美術館(museum)
千馬章吾
美術館(museum)
安住の地を求めて彷徨い続け、行き着いた場所。
そこは、市街にある「美術館」だった。電車で自宅から最寄りの駅より三駅も向こうにあるが、そんなに物すごく遠い訳ではない。そこはC市なので市外だ。自分はA市のS町に住んでいる。
安住の地と言える場所を探すようになったのも多分、ここ最近だ。昔から漫画や音楽、本が好きで、小説や漫画を描く事も趣味だった自分は、内向的で人見知りをよくする。そして、広く見る事よりも、突き詰めて深く考える方が得意だ。これはもう前からこう言う気質なので、簡単に変えようと思っても無理があるように思う。そしてあれからは二週間強が過ぎた。今日こそあの美術館へでも行こうと思い立ったのだった。普通自動車免許を取りに行った大学三年生の時、自動車学校の運転適性検査をして結果として出た性格も、一生そのまま直す事はきっと無理だと言う話も授業で教わっている。
そう、本来大好きだったと思う筈の漫画、テレビゲームも、面白いと感じる物が少なくなって来たように思う。個人的にそう思うようになっただけの話だが。つまり、漫画やドラマを見ていると、チャラチャラしていたり感情的な物も多く、理不尽なシチュエーションや矛盾した主義主張があって、見ているとイライラして来る。何であそこでああなるのか、とか、あの人物は何処まで我儘なのかとか、言動が矛盾してい勝手で腹が立つとか、何がしたいの、とか他にはだから何?と思わされたりするような場面がよく見られる。こう言う拘り癖のある自分も、考えモノかも知れないが、漫画やドラマやバラエティばかりではなく、小説や法律相談番組(これもバラエティになる)でさえ、グダグダしていてしょうもない物も多いようだ。例え作り話でも、この広い世界の何処かではありそうだとか、信じずとも一時真に受けてしまうようになる。主人公になりきってつい同情してしまい、貰い泣きはしなくとも、貰い怒(いか)り(俗語で言えば、既に”貰いギレ”とか言うところだ)とか貰い悲(がな)しみをついしてしまう。これは自分の精神衰弱によるものなのか、俗世間や大学等がますます俗化、レジャーランド化して、少子高齢化と同時に、人々の幼稚化が進んでいるからなのか、はっきりとした理由付けも難しい所になる。正義感や責任感、拘り癖があまり強過ぎるのも、統合失調質か妄想性か依存性か何かの人格障害と言う心の病気に繋がるかも知れないので、いざとなればその時は、自分は精神科を受診してみるしかないだろうと思う。
でも、好きな音楽・歌を聞いたり、自分と感性の合う漫画・アニメや小説、評論文を読んでいる時は、やっぱり和む。晴れやかな気持ちになり、一時的でも邪念は何処かへ吹き飛ぶ。
これは、自分が通っていた大学が七駅も先のZ市にある私立の文科大学に、文芸部へOBとして顔を出しに行っていたその帰りだ。皆元気で何よりだったと思う。偶々、途中の駅で降りた所にデパートがあるので、そこへでも寄ってみようかと最初は考えただけだった。アミューズメントのコーナーも覗いてみたかったのだ。その時、パンチングマシーンがちゃんとあったので、久し振りにそれが出来た事もまた楽しかった。自分は、ゲームセンターではパンチングマシーン以外の物に、そう興味を抱かなくなっていたのだ。ゲームセンターで色々なゲームをする癖が付いてしまうと、幾らでも御金が無くなりそうに思うからだ。中古のゲームソフトで面白い物があれば買うと良い。勿論、パチンコや競馬競輪等、ギャンブルも一切しない。風俗へも行かない。カラオケ、ボーリングぐらいは友人と定期的に行く。それらはスカッとするので好きだ。一人で水泳をしに行く事もある。後、音楽を聞いたりDVDを見ながら、ダンベルや腕立て伏せもしたりする。プロテインも用意して直後に飲む。腕力ぐらいは鍛えている。半年に一回ぐらいのペースで、そこのアミューズメントにしか地元にはないパンチングマシーンの所へ行き、自分の腕を試すのだ。身体の鍛練は、若いうちに行っておく事が大切である。年取ってから身体が動かなくなってはどうにかしようにもうまく出来ないだろう。リハビリとなるとそれがまたしんどいと思う。「後悔先に立たず。」とはよく言えたものだ。
さて、何だかんだと考えるうちに、その美術館の入り口前に着いた。駅からは一○分とかからない。摩訶不思議な形をしたジャングルジムみたいな鉄製の彫刻が飾られていて、それが目印になるので、駅を降りる時でもすぐに分かる。それは美術館の庭にすぐあった。近くの高校の美術部と美術教師と技術教師とがそれぞれ全員集まって一斉に協力して創り上げ、文化祭の時にそれが選ばれた物であると数カ月前に新聞で見たのだった。中々良く出来ており、多彩な個性が混じり合っている物だと思った。
受付の女性に料金三千円を払うと、順路を通って中の廊下を進む。
自分は、今一人であり、今日は友人を誘ってもいないし、彼女と言う恋人も最初からいない。二十三年間(零歳の時の一年は勿論除く)
入り口前のホールも、意外と広かった。そして明るい。その雰囲気は、人間の性格で言えば、明るくて誠実で柔和と言う、バランス感覚のある器量の大きな人、と言う所だろうか。
先ずは西洋美術のコーナーから始まった。正午前から来ているので、じっくりと見て回れば良いだろう。写真撮影こそは禁止だが、興味ある物はメモを取れば良い。流石にクロッキーはしないが、メモぐらいは取れる。それが面倒になれば、じっくりと見返したり説明書きを読み返したりして暗記して帰るかも知れない。
こちらは、一五○○年代のルネサンス美術のようだ。それは「古典主義」になる。
イタリアの自由都市に発生した古典的調整と調和を求める盛期ルネサンスは、アルプスを越えた北方のオランダ、フランドル地方、ドイツへと拡大した。先ずは絵画を見てみる。こちらはイタリアだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」、「モナ=リザ」、「最後の晩餐」。モナ=リザはイタリアで言う「笑い美人」と解釈するのは自分の勝手だと思った。ボッティチェリの「三博士の参拝」、「受胎告知」。ラファエロの「聖体の論議」、「ユリウス二世」、「聖母子画」、「アテナイの学堂」。ミケランジェロの「最後の審判」、「ダヴィデ像」。彫刻はミケランジェロの「モーセ」、「ピエタ」だ。更に行くとボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」がある。盛期ルネサンスはこれぐらいだろう。
北方ルネサンスは、フランドルのファン・アイク兄弟の「聖なる子羊の礼拝」、オランダのボッシュの「愚者の船」、「聖アントニウスの誘惑」がある。ドイツのデューラーの「騎士と死神と悪魔」はこれは銅版画だ。「四使徒」もあった。同じくドイツのクラナハの「キリストの磔刑」、「パリスの審判」がある。ブリューゲルの「子供の遊び」、「農民の踊り」はネーデルラントと言う国からだ。
ルネサンスとは「再生」の意味らしく、中世の封建制度や教会の束縛からの解放を目指し、古典主義の復興や人文の主義が潮流となった。人文主義と言うのは、キリスト教以前のギリシア・ローマの古典文化に人間性の回復を求めた思想を指す。人間本位の立場に立ち、現実を肯定し個性を自由に表現する「万能人」「普遍人」が理想とされた。この主義者をヒューマニストと言う。
一四世紀~一六世紀に、イタリアを中心に興った人間の精神の解放を唱えた文化現象で、多くの優れた芸術家・文学者が誕生したらしい。
次は、一六○○年代のバロック美術だ。今度は反古典主義になるのか。イタリアで発生し各地に伝播された。共通の性質(動感や感情表現の追求)あり。中心はスペインとオランダ、フランドル地方になる。
これは「パウロの改宗」だ。イタリアのカラヴァッジオは、明暗対比の効果や感情表現を重視した。後、宮廷画家であったスペインのベラスケスは、画面の鏡の中や背景にある絵の内容にまで細かい配慮を施した。微妙な感情表現までも表現した。「ラス・メニナス」が代表として飾られ、「無原罪の御宿り」「織女たち」が横にあった。エル=グレコもスペインの画家だ。クレタ島の生まれで、形体を流動的に表現する点が特徴的。作品は「オルガス伯の埋葬」と「キリストの洗礼」があった。
ここでフランドル地方のルーベンスは、あのルネサンス絵画に学び、力強い生命力と輝かしい色彩に満ちた作品を残したそうだ。「キリストの磔刑」と「パリスの審判」がここにある。オランダのレンブラントは”光の画家”とも言われ、深い信仰と人間愛に満ちた作品を生んだ。エッチングも著名している。彼の描いた「夜警」が飾られている。ハルスもオランダで、市民の集団肖像画を、瞬間の躍動感溢れる高度な芸術的表現に高めた。ここに「ハールレム市聖ヨーリス警備隊士官たちの宴会」がある。
展示品の名称と一緒に、説明書きがプレートに書かれてあるので解り易い。全部をこの場で覚えて暗記してしまうのは大変な事だが、全部覚えられなくても構わない。また何度も来て興味ある所を控えておけば良い。
順路と書かれたプレートに従って次へ進む。
御次は一七○○年代のロココ美術と言う物を拝見する事になる。
十八世紀には、バロックの伝統を受け継ぎつつ繊細・優美な表現を特色とするロココ様式がフランスで生まれ、ヨーロッパじゅうに広まったそうだ。
こちらはヴァトーの「シラール島の巡礼」で、フェート・ギャラント(雅宴画)のカテゴリーを開拓したそうな。「食前の祈り」を描いたシャルダンは、静物を得意とし、庶民の日常性に永遠の詩情を与える風俗画も著名だ。フラゴナールの「コレシュスとカリロエ」。これは、典雅な風俗画、閨房画になる。宮廷生活のゴヤは、スペインの首席宮廷画家で、人間の内面や社会批判を現す風刺的版画も発表したとの事だ。ドラクロアや印象派達にも影響を与えている。それにしても、人間の内面や社会批判を絵で表すとは並みの絵描きにも出来る事だろうか?そもそも、どう言う事なのだろうかと思ったが、先ずは凄いものだろう。ここに「着衣のマハ」と「裸のマハ」があった。
次に新古典主義を見て行く事にする。新古今和歌集とかと同じように、「新しいのか古いのか分からないよね。」と言うような漫談の小ネタにはなりそうだが、そこは今はどうでも良い。十八世紀から十九世紀初めにかけてがそうだ。共和政の開始で、古代ギリシア・ローマの民主主義を体現する美術様式が復活した。繊細なロココ美術に対し、力強い量感と均衡が特色である。
ダヴィッドは、彫刻のような量感表現と均衡の取れた構図を描いている。「ナポレオンの戴冠式」、「ホラティウス兄弟の誓い」が彼の作品になる。そしてアングルは、女性像に静的な理想美を追求している。「泉」と「グランドオダリスク」だ。
流石に、大きな美術館だ。名画なら歴史の教科書に残るぐらいの物は何でも展示されてあるのではないか。
ロマン主義がこちらだ。十九世紀初めから中頃になる。題材を同時代の事件に求めるようになり、情熱、空想を重視し、動きのある構図と豊かな色彩表現が特徴だ。
ドラマティックな構成と写実的表現を、「メデューズ号の筏」によってジェリコーは行なっている。こちらのドラクロアは、オリエンタリズムの形成にも役割を果たした。「キオス島の虐殺」、「民衆を導く自由の女神」がここにある。ターナーは、イギリス最大の風景画家である。作品は「平和―海への埋葬」、「雨、蒸気、速度」と言う名の物になる。
ここで印象派の誕生については、高校の時の世界史の授業で、補足として先生が話してくれた事があった。印象主義の名の由来になったのは、モネが一八七二年に仕上げ七四年のグループ展に陳列した「印象・日の出」だった。宮展(サロン)の規範など頭から無視したグループ展の着想と特技を揶揄する為、記者のルロワが出展者を「印象主義者」と呼び、これが定着したものである、と。
こちらの写実主義は、一八四○年代になる。他にはこう書かれていた。
〈現実の世界そのままに、形式に捉われず自然や風俗を描く画家達が集まっている。戸外の製作を一般化した。またイギリス風景画派(ターナー、コンスタンブル)はバルビソン派の画家や印象主義の成立に影響を与えた。〉
これは、コローの「ナルニの種」だ。彼のは、抒情に溢れた作風の風景画に特色がある。
ドーミエは、「シャリヴァリ」と言う雑誌の石版画風刺画家になる。「三等列車」はまだ普通の絵画で、石版画「ライフル発明者の夢」と「法廷の人々」がある。
向こうでは、若いカップルが絵を見ながら笑みを交わしつつ仲良く談話し合っている。
大学生なのか、新人の社会人なのかは分からないが、高校生ではない事は大体雰囲気で分かる。土曜日なので、不定期の職業以外はいずれにしても休日になるだろう。
「J.Fミレーだね。彼は農民を主題とする絵を描いた。自然主義と呼ばれる事もあるバルビソン派に含めて分類されるんだ。」
「へえ、詳しいのね。あ、この『落穂拾い』、私好きかも。」
「で、こっちは『晩鐘』でそっちが『種を蒔く人』だね。農業に関する物は、緑が多くて、見ていて何かと和むね。」
「うん。山や森の絵も良いけど、こう言うのも良いわね。感性の話にもなるけど。」
とても仲良さそうだ。まだカップルになったばかりなのだろうか。いや、そう言う雰囲気がよくよく感じられる。
ん?これはクールベの作品か。「石割人夫」と「オルナンの埋葬」だ。あの先程のドーミエはこのクールベと共に写実主義を提唱したらしい。レンブラントに感銘を受けた事についても説明として書かれている。難しい事は分からないがそれで構わない。「眼に見えるものしか描かない」が彼の口癖だったそうな。
コンスタンブルの「谷間の農場」がこちらになる。風景画の近代性と古典主義風景画の構図法を融合した。そしてフランスの印象主義に影響を与えた。後、風景画の手引き『イギリスの風景画』がある。
ここは渡り廊下のようだ。壁面の上半分と、広い窓ガラスが張られていて外が良く見える。隅では、休憩しながら携帯電話をいじっている二十代ぐらいの若い男性が一人いた。この人ももしかしたら、自分と同じように休暇を取ってここへ来ているのだろうか、とこう考えてみた。
渡り廊下を渡り終えると、次はラファエル前派のコーナーがあった。それは新古典主義を批判し、十九世紀中頃ロンドンで芸術革新を主張した画家・詩人達のグループになる。ナザレ派の影響を受け、ラファエロ以前のイタリア・ルネサンスの画家達の作風を目標とした。こう説明が書かれていた。難しいな、とはいつも思う。
これは、ハントの「神殿で見いだされた主キリスト」と「贖罪の山羊」か。ハントの作品は、聖書の諸場面を描いた作品が優れている。厳密な細部描写、野性味のある色彩が特徴だ。
J.E.ミレーの「ロレンツォとイザベラ」は、初めてラファエル前派の略称の「PRB」と記した作品だ。他、入念な細部描写で写実的な肖像画を発表した。こちらに飾られてあるのは「オフィーリア」だ。更に先へ進む。
ロセッティは、ロイヤル・アカデミーで学び、ミレーやハントと出会い、この派を結成した。豊かな色彩が際立ち、美しい人間に寄せる情熱が溢れる作品を生み出した。詩作にも傾注したそうだ。まだ良く分からないが、「パリサイ人シモンの家の戸口にいるマグダラのマリア」と「ダンテの夢」だ。
もう少し歩いて角を曲がると、一八七○年代~九○年代の、印象主義のコーナーがあった。驚く程でもないとは思うが、何とそこには、眼鏡を掛けた、制服姿の女子学生がいた。ブレザーにローファーなので、きっと高校生に違いないだろう、と思った。内向的なのか、外向的なしっかり者なのかは見ただけでは分からないが、落ち着いた印象を受ける。勉強家なのか、マニアなのかも分からない。悪く言えば、勝手にオタクとか言って誹謗中傷する者もいるだろう。でもそれは言う方が間違っている。そんな低能な人間にはなりたくない、自分は決してそうではないと時々考える。髪の長さは普通の女の子より短めのようだが、後ろ髪を一束にして結っていた。小さな団子が出来ているようだった。小柄でふくよかな感じだ。黒い靴下も長くはなく、膝の半分ぐらいまでだった。やっぱり大人しいタイプの子だろうか。一生懸命にメモを取りながら、説明書きを読んでいた。当然、絵もしっかりと観察しているようだ。小声でブツブツ言っているように聞こえたが、大人しい子なら時々無意識に独り言が出てしまったりするものだろう、と内向的な自分もこれをよく分かっていたのですぐにこう思う事が出来た。もしかしてあの子は、美術研究会か何かのサークルの部員だろうか。それとも、やっぱり文芸部の子で、ネタ収集にでも来ているのだろうか。それとも単に趣味なのかも知れない。さて、そろそろ自分も展示絵の鑑賞に戻ろうかと思った。
彼女が退くと、自分もそこの説明書きの所へ行って目をやった。この印象主義とは、サロン展の因習的規範を拒否して、目に見える印象のままの” 原色主義 ”と” 色彩分割の技法 ”等で描写。後(のち)合理的な空間構成や形態把握を失う限界を迎え、その克服の中から後期印象派の人々が現れる、と書かれてある。
これはピサロの絵だ。「ポントワーズ・エルミタージュの菜園」と「赤い屋根」だ。コローに感銘を受ける。後ゴーキャン、セザンヌを指導する事になる、と。点描画法も試みた多作家だと言う。ここで挙げられた二人は、この先の後期印象主義・新印象主義の所で作品が飾られているのか。またそれもじっくりと見ようと思う。
マネの「草上の昼食」と「オランピア」があった。明るい色彩を好む、印象派の父と呼ばれ、「色彩分割」を考案した。光の効果を重視し、連作に熱中したモネは「印象・日の出」や「ルーアン大聖堂」や「睡蓮」がここにあった。傍にあるルノワールは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と「桟敷席」があった。ルノワールは、風景画だけでなく人物画にも取り組み、調和の取れた線と輝く色彩、親しみやすい雰囲気が特徴だ。
これはシスレー。モネ、ルノワールと親交を結ぶ。「ポール・マルリの洪水」、「モレ・シュル・ロワンの橋」が飾られてあった。横にいる女子学生も、何度か自分の眼鏡や前髪に触りながらゆっくりと眺めている。
このコーナーは、ドガで終わりのようだ。ドガの「楽屋の踊り子達」だ。アトリエでの制作に執着し、室内の動きのある対象を瞬間的に凝縮、画面上に再現するのを得意とした。
こちらは、後期印象主義・新印象主義になる。一八八○年代~一九○○年頃のものだ。
先に絵を見てみる事にする。セザンヌの「サント・ヴィクトール山」、「大水浴」が良く描けている。彼について見てみると、…………印象主義の形態感覚の欠如を嫌い、明るい色の感覚を保ったまま物質的存在感を現す技法を開発したとの事だった。こちらのゴーギャンは、自分も良くは知らなかった。特に知らない。先に説明の方へ眼を向ける。外界の表現に留まらず、心理的な内容を持った絵画を目指す象徴主義な人で、一時的ゴッホと共同生活。後(のち)タヒチ島へ、か。「黄色いキリスト」と「タヒチの女」がここにある。ではゴッホを見てみよう。これは美術の時間にも習った事があるが、内容の詳細を詳しく把握している訳ではなかった。絵画は「ひまわり」と「糸杉」だ。アルル地方で描かれた傑作は強烈な色彩感覚を特徴とし、独自の画風を見せる。日本の浮世絵版画にも影響された(ジャポニスム)。
これらは、印象主義画家として出発した人々から新しい芸術運動が起こった。セザンヌの作品は後のキュビスムを胚胎し、ゴッホとゴーギャンの作品は表現主義の先駆けとなった。後期印象主義は、そうした画家達を一纏めにした呼称であり、一つの定まった流派と言う訳ではない。また、スーラとシニャックは点描画法を創造、実践した。更に言えば表現主義とは、二十世紀初頭のドイツ表現主義、戦後米国で起こった抽象表現主義等の総称らしいが、それでもまだ分かり辛(づら)い…………。そう思う。
世紀末のパリを愛し、ムーラン・ルージュに取材。ドガやゴーギャン、更に日本美術の影響を受けたのがこちらのロートレックだ。作品は「ムーラン街のサロンにて」がある。
新印象主義のスーラは、「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」を描かれている。自分としてはこれが新しく印象的になると思う。あくまで個人的な感想になるが、順番にきちんと見て行っているからこうなるのだろう。。科学的な点描画法を工夫して、画面を幾何学的な秩序感覚で統一されている。こう言う物を見るのは自分も好きだ。しかし、数学の図形や角度の問題をするのが好きな訳ではない。抽象的なものを見て自分なりの言葉で表現したくなったりするのは楽しい、とそう言う事である。
これはシニャックの「マルセイユ港」だ。これも新印象主義で、点描画法の実行者になる。後年、点描主義から脱した。
次は、ついに世紀末絵画に入る。十九世紀末、神秘・瞑想に形を与えようとした心理主義的画方が出現した。
幻想的でロマンティックな夢想を特徴したルドンは「花瓶の花」、「オフィーリア」を描いたそうだ。
続いて、マティス・ルオーの師であるモローによって描かれたのが、こちらの「出現」、「オイディプスとスフィンクス」だ。聖書や神話の題材を想像力豊かに描いている。
相変わらず、あの眼鏡を掛けた女子高生は、絵を見ながらメモを取っているようだ。テスト勉強と言うより、きっと趣味かサークル内での活動になるだろう。
御待たせの作品だ。これは良く知っている。ムンクの「叫び」だ。ムンク自身が叫んでいるのかと一時期勘違いした事も無い訳ではなかったが……。空間が歪んだ中で、人が量両手を頬に当てて叫び声を挙げている様子が伺える。他には「マドンナ」と「嫉妬」がある。彼は、ノルウェーの画家であり、孤独、不安、死の恐怖等人間の深層の感情を、独特の色彩と描線で描いた。
クリムトはオーストリアの画家で、ユーゲントシュティールの中心人物に当たる。装飾的、象徴的な性格になる。「接吻」、「ユーディト」、「生命の木」、「期待」、「成就」が絵画作品だ。ユーゲントシュティールとは、十九~二十世紀初めにかけてフランスで起こったアール・ヌーヴォー芸術のドイツ版になるそうな。
アール・ヌーヴォーは、アール・デコと一緒に次のコーナーにある。アール・ヌーヴォーは十九世紀末から二十世紀初頭に、ヨーロッパやアメリカで興った。蔓草のようなうねる曲線を多用している点が特徴だ。アール・デコはアール・ヌーヴォー様式の単純化を目指し、簡潔で幾何学的、直線的な様式に特徴がある。
フランスのガラス工芸家であったガレは、「ナンシー派」を結成。ガラス装飾の技法を究めた。「被せのガラス」もある。ふr何すのポスター作家・画家であったアール・ヌーヴォーの旗手的存在だ。巻煙草(まきたばこ)用紙「ジョブ」の広告ポスターが代表作だ。チェコスロバキア出身の画家になるようだ。
トイレがあったので、入る。用を足した後は、洗面台の前で髪をセットし直しながら色々考えていた。
これまでここで見た物で、特に印象に残ったのは、印象派で言うと、マネの「草上の昼食」、モネの「印象、日の出」、「睡蓮」、「聖アントワーヌの誘惑」、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、ドガの「踊り子」だ。
後期印象派で言うと、セザンヌの「サント・ヴィクトール山」、ゴッホの「ひまわり」、「星月夜」、「糸杉のある道」、ゴーキャンの「イア・オラナ・マリア」、「タヒチの女」だ。
トイレから出て来たところで、少し屈伸運動をしてまた歩く事にする。
そのまま順路を進む。これは何だろう?フォーヴィスム?これは二十世紀初めの物か。やっと二十世紀の所か、とこう思う。野獣(フォーヴ)派とも言うらしい。粗野な程の色使い、非写実的な形態描写等の極端な主情主義に特徴がある、と。やっぱり説明だけでは難しいな。
マティスの「緑の線の肖像」、「ダンスⅡ」、「音楽」。ええーと、何々(なになに)??色彩だけで形や綿を描写するフォーヴィスムのリーダー。ゴーギャンやセザンヌ、ゴッホに影響される。ほう。ルオーの「老いたる王」、「道化の頭部」。こちらは、フォーヴィスムと表現主義の初期の代表者。厚塗りで、ステンド・グラスを思わせる黒い輪郭線も特徴。良く見ると、確かにそんな感じに見える。こちらヴラマンクは、ゴッホに李京され独学で絵を描く。ドrナンとは友人、パリで活躍した佐伯祐三の師に当たる。成程。作品は「赤い木のある風景」、「バルモンドワの画家の家」か。これで最後なのが、ドランの「ロンドン・ブリッジ」と、「水浴する女たち」か。原色の絵具をそのままキャンバスに塗り込める強い表現。後年に洗練化、脱原色化する。難しいな。それにしても良く描けてる、とこれは当たり前か。思わず一人で微笑してしまうところだった。いやもう既に微笑か苦笑はしてしまっているのではないか。
階段だ。漸く二階へ行けるのか。よし。あの女子学生もメモ帳とボールペンを片手に持って徐(おもむろ)に階段を上(のぼ)っている。時々メモ帳を読み返す事もあった。
二階へ上がると、廊下の幅は一階と比べて少し狭まっていた。もうあまり作品は一階程展示されてはいないのかも知れない。残りのスペースは、倉庫や事務室、特別会場とかで仕切られているのだろう。
キュビズム(立体派)か。これも二十世紀初めになるようだ。抽象的・分析的に主題を捉え、幾何学的形態に還元処理して描く。
ついに、これはピカソか。スペインの画家且つ彫刻家で、二十世紀の美術の新様式の開発者になるようだ。相変わらず、これはシュールだ。分かり難い。深い意味を考察するのに一生懸命になり過ぎると、観察した側がノイローゼか心神耕弱でも起こしてしまいそうな程かな。いや、何かの雑誌や書籍の紹介欄で、実際に起こして自殺した者とかがいると言う話が見出しとして載っていたような…………?珍しい話だとは思うが…………まあ置いておこう。気を滅入らせるだけだ。「マヴィニョンの娘たち」と「ゲルニカ」。名称まではよく知らなかったか覚えていなかったかだけれど、絵を見れば思い出す事が出来たのは、後者になるだろうか。
ブラックは、瞑想的雰囲気に特色がある。「バイオリンと水差し」と言う絵がこれだ。
レジェ。これは力強い輪郭線と明るい色彩に特色がある。「森の中の裸像」はこの絵になる。
ドイツ表現主義の所に来ると、ベレー帽に眼鏡を掛けた、白髪掛った中年男性が片手を顎下に当ててじっくりと見入っていた。漫画家か彫刻家??若しくは美術評論家か何かだろうか?デザイン関係か何かの社員か社長さんが、趣味として見に来ているのかも知れない。普通の人でもああ言う感じの人はいなくはないかと考える。偏見するのもどうかと思う。あの恰好はファッションとして気に入っているような人もいるだろう。
話を戻す。ドイツ表現主義はと言うと、自己の感情体験を必然的な形で主観的に表現しようとする二十世紀初めの美術運動だったそうだ。ナチスに弾圧を受けるまでドイツを中心に盛んだった。
カンディンスキーの「冷たいかたちのある即興」は、見掛けない絵だった。彼はロシア出身。エネルギッシュな色彩と音楽的構成の抽象表現に特徴。後、「新芸術化同盟→ブラウエ・ライター(青騎士)。」とか書かれてあった。ノルデの「エジプトのマリアの生涯」。これは強烈な色彩とタッチ、か。確かにそのようだ。
エコール・ド・パリ、これは二十世紀前半の物のようだ。モディリアーニの「ジャンヌ・エピュテルヌ」と「横たわる裸婦」。後者についてだが、また裸か。純真さ、ありのままを現すのには最適と言えるのだろうか。イタリア出身の画家だそうだ。不思議な哀感が漂う面長の人物に特徴。スーティンはロシア出身か。「小さな菓子屋のボーイ」と「不吉な街」。お、これはなかなか興味深いかも知れない。対象の内面に迫る激しさに特徴があるのか。そして、このシャガールもロシア出身だ。「祈るユダヤ人」は良く分かる。それからこれは「曲馬師と鳩」なのか。無意識的なユーモアと幻想性に満ちた詩的な発想の主題に特徴。詩的、か。現代日本で言えばそれは難しいかも知れないな。人によって、何が詩的かは矢張り定義が異なる。例えばヤクザは暴力を正義としており、詐欺によって金を掠め取る話をしたり相手をイ痛めつけて金品を強奪する話をするのが詩的だと思っていはしないのだろうか。チンピラにとっては当て嵌まるのではないだろうか。ここでもう俗な事はさて置くとしようか。絵の鑑賞に戻ろう。
ポーランド出身の、キスリングの「キキの肖像」とは?明るい新鮮な色彩のようだ。
日本人の物があった。藤田嗣治の「友情」と「秋田の行事」だ。細密描法に特色がある。
以上は、両大戦間のベル・エポックにパリのモンマルトル・モンパルナスで製作に当たり、明確なグループ・運動団体に属さない個性的な画家達を総称している。またこれも難しい話だ。政治や戦争の事はやっぱり分からない。本当に政治に詳しい人間、聡明な人間もこの世には存在すらしないのかも知れない……………………。
いよいよ再穂のコーナーだ。よくここまで来たものだ、と自分でもこう思うところになった。
こちらに「ダダイスム(破壊主義)からシュルレアリスム(超現実主義)へ」と大きく書かれていた。ダダイスムは第一次世界大戦前後、西欧文化全体への反抗として出現した虚無的な芸術運動。シュルレアリスムは、詩人のアンドレ・ブルトンが主唱。
デュシャンはフランスの芸術家で、芸術の概念そのものを否定。キネスティック・アートとレディ・メイドの先駆者との事だ。
エルンストは、夢や異次元世界の表現に当たり、幅広い技法・様式・媒体を駆使。「セレベスの象」がこちらになる。
ミロの「アルルカンの謝肉祭」も印象的だ。「オランダの室内」と言う物もある。幾何学的モティーフがうねる特徴的明るい色彩感の画面だ。
マグリットは、思い掛けない配置や幻想性が特徴になる。「人の子」と「聖家族」がここにあった。
ダリは、奇矯な言動で知られたスペインの画家だ。絵画作品は、「記憶の固執」のようだ。
これで全部見終わった。この達成感は久しぶりのものだったに違いない。この階段を下りて、もう外へ出ようか。向こうはスタッフ・オンリーになっている。太い紐に札が張られており、その先にもいくつかはドアがあった。すぐ横に降りる階段がある。
外へ出ると、日差しは強く感じられた。先程の女子学生も出て来た。女子学生は誰かを待っているのだろうか。
するとその時、女子学生の前にショートカットで私服の女の子が現れて、声を掛ける。
「あ、山本先輩じゃないですか!」
「ん?」
「まあ先輩って相変わらず、制服が御好きなんですねえ!」
「え、まあね。田中さんは何かの帰りなの?」
「はい、御使いを頼まれていたんですう。」
「そう。」
「山本先輩は、私達と同じ美術部の他、漫画同好会や文芸サークルにも掛け持ちで参加して、忙しそうですね。でも、頑張って下さいね。」
「忙しいけど、好きだから大変じゃないけどね。」
ここで、その山本と言う眼鏡の女子学生に、初めての笑顔が見られた。やっぱりいつもはこれ程クールなタイプの人なのか。もう一人は、かなり元気そうだ。スマイリーとラフを行き来する感じだろうか。
「山本先輩は、今日は美術館で芸術鑑賞ですかあ。寧ろ研究ですよね、それって。知的で熱心ですねーー。」
「そんな事ないわよ。」
「だって、国語も歴史も美術も出来るんですもの。私は、美術以外芳しくないです。」
「私は来年、受験だけど、あなたも頑張ってね、田中さん。」
「はい、頑張って私も私立の芸大受けますっ!」
「そう。じゃあね。御機嫌よう。」
「バイバイ、先輩!また来週学校で宜しく御願いします。」
すると二人は別れた。
なかなかしっかりした子達だ、と思った。他にも何か色々話していたようだった。フォーヴィズムでは、マチスの「ダンス」や「帽子の女」、ルオーの「ミセレーレ」が特に印象に残った事や、キュービズムであるブラックの「クラリネット」も素敵だった、ピカソの「アビニョンの娘たち」や「ゲルニカ」は凄かった、など等。
ここで自分も、シュール・レアリスムであるサルバドール・ダリの「内乱の予感」が印象に残ったとか思い巡らす。
すぐ傍では、あの時のベレー帽と眼鏡の男性が煙草を吹かしていた。この人もぼちぼち家に帰るのだろうか。
そう思いつつも、自分は美術館をゆっくりと後にして駅へと向かった。
絵が描ける事も、幸せだろうか、と考えたりしてみた。人間は誰でも、創造性を持っている。絵に限った事ではなく、それはより良い社会を創り出す為にも、人間関係の絆を深める上でも必要な事になるだろうと思う。いや、きっとそうなる。それを信じてやまない。世界の事を知る為に、先ずは歴史を学んでみる事から始めてみようかと考えた。
了
美術館(museum) 千馬章吾 @shogo
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