第3話 タクト
「釣れてるかな?」
「釣れませんねえ…」
釣れたらむしろ怖い。運営が辺境世界を監視&サプライズしてくるとも思えないし。
ログインしてから半年が過ぎ、ようやく折り返し地点かと思った矢先、タクトさんが現れた。ナイスミドルな中堅小説家さんだ。ミステリーが中心で、あまり読まない俺は詳しくは知らないけど。TVドラマの原作者として、何度かペンネームを見た記憶がある。
「どうですか?原稿の進捗は」
「訊いてくれるな…」
このやりとりだけで、タクトさんのだいたいの事情がわかるだろう。雑誌連載の原稿が行き詰まって締切が近づき、編集さんに泣きついたら、フルダイブ端末を渡されてこの辺境に飛ばされたらしい。ホテルに缶詰状態だ。
「時間があれば書けるってものじゃないですからねえ。むしろ、締切が近づけば近づくほど踏ん張って、なんとか最低ラインで仕上げて提出、って感じじゃないでしょうか」
「君の経験談かね?」
「大学のレポート提出で何度か…」
書ける時は書けるんだけどねえ。あ、もちろんレポートのことですよ?
「こうも時間を延ばされたら、当分は何もしなくてもいいと安心してしまうしな」
「ログイン終了時刻間近になってようやく書き始めたりとか?」
「それを見越して、編集は60分コースにしたのだろうがな…」
「半年以上もここにいる俺が言える立場じゃないですけど、この世界には何もないですよ?刺激がなさすぎて何も思いつかないのでは」
「だろうなあ…」
3D映像の泳いでいる魚を見つめながら、タクトさんはそうつぶやく。
「あ、書籍アプリありがとうございます。ミステリーはあんまり読んでなかったのでちょうど良かったですよ」
「君の趣味に会えばいいがな。念のため、編集には何も言わないでおくよ」
「やっぱりグレーゾーンですか、著作権…」
◇
「私はもともとサラリーマンでね。営業のかたわら、趣味でぼちぼち文章を書いていたら、ひとつのまとまった小説ができあがったんだ。で、読んだ妻がほめてくれてね」
「それがデビュー作ですか」
宿屋の一階の食堂スペースのテーブルで、形だけの飲み物を飲みながら雑談をする。
タクトさんの目の前には高機能エディタが置かれている。文字情報を扱うだけなら計算リソースをほとんど消費しないらしく、編集さんにVR内アプリとして持たされたらしい。もちろん、指は動いていない。
「何かの賞をとったわけではなかったがね。審査員選考に漏れたのをたまたま読んだある編集から、個人的に手直しの提案があったんだ」
「それが、今の編集さんですか?」
「いや、今は編集長をしている」
「おおう」
最初は自費出版に近い形だったらしい。口コミで広まり、現在に至る、と。
「あれ?もしかして、勤めていた会社をやめたわけじゃないんですか?」
「ああ。会社と相談して、取引先への広告塔を兼ねる代わりに勤務時間を減らしてもらっている。出世はできそうにないがな」
よほど有名な小説家じゃないと顔もあまり表に出ないし、仕事内容との折り合いさえつけば『副業、小説家』でもそれほど問題にはならないのかもしれない。
「だからこそ、締切は重要なんだよ。雑誌掲載はもちろん、本来の仕事にも影響する」
「迷わず辺境に放り込まれたのはそういうことでしたか」
「まだ手がかかる子供もいるし、二足のわらじはいつも時間が足りないよ」
「本当に好きじゃないとやってられないですね」
「最近は、『嫌いにならない』ようにするのに必死だよ」
俺には無理かもなあ。まあ、まだどんな仕事をしたいかとかこれといって考えていないし。
などと心の中でつぶやいていたせいか、
「ユキヤくんはどんな仕事をするつもりなんだい?専攻は工学系と聞いたが」
「まだちゃんと考えてないんですよね。大学院に進学して研究を続けるって選択肢もあるんですが」
「この世界で半年以上暮らせているんだ。このことを何かに活かせないものかね?」
「どうなんでしょう…。ある人には『現地ガイドとして働けるかもしれない』と言われましたけど、思い切り分野が違いますし」
「そうか…」
無理矢理こじつければ、仮想世界のコンテンツ・クリエイターとかかな?運営側に回されて顧客対応・保守要員として徹夜続きの未来も見えるが…。
◇
タクトさんが来て5日ほど経過したある日、一緒にある村に来た。
「この村の建物は全て回ったのかい?」
「いえ、それほど。ただ、別の世界のアイテムの使い回しがわかるので、だいたいの予想はつくんですけどね。たとえば、この紋章とか」
「紋章?」
「あるMMORPGで登場する商業ギルドのエンブレムですね。なので、この建物は商店か何かかと」
「なるほど、新しい意匠を生み出すより簡単ということか…」
入ってみると、雑貨が並んでいてAIの店員が待ち構えている。種類は少なく、いくつかのバリエーションが用意されているといった感じか。色違いのランプとかカップとか。
「…あれ?ロウソクなんてあったのか」
「火はつくのかね?」
「どうやってつけるんだろう…。あ、もしかして。『ファイア』」
芯に触れて呪文を唱えると火がついた。魔法の仕組みも他所の『世界』の使いまわしかい。
「おお、ついたな…って、これも映像かな」
「そうみたいですね…」
お約束のサブセット仕様。ショボすぎるけど、ないよりはマシか。
「ロウソクはこの村の特産、という設定らしいな」
「ああ、箱にそう書いてありますね。そうすると、他の村の商店にもそういうのが用意されているのかな」
「特産品めぐりでもするかね?」
「ひとつの村につきひとつだけ、ってことかもですけどね。何か飲み物や食べ物があるといいなあ」
それから3日ほどかけて全ての村を回り、特産品を集めてみた。結論を言うと、飲食物はなかった。
「この羽根ペンは面白いな」
「ああ、それは有名なマスコットキャラの…いえ、よろしければ使って下さい」
「エディタがスタイラスペンに対応していて良かったよ。入力効率はだいぶ悪くなるがね」
辺境コースでも、アバターの表示と制御は他のサービスと変わらない処理水準を保っている。ペンくらいなら現実とさほど変わらない使い方ができるだろう。
◇
「いやあ、君のおかげで大作ができたよ。ありがとう」
「はあ…」
大作ができたのは確かだ。しかも、たった1日で。
異世界冒険風のアイテムが影響したせいか、少し歴史的な要素が入ったミステリーだ。読ませてもらったが、大変面白かった。面白かったけどさあ。
「まあ、連載分の方は現実世界で書き上げるよ。プロットはできたし、一晩でできるだろう」
「そちらもこの世界で完成させないんですか?」
「この小説を妻にも読んでもらいたくてね。そう思ったら、いてもたってもいられなくて」
「編集さんがキレなければいいですけどね」
「訊いてくれるな…」
会ったばかりの頃のセリフをもう一度聞いて、現実世界に戻るタクトさんを見送った。結局、あの人も10日くらいしかいなかった。60分のほとんどを使わなかったことになるな。
ふと、夫婦でこの世界に来ていたら良かったのかな、と思ったものの、とある夫婦を思い出して考えるのをやめた。
「あの小説が出版されたら、サインでももらいに行こうかな。近場に住んでいるといいけど…図々しいかな」
あの羽根ペンを実際に作って持参するのもいいかもしれない。確か、運営会社がグッズとして売ってたよな、あのデフォルメされた従魔の孔雀キャラ。尻尾が長いんだよなあ。
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