第5話 通り過ぎていく人々
『翌年』8月から再スタートした辺境生活だが、9月までの約2か月間、毎週のように他のユーザが現れた。ただし、それぞれ長くても数時間だったが。
現実世界の17時台はどうやら、全国のフルダイブ端末ショップでの『お試し5分コース』のピークらしい。数が多いということは、適当な設定で試すだけ試して買わない人も多いということ。ちょっとぶらぶらしてさっさとログアウト、のパターンが多かった。
困るのは、ずっと滞在している俺を、本当にスタッフか何かと勘違いしているような態度をとる輩がいること。飯を出せ、とか知らんよそんなん。
本気でログアウトしてしまおうかとも思ったが、みんな先にあっさりとログアウトしていくので、結局振り回され続けただけだった。なんかくやしかったので、主だった人々の様子を記録しておく。後でタクトさんにネタとして教えよう。
◇
「ギルドに登録したいんだけど」
「いや、そんなものないし」
「魔法が使いたい」
「コップ1杯の水を出すくらいかなあ」
「魔物だ!みんなで倒そうぜ!」
「その森には3匹しかいないぞ。復活は明日な」
「お姫様は…」
「ドレス衣装がメニューにあるよ。男でも着れる」
高校生男子5人がこぞってやってきた。クラスメートらしい。
「くっ、俺の右手に封印せし黒龍が…!」
辺境にそんなお約束はない。
◇
もうすぐ揃って米寿という御夫婦がやってきた。
「何か寂しいな。テレビかラジオはないのかい」
「放送メディアはないですねえ。現実世界のものは時間進行が違いすぎてアクセスできませんし」
アバター付属の簡易ブラウザで新聞が読めるかな?写真や動画は厳しいけど。
「編み物がしたいわねえ。編み棒みたいなものはないのかしら」
「木の枝…だと厳しいか。糸もそれほど豊富にはないし」
結局、日が沈んだら帰っていった。
「何もないと、ゆっくりできないものなのねえ」
わかるようなわからないような…。
◇
「うおおおお!」
「どりゃああああ!」
暑苦しい男ふたりが夕日を浴びながら素手で戦い始めた。戦いといっても、アバターは見えない膜に包まれており、攻撃は全て弾かれる。
ああでも、そんなに強く打ち込み合ったら…。
<既定値以上の圧力を認識しました。強制ログアウトします>
ふたり同時にログアウトしていった。引き分けか。
◇
「この世界は私たちの心を代弁しているようだわ」
「荒廃した大地は記憶、澄んだ空は過ぎ去りし憧れ」
「運命という名のふたつの月が私たちに重くのしかかる」
「行きましょう、お姉様。まだ見ぬ希望と絶望の彼方へ」
「ええ。祝福のない未来でも、現実は私たちを優しく包み込む」
んと、専門用語はちょっと詳しくないかも。
「ありがとう。道標たるあなたのことは一生忘れない」
「私たちは旅立つ。小さくも偉大な、開放されし閉塞した世界へ」
ふたりでお金を出し合って、オフライン用の仮想世界ソフトを購入するそうな。お幸せに…。
◇
「俺が聞いた話ですと、静養のためには、睡眠をしても気分転換をしてもダメなのだそうです。目を覚まし、しかし、何もしないことが重要なのだと」
「ということは、この世界はそのようなケア目的には合致しているのかな。仮想保健室とか」
「どのように活用するかは人それぞれですけど、アバターの再現率を除いてとことん省力化されてますからねえ」
小学校の先生らしい。仮想世界サービスを学校で活用できないかと、個人的に調べているとのこと。
「簡単な楽器とかはどうだろう。音楽の授業で近隣から苦情が来るようになってね…」
「ひとりふたりならいいかもしれませんが、合奏はダメかもですね。ピアノあたりは一台でも厳しいかと」
「仮想教材を導入するにも限界があるということか…。昔の電子教科書導入時の問題に似てるな」
とりあえず遠足を提案してみたが、いずれにしても、家庭のフルダイブ端末の普及度に依存するそうだ。確かに、学校で人数分の接続速度を確保するだけでも大変そうだ。
◇
「わー、ホントに空飛んでるー!」
「たかーい、ひろーい」
「きりもみかいてーん」
小さな妖精が3人、青空を飛び回っている。中の人は9歳の幼馴染同士だそうだ。
なるほど、サブセット仕様のアバターなら処理リソースも食わないか。『冒険コース』の召喚マスコットキャラを流用したのかな。
「飽きたー。帰る」
「僕もー」
「私もー」
指すら実装されてないからなー、あのキャラ。
◇
「この2か月は誰とも連絡先交換しなかったなあ。アバター名もあんまり覚えてないや。まあ、この世界ではそれが普通なんだけど」
ピークを過ぎた10月、AIがちらほら歩くだけの閑散とした街の様子を眺めながら、秋本番の今はどう過ごそうかと考え始めていた。
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