06/12/13:20――嵯峨公人・魔術と魔法

「夕方からは雨のようだ。公人きみひとくん、傘はあるかな」

 馴染みの喫茶店、SnowLightに午後から学校そのものをサボって顔を出すと、客もそういなかったためカウンターに座った途端、店主の一夜いちやにそんな声をかけられた。

 愛知県野雨のざめ市に学校はあるけれど、公人の住んでいる場所は駅二つぶんの場所にある。都会、いや東京では駅二つなど大したことはないのだが、この付近では三十分ほどの移動時間を要するため、公人は中継地点に使うかのようにこの喫茶店によく顔を出していた。とはいえまだ去年からなので馴染みと言うほどではないのだが、一夜の子供が公人と同い年であるためか、よくこうして話しかけられる。

 公人としても使わせてもらっているし、正規の料金も支払ってはいるがそれ以上の好意を受け取っており、何よりも一夜の人柄を気に入っていることもあって、話しかけられることを面倒だとは思わなかった。つまり、良好な関係だ。

「いやないな。ないけど、何とかなるだろ。というか雨なのか……」

 確かにくる途中で雲が出てきたな、とは思っていたが、雨が降るとまでは思わなかった。屋上で出逢ったネイムレスも授業一つをサボっただけで姿を消したし、特に何も考えずに出てきたのだが。

「天気予報は見ないのかな」

「俺、自宅にいる時にテレビとか点けねえから。端末も動かさないしな」

「いつも研究を?」

 一夜は既に公人が魔術師であることを知っているため、誤魔化す必要はない。言い方は妙だが親代わり、そうでなくともまるで親戚のように気にかけてくれている。公人としては小学四年頃から既に独り暮らしだったため、もう慣れているのだけれど、こうした気遣いが反面、嬉しくもあるのだ。

「それもあるけど、入学祝いにステレオ? でいいのか、あれを買ってみたんだよ。最近はもっぱら音楽を聞いてる」

「それは聞いていなかったな。どういう代物かな?」

「同軸の……なんだったか。アンプ? はソリッドステイトで、適当に揃えた。悪い、あんま知識ねえんだよ。ただ音が良いってのはわかるぜ」

「なるほど。同軸2Wayの辺りかな……トランジスタで揃えたとなると、そうだな」

 金額を言われたので、そのくらいだと言ってから公人は思い出して首を横に振った。

「いやいやいや、芹沢のお手製だあれ」

「特注?」

「というか、適当に頼んだだけで俺から指示したわけじゃねえから。芹沢の富桑ふそうかなめって女の作りでな、何度かうちに来てセッティングやら何やら、視聴もしてったな」

「ふうん……うらやましいね」

「なんだ、一夜さんは詳しいのか?」

「昔はよく聞いていたよ。今はそれほど店舗もないけれど、昔は電気屋に行けば必ずディスプレイに飾ってあったものだ。俺が持っているのは小型だけれど現役で今でも自宅で鳴らしている」

「へえ……どんな曲を聴くんだ?」

「俺はジャズがほとんどかな。後は古いボーカル曲もたまに。公人くんは?」

「クラシック。ピアノとオーケストラばっかだ。ワーグナー辺りは苦手だけどな」

「そちらは、あまり知らないから何とも言えないけれど」

「今はそれなりに楽しめてるから、飽きてきたら相談するぜ。それよか、――暇そうじゃないか」

「ランチタイムが終わった頃だよ。うちの店はマダムが集まるような感じではないから。おっと、とはいえ話し相手になってくれる必要はないよ」

「そりゃわかってる。つーか、この時間にいる俺に対しては何もなしかよ」

「うん? ――ああ、学業かな。さすがに僕は親でもなし、野暮なことは言わないよ。ただ……うん、いい機会だから聞いてみるけれど、そんなに退屈かな?」

「学業か? いや……どうなんだろうな実際に。俺だって中学校教育課程を頭に入れてる、なんてことはないし、たまに出席すりゃ授業に追いつけるかどうか考え込むこともあるぜ」

「それでもサボタージュはしているだろう?」

「まあ……毎日顔を出すのもアレかなと思って。俺のしたい勉強は別にある、なんて言えればいいけど、言い訳臭いな」

「上手くやっていけているのなら、俺が心配することじゃないね。昼食はまだだろう? ランチの残りでいいなら出すよ」

「おう、頼む。あ、いや、客を先に――」

 カラン、と出入り口の音がしたので小さく背後を見た公人は、黒のスーツをきっちり着た男性だ、と確認だけしておく。サラリーマン……時間に拘束されない会社か、あるいはローテーションを組んで休憩をするタイプ、あるいは営業の外回りの類か。いやしかし、スーツケースは持っていなかった気がする――そう思ってもう一度確認しようとしたら、その人物は隣に腰を下ろした。

「ただいま。とりあえずブレンドをください」

 何を言っているんだと、いやそもそも隣に座るなら一声かけるか、一つか二つくらい席を空けるのが礼儀だろうと思って無遠慮な視線を向けると、やあと軽く挨拶された。

「――あ?」

「お久しぶりですね公人」

「あー……狼牙かよ。なんつー恰好してんだ、お前は」

 年齢は同じか、あるいは一つ下だったか。一夜の息子で――実際に血は繋がっていない――箕鶴来みつるぎ狼牙ろうが、という男がそこにいた。

「これが私の普段着ですが?」

「いや前に見た時はラフな洋服だっただろ。あーそういえばそっちの学校は服装が自由だっけな」

「自由とは選択を与えることですが――規律の中にこそ発生するものです」

「なるほど? つまりお前も今日は学校に行ってねえってことか」

「いいえ、そうではありません」

「……今日も、だからね。狼牙、教育費を稼ぐのは勝手だと以前に言ったけれど、義務教育くらいはきちんと受けたらどうなんだ」

「姉さんが私の代わりに勤しんでいますよ。その辺りは父さんに拾われた頃にきちんと話したはずだけれど、言葉だけはきちんと受け取っておきます。父さんの言葉はたまに聞くとためになる」

「やれやれ……じゃあ公人くん、狼牙の話し相手は任せるよ」

「逆だろそれは……ま、いい。随分と久しぶりだしな」

「といっても半年くらいなものでしょう」

 放浪癖がある――というか、そもそもここで知り合った間柄であって友人ですらない関係なのだから、たまに立ち寄るだけの公人が狼牙と遭遇する確率は極めて低い。それでもこうして顔を合わせれば適度に会話はするので、親しくないと言えば嘘になる。

 そして何より、公人にとって狼牙は――数少ない、同類とは似て非なる人物なのだ。

「――? おかしな縁を築いたようですね。入ってきた時に公人だと一瞬わからなかったのは、やはりその辺りでしょうか」

「……ちと、いいか。席を移そうぜ」

「構いませんよ」

 カウンターから奥のテーブル席へ移動する。特に死角になっているわけでもないのだが、あまり人に聞かれたくない――そう、魔術関係の話をする場合、基本的にはここへ移動するのがいつもだった。とはいえ、狼牙としか話したことはないけれど。

 狼牙は魔術師ではない。

 ――魔法師だ。

「私から訊きたいこともいくつかありますが、おそらく繋がりはあるでしょう。公人から先にどうぞ」

「悪いな。――たとえば、お前は一目で俺が魔術師だって言ったよな」

「ええ。在野の魔術師は基本的に魔術師協会、あるいは教皇庁魔術省から睨まれるため、下手を打てば危険人物として処理される可能性もあります。そのため、身を隠すことを第一とするのですが、その隠す行為そのものを私は察することができます。ほかにも理由はありますが一般的には、魔力の流れなどでもわかりますね」

「俺が未熟だってのはよくわかってる。その流れさえも隠すのが魔術師だろ」

「私と逢うまでは魔術師協会のことも知らなかったのですから、その点に関しては私が悪い。以前は言いすぎました」

「もう気にしてねえよ。違う意味で気にしてるけどな。――で、そこはいい。俺もわかってる。だが俺の魔術特性(センス)までわかるもんか?」

「それはもちろん、公人が魔術の行使をせずに居て、ですね?」

「おう。そんなの片鱗も見せちゃいねえよ。つーか学校で術式なんか使うかっての」

「公人の術式はこっそり行うものでもありませんし、そもそも隠れて術式を使うタイプでもありませんしね」

「それ、俺が回りが見えないって馬鹿にしてるだろ」

「伝えられていたようで何よりです」

 なぜか笑顔の狼牙に対してこの野郎、と思う。相変わらず性格の悪い男だ。

「ともかくです、私ではさすがに見抜くことは難しいですね。云うなればそれは、初対面の人間を相手にして、窓際に置いてある花瓶の水が減ってきているため気を付けて、そのままテーブルの上に置けば運も上がるだろうと、そんなプライベイトを当てるくらいに困難です」

「だよな」

「当てられたのですか?」

「待て、いやそうだけどな、先にもう一ついいか」

「なんでしょう」

「魔術師が魔術師でなくなる――なんて事態、ありうるか?」

「ありません」

 これについては迷わず、すぐさま断定された。

「魔力が年齢に比例して増える以上、引退の二文字は該当しません。たとえ何かしらの影響により魔力が喪失してしまっても、魔術回路はそもそも喪失しない――対魔術における魔術回路の封印が発揮された場合においても、それを取り除こうとする行為は魔術師の行動です。そして何より、回路の破壊はイコールで人命の消失です。もちろん、子子孫孫に伝えるための血の施術、ないし術式そのものの移譲に関しても同様のことが言えるでしょう」

「だろうな。俺にもピンとこない。だがそいつは、俺のことを〝創造理念〟なんて呼びやがった。いや名称は気に入ってるけどな」

 かつんと、テーブルを爪で引っ掻く音がした。お互いに視線を逸らさずにいて、そこから嘘を見抜こうとして、それでもなお――偽りがないと判断した狼牙が、その動作を行ったのだ。

 嘘はない、ないが、狼牙にはそんな人物が存在することすら想像できない。

 魔法師は、法則を担うものだ。世界法則を安定させるための代理人のようなもので、狼牙の存在そのものが法則そのものでもある。最初から人としての器から逸脱している、そんなふうに当人は考えているが、それはそれで面白い人生だと納得しているのだから不満はない。

 魔法の分類は大きく二つにわけられる。常時展開型か、特定限定型か――そのいずれかしかなく、前者の場合は常に人の器を越えており、後者の場合は特定状況以外では一般人とまるで変わらない。魔法師は、必ずこの二つのどちらかになる。

 狼牙は常時展開型。担う法則は――〝縁〟だ。

 人と人との繋がりそのものを背負う。誰がどうやって知り合い、その人がどんな人物の知り合いを持っているのか――出逢った理由、偶然という要素を排した必然まで、縁に関することならばすべてわかる。

 自分は蜘蛛だ。人という繋がりすべての糸の中心にいる――と、これは誇大妄想でも過言でもなく、実に重たい事実。

 だからこそ――わからない。

「魔術師だった、なんて過去形で話をしてたな」

 考え込んでいたのがわかったのか、公人は視線を逸らしてランチに手を伸ばしながら言う。そもそもわからないのは、公人だとて同じだ。

「縁は――繋がっているようでいて、繋がっていません。私としても縁が合った……とは思っているのですが、いかんせんこのような状況を見たことすらないため、何とも。実在する人物なのでしょう?」

「幽霊と話してたってか? 俺だって生身とそうじゃないヤツの区別くらい…………つくはずだ。おい、お前そういうこと言うなよ。ちょっと揺らいだぞ」

「名前くらいは聞きましたか?」

「いや、聞いてねえよ。名前はないんだと。だからネイムレスって呼んだら、そう呼ばれたことはないからいいってさ」

「名前がない……? しかし、誤魔化しているだけでしょう?」

「学年の名簿を閲覧したら、№Nullで登録されてた」

「は?」

「いや冗談かとも思ったんだが、間違いなく見たぜ」

「ヌル……本来はゼロに当たる文字ですね。まるで、自分は存在しないと誇張しているようにも思えますが」

「そうか? 話した感じ、口数は多かったけど何かを誇るようなタイプの女じゃなかったぞあれは」

「――女性なのですか」

「ちょろっと会話しただけだな。中身はだいたい俺のことだったし、まあ変なヤツだってのはわかった。――狼牙の反応で、面倒で厄介だってのもな」

「さすがに直接会話をしたことのない私では、明確な判断を下すことはできませんが」

 事実だが真に受けないようにと、狼牙は小さく苦笑して届けられたブレンドを一口。

「その女性は何を?」

「知らん。俺が屋上でサボってるのを発見して興味がわいて探ってる最中とかなんとか。面白くなりそうだ、なんて言ってたが会話が弾んだわけでもないし、一単位だけサボってさらっと戻った」

「では公人自身に興味はなかった。しかし、興味を持てた――ということですか?」

「そんな感じか? 途中からは学業について、あれがどうのこれがどうのって愚痴っつーか見解を聞いてる感じだったけど……ん? そういえば、おい狼牙、もう一つ訊きたいことを思い出した」

「なんでしょう」

「どっかで聞いた気もするんだけどな――思い出せなくて、そのまま忘れるところだった。狼牙は〝識鬼者〟って知ってるか?」

「――」

 何かを言おうとした狼牙は一度意識して口を閉じ、目を伏せてから吐息を一つ落とす。

「失礼」

「あ?」

「思わず公人の無知を蹴り飛ばし落ち込ませて沈めようかと」

「……俺、二度くらい落ちてね?」

「知らなくても当然だと気付くのが遅れたら自制も利かなかったかもしれません。そもそも魔術師協会でも特秘、しかも呼称自体も禁止扱いになっていますから、一般的な魔術師でも知っている人物は限られます」

「危険人物ってことか?」

「厳密には違います。まず、魔術師協会が与える二つ名は基本的に自称を強要されるものではなく、魔術師の在り方に対しての通称です。あるいは、特有の魔術回路に対してのもので、教皇庁が使う作戦名のように、普段から使うものではありません」

「なんだ、それじゃ俺のエミリオンとそう変わらないな」

「意図してつけたものではないでしょうし、まあ似ているとは思いますが――ただ識鬼者とは、彼女が名乗ったのですか?」

「名乗りじゃねえよ。元は識鬼者だった、ってな感じだ。今は違うんだと。俺が見た感じ、魔術師だって思える要素は一つもなかったな。上手く隠してたのかどうかまでは知らないけどさ」

「なるほど。あくまでも名乗らなかったのなら、随分と徹底していますね」

「徹底っつーか……文字通りのネイムレスなんだろ。そりゃ珍しいけど、疑うようなもんか?」

「疑う……とは違うと思いますが、確かに似たようなものかもしれません」

 それは狼牙なりの好奇心なのだが、どうやら公人には上手く伝わっていないようだ。あえて訂正しないのは、一定の距離を置いているためで、この辺りの関係もまた公人と同様に、狼牙も友人とは思っていないのだろう。

「識鬼者――そう呼ばれる存在に、一切の疑問は挟めない」

「はあ?」

「そもそも疑問がなく、発展がない完成形であり、満足をため込むだけの器――それが侮蔑ではなく、正当評価なのでしょう」

「何言ってるのかぜんぜんわからん。簡単に教えてくれ」

「失礼、前提が抜けていました。識鬼者とは、文字通り知識の塊です。曰く、魔術において知らないことはない」

「――おいおい、マジかよ。わからないことはねえってか?」

「いいえ、わからないことはあります。しかし、知らないことはない。何よりも問題なのは、それが魔術師であることです」

「ん? …………おい、そりゃ、あれなのか? つまり、そういう魔術師ってことなのか?」

「ええ――魔術回路がどうなっているのかは定かではありませんし、半ば伝説化されていて存在も確定していないため半信半疑ではありますが、その術式そのものが知識を蓄えること、だそうです。知識の鬼、そして人であることを称する者をつけられた二つ名です。もっとも、噂では知識を持つが故に、あらゆる魔術師を翻弄できる――したのかどうかはわかりませんが」

「だから指揮者ってか」

「……その方がいたずらに口にした、とは思えません」

「もしも識鬼者なら……っと、違うか。元識鬼者なら、俺の魔術特性が〝刃物〟だって見抜いたのも頷けるか?」

「識鬼者にとって知らない魔術はありませんから、何かしらの見識があってもおかしくはありません。もちろん事前に調べた、という可能性を排除はできませんが」

「はあ、なるほどねえ。別に知識をひけらかす感じもなかったし、なんつーかちょっとはしゃいでるような感じもあったから、そんなんだとは思わなかったな」

「どうも、不安定な人物のようですね。そういう危うい感じはありませんでしたか?」

「いや、俺より随分としっかりしてたぜ? また逢おうって約束したから、その内にまた顔を合わすだろ」

「約束を?」

「口約束――なんて、軽いものだと笑っちまう。けどあいつは大真面目に、約束で動いていると言ってたから、俺もそいつを信じてみようってな。結果はすぐわかるだろ」

「……これはしばらく、私も野雨に留まっていた方が良さそうですね」

「今までどこに行ってたんだよ」

「出稼ぎに四国まで――冗談です。出稼ぎの方は」

「そっちかよ。んじゃマジで四国まで出向いてたってか? 行動範囲が広いなあ……」

「うちの学校はある程度の自由が認められていますから。さすがに、VV-iP学園ほどではありませんが」

「付属中学だもんな」

 それからしばらく雑談に興じ、狼牙が席を立ってからは本を取り出して公人は魔術の勉強を始める。夕刻になって雨が降り出したが、実際に帰宅しようとするまでそれには気付いていなかった。


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