ユニバース

黒楠孝

ユニバース

プロローグ

 

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 本題に入る前に、無意味な仮定を一つしよう。

 世界が、今まさに終わろうとしている。

 

  *

 

 ぼくが消えて、きみがいなくなる。

 それで、この世界はおしまいだ。誇張やメタファーなんかじゃない。ほんとうに、すべて、終わりになるんだ。

 後には何も残らない。宇宙ははじけ飛んで、あらゆる神秘、あらゆる法則が喪われる。気が遠くなるくらいに長い年月をかけて、たくさんの人たちの手によって積み上げられてきたものが、根こそぎになってしまう。続きはない。次代に夢を託すこともできないし、何らかの教訓を残すことも許されない。

 ぼくの無念を晴らしてくれるやつは、もう何処にもいない。誰も慰めてはくれない、咎めてもらうこともできない。それどころか、こんな世界の終わりの果てで、ぼくみたいなちっぽけなやつが、どうしようもなく途方もない、それこそ世界そのものとしか言いようがないような、このあまりに完璧な絶望に打ちひしがれているってこと、そのことを誰かに知ってもらうことさえも、もはや叶わないんだ。

 ――だがぼくらは、この偉大なる宇宙の成り立ちを、ついに知ることはなかった。

 今となっては、それだけが希望だ。何故って、ここにある終わり、この瞬間にもぼくらの元に近づきつつあるすべての終わり、世界の終わり、宇宙の終わり、物語の終わりが、ほんとうにすべての終わりを、どこへも続かない完璧な絶望を意味しているとは、やはり言い切ることができないからだ。

 たとえば宇宙の始まりを説明するためのビッグバン理論。あんなのってとんだデタラメじゃないか。何もないところでとんでもない規模の爆発が起きて宇宙ができました? どうして何もないところで爆発が起きるんだ、自然発火現象か? 自然発火だって真空状態じゃあ起こりようがないさ。馬鹿げてる。そんなのは、宇宙の前にも何かがあったに違いないという、ほとんど妄想にも等しい思いつきを表現しているに過ぎないんだ。

 そう、だからぼくらの宇宙が終わったあとに、ほんとうに何も残らないかどうかなんて、ぼくにはわからない。

 もしかしたらまた、新しい宇宙が生まれるのかもしれない。そうしてまた、たくさんの恒星やら惑星が生まれて、どこかに何かの間違いで生命が現れるのかもしれない。生命は進化を繰り返し、ついにはものを思うようになるかもしれない。そうして彼らが、ぼくら人間と同じくらいにややこしいことを考え、感じ、思うことができるようになれば、いつか誰かが、こんなことを思いつくかもしれないじゃないか。つまり、自分たちの生きている世界、存在している宇宙より前にも似たような、それは今の宇宙とはまるで違うものかもしれないが、ともかく何かがあったかもしれない、といったようなことをだ。

 そいつは考える。今は消えて無くなってしまった宇宙に生きた人々のことを。彼らがどのように考えてどのように行動し、どのように消えていったのかを。そして、やがて思い至るのだ。世界の終わりに直面し、そこにはもはや何の可能性も残されてはいない、完璧な絶望が存在しない世界にあって、それでも限りなく完璧に近い絶望の淵に立たされた一人の少年が、いつかどこかに存在していたかもしれないってことに。

 もちろん、その一人の少年というのはぼくのことではない。彼はぼくのことなんか知りはしないし、ましてやきみのことなんか思いつきもしないに違いない。それでもぼくは、想像力の翼を羽ばたかせる彼に働きかけることはできない。だからやっぱり、これはぼくの続きなんかじゃない。単なる偶然の一致だ。

 ぼくらには、もはや何の可能性も残されてはいない。そのことを認めよう。だって、ほんとうのほんとうに、これでおしまいなんだから。すべてを消し去り、ここから先のどこへも続きようがない終わり。これ以上の終わり、これ以上の絶望などぼくには考えられない。

 ぼくは消えゆく両の眼で消えゆくきみを見つめながら、そういうものと対峙している。きみはどうだろう。ぼくらはもはや口を利くことさえままならないから、きみの考えを教えてもらうことはできない。

 ああ、不思議だな。最後の瞬間ってのはもっと、ロマンチックなものかと思っていたんだ。おまけにぼくらは二人、滅びつつある世界にたった二人きりときている。そんなシチュエーションなら、もっと目の前にいるきみのことばかり考えていてもよさそうなものなのに。なのに実際にぼくが考えているのは、新しい宇宙で他愛もない妄想を巡らす、知らない誰かのことだ。

 そしてきみ、ぼくの前から永久にいなくなろうとしているきみも、たぶん似たようなものなんだろうということがわかる。きみの眼を見れば、少なくともぼくのことを一生懸命考えているのではないことがわかる。二時間前のぼくだったら、それに腹を立てるか、さもなければ悲しくなっていたかもしれない。だけど、今はわかる。それでいいんだ。そうするしかない。何故って、ぼくらは人間だからだ。人間ってのは、続きのないもののことを、いつまでも真面目に考えていられるようにはできていないんだ。

 それなら、ああ、ぼくはきみに教えてやりたい。ぼくのこの愚にもつかない思いつき、ぼくらの宇宙が終わったあとに現れる新しい宇宙で、世界の終わりに思いを馳せる男のことを。彼のくだらない妄想が、今のぼくらにとってささやかな、けれども唯一のになり得るのかもしれないということを、教えたい。分かち合いたい。くだらないねと笑い合いたい。

 そんな世界の終わりなら、きっと素敵なことだろう。

 

  *

 

 これから僕が書こうとするのは、何よりも救いのための物語だ。

 救いとは、誰にとって、あるいは何にとってのものか? それをはっきりさせることも、この物語を書く目的のひとつと言える。

 僕は救いのために書くと同時に、救いについて書こうとしている。

 

 物語は、形式としての書き出しと結びを必要とする。

 結びは、既に決まっている。現在だ。これからスタートする物語は、今、この瞬間をもって終わりを迎える。僕は、物語を始めることによって終わらせようとしている。

 では、書き出しはどうか?

 そもそもの、事の起こりを考えるなら、思い当たるシーンはやはり一つしかない。

 

 僕は彼女と出会った。

 まずは、その日のことから語り始めることにしよう。

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