可能な領域ぎりぎりを保っていた。

 胸を、撫で下ろす。

 ああ――良かったと、助かったことに涙さえ出そうになった。

「……二ノ葉、すみません。約束を違えることになりそうです」

 今までありがとうと、感謝を残して忍は立ち上がった。

 今この時まで引き伸ばしたのには理由がある。確かに日中、あるいは早朝に襲撃を行うことは可能だったけれど、忍はこのぎりぎり間に合うか否かの時期を見計らって実行に移した。それは。

 それは、草去更を維持するために必要な措置が、この機会にしかできないからだ。その点において、果たして芯は見抜いていたのだろうか。

 五木が稲森へ――木気を持つ人間が金気へと変換する、そこに結界を保つ因子があると忍は読んでいた。どのような方法かは予想しかできなかったが、自我を失うほどの衝撃を伴う作業であることは想像に容易い。

 それは、肉体の内部をそのまま作りかえるような作業にひどく似ているだろうから。

 属性を変えるなどと――聞いたこともないそれを可能とするのは、芯が一度も抜こうとしなかった刀にあるはずだ。

 覚悟を、決めたのだ。やり遂げよう。寄り添って生きようと、二ノ葉と約束した言葉を振り払って。

 腰から刀を鞘ごと抜き、そっと二ノ葉の傍に置く。名刀だから存在するだけで護符の役割は担ってくれるだろう――そうして、先ほどの部屋に戻り芯の遺体を。

「……」

 直視する。した上で、一度頭を下げた。これはもう遺体だ、鼓動もなく身動きすることはありえない――それでも、一礼をしたかった。己が殺したのだから、そのくらいの礼儀は行っても良いはずだと、そう思って。

 そして彼の腰にある刀に手を伸ばし、ゆっくりと鞘ごと引き抜く。鞘はある意味での封だ、これを抜けばおそらく――。

 金気を持つ稲森、木気を持つ五木。五木は居付き、森を否定するため稲森になる。これこそ負の連鎖か。

 ――けれど私が最後です。

 今は九尾を封じ続ける他の方法を忍は持たない。これからどうなるかはわからないが、それでも、九尾の封を外すことだけは――。

 手を、伸ばす。その柄に。震えている。怖さではなく拒絶がそうさせる。

 触れる――触れようとする、刹那。

 忍は、腹部横に強い力を受けて吹っ飛んだ。


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