第2話 ミノル、チユリ
「もうイヤ!帰る!」
「いや、まだ数十秒ほどだし」
「こっちではもう4日も経ってるわよ!」
サトミが去ってから1か月ほど経ったある日、一組のカップルがやってきた。新婚さんらしい。
案の定、数日しかもたなかった。なぜ『案の定』かって?それは、新婚さんだから。
「目の前にいるのに、手をつなぐことさえずっとできないなんて耐えられない!」
「それは僕も辛いけど…」
一応、ログイン前に『接触不可』のことは把握していたようなのだが、このふたりがこれまで利用してきた仮想世界サービスは初心者向けMMORPGだったらしく、ピンとこなかったらしい。確かに、剣と魔法の世界では『接触不可』はむしろありがたいよな。敵に襲われても痛くないし。
「せめて数分くらいは使おうよ。今回はお試しじゃなくて購入したんだからさ」
「10分コースって、約2か月ってことじゃない…長過ぎるよ…」
「購入の場合は最低10分だったし…」
来たばかりの頃は、膨大に引き伸ばされる時間に『古い映画みたーい』と喜んでいたのだが。あの映画は戦闘しまくりーの創造しまくりーの内容だったけど。
「…わかったわよ。とりあえず1週間はいることにするわ」
「それでも1分くらいだよね…」
破綻するほどケンカしているわけではないらしい。見てるだけのこちらとしても、この世界が原因で離婚、なんてのは勘弁願いたい。
◇
妻のチユリさんがひとりで海を見に行くというので、何時間も森や大地を歩くことになることを伝えてがっくりさせ、それでも行ってみると言うので、夫のミノルさんと見送る。
今は、街のカフェテリアでミノルさんと話をしている。カフェテリアといっても、コーヒーとオレンジジュースしかない。味覚のラインナップを充実させるにも計算リソースがかなり必要らしい。
「君はすごいねえ…。1年もここに?」
「まだ5か月ほどしか経過していませんけどね。さすがに1年はやりすぎたかも」
60分は辺境コースの最大時間だ。割引率が高いので、半年くらいでログアウトしてしまってもいいかもと当初から考えていたのは秘密だ。
「前に利用した時はすごく慌ただしい『世界』だったから、今度は少しふたりでゆっくりしようってチユリと相談して始めたんだけど」
「少し、どころじゃないですからねえ。『接触』できたとしても、結構飽きるかも」
「かもしれないねえ」
俺の場合は、この世界でいろいろと試してみる方法を覚えたので、まだまだやっていけると思う。釣りもまだやってないし。糸垂らすだけだけど。
結局のところ、俺はこの世界と相性が良かったのだろう。ひょっとすると、普通(?)の人には無人島とかの方がマシなのかもしれない。これも運営に提案してみようか…。
「まあ、チユリが本当にログアウトするというなら一緒にログアウトするけどね。僕だけ残っても意味ないし。利用料は戻ってこないけど」
「ですねえ。あ、トランプでもしますか?チェスでもいいですけど」
「将棋があるといいんだけど…」
「なぜか、ないんですよねえ。たぶん、中世ヨーロッパ風の『冒険コース』のアイテムを流用しているだけだと思うんですけど」
「チェスはわからないなあ。ポーカーでもしようか」
カフェテリアでポーカーに興じる男ふたり…中世ヨーロッパというよりはアメリカ西部開拓時代か。なんてったって『辺境』だし。
◇
「…ユキヤくん、あなた知ってたでしょ」
「な、なんのことですかー」
海に入ったのか。
運営には連絡済みだけど、数分かそこらで対応されるはずもなく。まだメッセージを読んですらいないだろうな。
「…ごめんなさい、伝えるのを忘れてしまって」
「まあいいわ。ひとりだったし、きっちり泳いだし」
「泳いだんですか」
「でも、あんまり遠くまで行けなかった。潜っても何もないし」
「あ、潜ることもできたんですか。息はできました?」
「それが、できたのよねえ。奇妙な感覚だったわ」
それはそれで興味深い…。チユリさんはつまらなさそうな表情だけど。
「海は夕焼けがキレイですよ」
「それは見てみたかった…って、日が沈んだ後は何するの?」
「…砂浜で夜を明かす?地平線から昇る朝日を見てから街に戻るとか」
「えー、大変そう」
疲れるわけではないし、俺は気にならないんだけどなあ。
「ミノルは?」
「東の森に行ってます。川を見てくるって」
「ふーん」
「行ってみないんですか?」
「映像の魚が泳いでるだけだって、あなた言ってたじゃない」
「川で水浴びとかできると思いますよ?夫婦なら問題ないのでは」
「そうね…。とりあえず行ってみようかな」
チユリさんもミノルさんも、提案すればいろいろと試すんだけど…。
◇
ふたりとも、なんとか半月ほど過ごすことができた。がんばって1週間とか言っていたのだから、結構もったのではないだろうか。
なんか最後の数日は、なれそめ話とかノロケ話とか愚痴とかを俺が延々と聞かされまくってただけのような気がするが。
「いやあ、正直、ユキヤくんがいなかったら2日ともたなかったかもしれないな」
「そうね。運営にあなたのことコメントしておくわ。現地ガイドとして働けるんじゃないかって」
「えっと、褒め言葉として受け取っておきます。でも、そうは言っても、結局帰るんですよね」
「ええ。このままだと、ふたりでいるよりも、あなたといた方が楽しくなっちゃうから」
「あー…俺は無実ですよ、ミノルさん」
「わかってるよ。僕もチユリと同じ気持ちだから」
「あ、ログアウトの方法知ってますか?メニューの出し方忘れてませんよね?」
さっさと帰そう。連絡先を交換して、ふたりはログアウトしていった。
「…好きな人と一緒にいられるだけでも楽しい、とはなかなかいかないということかな」
なんとなく、ふたりと過ごしたことをサトミに伝えたくなった。メッセージを送ることはできるけど…って、まだあれから10分も経ってないのか。やめておこう…。
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