包丁塚

三笠るいな

包丁塚

 慶子先輩から着信があった。その事に気付いたのは、千葉駅前にある居酒屋チェーン店のアルバイトを終えた真夜中であった。慶子先輩は、僕と同じ大学の企業研究ゼミに所属している3回生である。ドキドキしながら聞いたメッセージは、遅い時間になっても構わないから連絡をください、という事務的な声で吹き込まれていた。


 「あぁ、仁くん?悪いけど、『フレンドシップ』の留守電に残されていたスペイン語のメッセージを転送するから翻訳して欲しいんだ。女性の声だったんだけど、なんだか切羽詰まっているみたいなの。涙声だったわ」


 『フレンドシップ』というのは、僕と慶子先輩が所属しているボランティア団体である。ある弁護士の奥さんが立ち上げた団体で、企業や雇い主から不当な扱いを受けた外国人労働者の相談を受けたり支援したりするのが目的であった。

 僕は父親の仕事の関係で5年ほど、スペインのバルセロナに住んでいた。日常会話のスペイン語くらいはできるから何かの役に立てれば、とボランティアの志願をしたのだが、本当は慶子先輩とお近づきになりたかったのである。


 電話の主はイサベルというペルー人女性であった。彼女の涙声は途切れ途切れに、「主人が仕事中に倒れ、病院に運ばれたが死んでしまった。私はこちらに来たばかりで日本語も話せず、頼れる親類もいないのでどうして良いかわからない」と訴えていた。翌朝、僕がイサベルさんに電話をして詳しい話を聞くことになった。


 外国人労働者を安い賃金で長時間こき使える労働力としか見ていない雇用者は、いまだに多い。イサベルさんのご主人が勤めていた寿司店のオ-ナ-もそんな一人と推測された。慶子先輩が関係者の証言や証拠集めに奔走し、弁護士が労災認定の訴状を準備する間、僕はイサベルさんの世話をすることになった。葬儀は教会ではなく、自宅でひっそりと営まれた。イサベルさんは、数珠を持って位牌に線香を供えていた。ご主人はアルトゥ-ロ・ナカモトという名前であった。


 「主人は日系三世でした。ペル-の日系人は、仏教のお葬式をする人が多いです」


 職場の寿司店は、寿司職人の出入りが激しかったようである。アルトゥ-ロさんはいつの間にかベテランになっていたが、外人がカウンタ-で寿司を握るのは変、という理由でいつまで経っても下働きであった。誰よりも早く店に入って支度をし、閉店後も一人で店を片付けた。僕のバイト先で働く外国人と同じように、汚れ仕事ばかり任されていたのだろうか。もしかしたら、息子くらい年下の板前から「おっさん、もっと早く動けよ」とどやされることもあったかもしれない。それでもごくまれに、スペイン語圏の客が来る事があった。その時だけは、アルトゥールさんもカウンタ-に立つ事が許されたという。客がスペイン語で注文する寿司を、嬉しそうに握っていたらしい。


 職場で倒れ、救急車で集中治療室に搬送されたアルトゥ-ロさんには、意識を取り戻す瞬間があった。彼はその度に点滴をはずして仕事に戻ろうとするので、イサベルさんは必死になって止めたと言っていた。


 「包丁のお墓はどこにありますか?」


 「え?」

 

 「使われなくなった包丁は、きちんと埋葬しなければいけない、と主人はいつも言っていましたから」


 職場には辞めた寿司職人が残していった包丁が何本も置き去りにされていた。持ち主を失った包丁は手入れをされることもなく、硬い物を切る作業などに乱暴に使われた。そして刃が欠けたり錆びたりすると、刃物業者が用意したトレーに投げ捨てられていった。アルトゥ-ロさんは、そんな扱いを受ける包丁に自分の境遇を重ねていたのかもしれない。僕は成田山新勝寺に包丁塚がある事をイサベルさんに伝えた。


***


 3年後、僕は大学の卒業旅行にペルーへ一人旅をすることにした。


 アルトゥ-ロさんの労災が認められた日、僕は慶子先輩に告白をした。そして見事にふられた。


 「ごめんなさい。でも、君を恋愛の対象として見る事ができないの」


 「好きな人がいる」、とか「付き合っている人がいる」という理由なら、もしかして慶子先輩が思いを寄せる男に勝てる可能性があるかもしれない、などといううぬぼれが生まれたかもしれない。でも「恋愛の対象外」なら、はなからお話にならないという事だ。すっぱりと諦める事が出来た。妄想に囚われて悶々とする日々を過ごさずに済んだというものでる。


 旅の途中、リマ郊外にあるイサベルさんの家を訪ねた僕は驚いた。門のすぐ脇に大きな大理石の石版が建っていて、そこに「包丁塚」と彫られていたからである。文字は成田山新勝寺のそれと同じ鮮やかな金色であった。


 「主人が尊いと思っていた事を、多くの人に知ってもらいたいんです」


 イサベルさんと並んで、包丁塚をバックに写真を撮らせてもらった。その画像を法律事務所に就職した慶子先輩に送ったら、あっという間に地球を半周して返事が帰ってきた。


 「とても素敵な卒業旅行になったね。おめでとう!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

包丁塚 三笠るいな @mufunbetsunamonozuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ