十勝の風

@satoestyle491115

第1話

 北海道の夏は短い。

花火大会や夏祭りのにぎわいもお盆をピークに日常へと戻り、翌週には子供たちの新学期が始まる。9月に入ると十勝の昼間の気温は20℃程度に下降し、夕方6時にもなればとっぷりと日は落ちてヒンヤリとした風が頬をなでる。

 2013年のそんなころ、テレビから聞こえてきたカタコトの「トウキョウ」の声。そして、喜びと興奮で弾ける東京招致団たち。日本のほぼ裏側、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから届いた東京での2020年オリンピック・パラリンピック開催決定のニュースは、どれも割れんばかりの歓声と涙であふれ、しばらくの間、十勝でも繰り返し放送された。

 十勝は、北海道の南東部に位置する1市16町2村からなる地域だ。東京都の約5倍の面積で、北区の人口とおよそ同じく、主な基幹産業は農業と畜産(酪農業)である。

展望台から見える十勝平野の眺めは、どこまでも広がる畑が色彩豊かで「まるでパッチワークのよう」と、訪れる観光客を魅了する。

小麦、ジャガイモ、ビート(甜菜)、豆などが植えられた畑のパッチワークは、毎年異なる模様である。それは、同じ場所に同じ作物を植え続ける「連作」をすると、土の中に一定の病害菌や虫が増えて農作物の成長や収穫量に影響を及ぼしてしまうため、「輪作」という方法をとるからだ。

 十勝の桜の開花は5月に入ってから。雪解けを待ちに待った畑では一斉に植え付け作業が始まる。この時期の農家はどこの家でも猫の手も借りたいほどの大忙しで、ゴールデンウィークは連休どころの話ではない。

5月も中旬になると、アスパラガスが約二ヶ月の短い旬を迎える。アスパラガスは一本、一本、鎌を使って手作業で収穫をするのだが、その切り口にはたちまち滴がにじむ。刈り取った瞬間から鮮度が失われていくため、出荷作業は時間との勝負である。

長イモの収穫も手作業だ。はじめこそ機械で穴を掘るが、あとはそこに人が入って、一本ずつ掘り出していく。体の半分ほどの深さから掘り出される長イモは、男性の片腕ほどもあり、重くてとても傷つきやすい。ふとした力加減で簡単に折れてしまうので神経を使う。土を払いそっとコンテナに並べる動作は、まるで赤ちゃんを寝かせるかのようだ。

このように、農作物を手作業で収穫することは珍しいことではない。十勝の販売農家一戸当たりの経営耕地面積は平均41.6ヘクタール。これは、東京ドームの約9倍の広さである。あまりの広大さに、畑の範囲を尋ねられても「見えるところ、むこう側までずーっと。」、「この辺全部!」と、答える農家は多い。

 畜産(酪農業)も、十勝を支える重要な産業だ。近年、肉牛の品質向上やブランド化がめざましいが、やはり、牛と聞いて思い浮かぶのは、白と黒のまだら模様で大きいおっぱいのホルスタインだろう。広い牧場でのんびりと草をはむホルスタインの姿は、もうそれだけで「十勝」だ。

 乳牛は毎日、朝晩2回搾乳をする。ところで、なぜ牛のおっぱいからお乳が出るのかご存知だろうか? 大人へと成長すれば自然と出るようになるわけではない。お乳が出るように繰り返し出産をさせているからだ。

牛の妊娠期間は、人間と同じ10ヶ月。出産直前の「乾乳期」以外は休みなく搾乳し、産後約50日でタイミングを計り次の妊娠をさせる。牛の発情期はおおむね20日ごとで、受胎の可能性の高い時期を見計らい、主に人工授精で妊娠を促す。牛はとても繊細な生き物で、ささいなことで体調を崩すため気は抜けない。

 十勝の一農業経営体あたりの乳用牛の飼育頭数は約167頭。牛舎には、妊娠中や出産間近の牛、出産後の牛、そして、生まれたばかりの子牛たちが絶えず存在し、分娩が重なったり、連続することもある。

出産を5~6年ほど繰り返すと乳量は徐々に減少し、妊娠しにくくなる。健康状態や季節によって餌の配合を常に考慮するが、牛の回復の可能性とコストを見極め、「廃牛」の選択もしなくてはいけない。経済動物とはいえ、牛たちの体の変化や仕草、行動をつぶさに観察し、飼養している生産者の気持ちは、いかばかりだろうか。我々は、こうして牛乳(生乳)を得ることができているのだ。

 大地の恵みと生き物からの恩恵は、豊かな自然環境さえあれば手に入れられるものではない。どちらも隅々にまで人の手と目が行き渡っているからこその“尽力のたまもの”なのだ。トラクターや搾乳機といった作業用機械も多種多様だが、これらがどんなに進歩してもすべてが自動で一件落着とはいかない。

ひたむきで手厚い営みからもたらされる十勝の特産品は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックとともに、風となって世界中へと吹き渡ることであろう。


<資料;農林水産省「2015年農林業センサス」、「北海道農林水産統計年法(平成28年)」>

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