名付けて「異次元貯金箱」

千馬章吾

名付けて「異次元貯金箱」

 これは小学四年生だった頃の、実際の話になる。



小学四年になって、小遣いを月に五百円ずつは必ず貰うようになってから、小遣い手帳と言う物も付ける事になった。高学年にもなったので、自己管理は自分でするようにと親からそう言われて、自分もする事にしてそう決めていた。

それまでは、ずっと御手伝いで稼いだり、お年玉から少し御小遣いに還元したりしていたものだった。

基本金は、五百円であったが、御手伝いを幾つかすると、臨時収入と言う形で、御小遣いをくれた。二百円だったり三百円だったりしたけれど、ある二学期の終わりが近付く頃、テストで九十点以上を三枚も取って成績がぐんと上がったその上に、おかげでその時当分上機嫌だった自分は、弾みで皿洗い、草むしり、風呂掃除と何から何までやった事がある、あの土曜日を思い出す。三枚目のテストが返って来たのも、その土曜日になる。その日の夜は、親は大喜びして、一度に三千円もくれた事がある。普通の小学生にしては、それは大層な金額だっただろうと思う。あの時は流石の自分も、会心の笑みを漏らしたものだった。

そしてあっと言う間に正月を迎えた。これまでの正月は、新しいゲームソフトを買いに行った時、お年玉とは別に親または親戚の伯父さん達が御金を出してくれていた。そして今年限り、また伯父さんと親が出してくれる事になった。勿論、感謝しなければならないだろう。このような良い事は、決して何処の家庭でもあるような事ではないと思う。でもそれはもう今年限りで、来年からは自分のお年玉で買うようにとそう言い付けられた。

おかげでまた御小遣いが溜まった。昨年と同じく、お年玉の三分の一ぐらいを、自分の小遣いにしていた。これで自分の御小遣いが、一万円は超えているだろう。またテストや御手伝いを頑張れば良い、とそう思った。

自分は勉強は好きではなかった。運動も好きではなかった。テストでは、頑張り次第で良い時は八十点とか九十五点、九十八点と取る場合があるが、酷い時は四十点前後とか五十点程度の時もあった。その時は、流石にこっ酷く叱られた。二十点しかなかった時は、親は怒る気にもなれなかったようで、きつく言われる事はなかった。



 あれから小遣いに困る事が無い日々が続き、間もなく半年以上が過ぎた。

ある事を忘れていた事に気付いた。それは、正確に言えば二点もある。

一つは、小遣い手帳を半年もずっと付け忘れていた事だった。

もう一つが、更に重大な事になる。

親から、月の御小遣いを貰うのを、すっかり忘れていたのだった。小遣いに困っていなかったからだろう。新しく買ったゲームや、最近のアニメが面白くて、それに夢中になっていたせいもあると思う。

その夜、親にその事を話すと、「嘘――っ。」と親も驚嘆していた。自分も親も御互いに忘れていたのだった。理由は多分それぞれ違っていたと思う。自分は、当分小遣いには困っていなかったから、そして親は、忙しかったから、と。きっとそうなるのだろう。

そして、渋々と親は自分に、これまで忘れていた分を三千円、纏めてくれた。その時、自分は逆にとてつもなく嬉しかった。

高校生になって今思い出した自分は、こんな言葉を思い付いていた。

そう。あれは「異次元貯金箱」と言う奴だな、と。その時の自分は、もう漫画の他に文学や哲学の世界にも目覚めていて、すなわち抽象的な言葉の表現や修辞法(レトリック)を使うのがすっかり上手になっていた。想像力、洞察力、創造性が高まり、クリエイティブな人間になっていたから、こんな滑稽な?言葉を思い付いたのかも知れない。それでそう名付けたのだった。あれは「異次元貯金箱」である、と。友達に話せば、その友達はそれなりに笑ってくれた。

その「異次元貯金箱」と言うのは、説明すれば、つまりこう言う事である。



異次元とは、ここにはない異なる空間。それはいつ現れるか分からない、その空間に続く扉が突如開かれる。それを貯金箱に例えれば…………。

具体的に言えば、…………”御小遣いを貰い忘れていたそのおかげで、自分はその間その分、無駄遣いもしなくて済んだ、と言う事になる。貰っていたならば、貰っていない場合よりはまだ多目に使っていただろう、きっと貰った分の幾つかは、消えていた。でも貰えていなかったおかげで、その全額を使わずに済んだ。”と、こう言う訳である。

ある時、その異次元の扉は再び開いてくれた、と言う目に見えない貯金箱と言う意味付けでどうだろうか。

自分にとって、その異次元貯金箱は、もうあれきりになるのだろうとそう思う。



 そしてある日、昔からの友人Tからは、更にこんな話を聞いた。自分とよく似たぐらい節約家であり、農家で育ったTは、よく田畑での農作業を手伝って御小遣いを貰う事があったらしい。そして彼も、前から小遣いを月ごとに五百円は親から貰っていたとの事だ。

 何と、彼は自分以上の異次元貯金箱と出会った。しかし…………。それは今から説明出来る。



***

T「俺、親から小遣いを貰い忘れて、知らないうちにあのまま三年も経過しててさ、そのままその分の小遣い、もう親からは纏めて貰った訳でもないんよね。今頃言っても、親は吃驚(びっくり)して、腰抜かすかもと。それにもう今更全額くれるとはとても思えないからさ。色々あげただろう、とか言ったりしてさ。」

「へえ、そうなんだ。でも一応、言ってみたらどうかな?」

T「親にか。今頃?いやあ、もう良いよ。お年玉を多く貰ったり、農作業とかしてまあまあ俺も儲けてるし。」

「そう。でもその分貰えないってやっぱり残念じゃない?」

T「まあね。まあ良いじゃないか。済んでしまった事さ。」

「本当に良いんだ。凄いなあ。僕が君なら、多分言うと思うけど。」

***



 そう…………。つまりそのTは、折角の異次元貯金箱とやらに小遣い三年分、そう、凡(およ)そ一万三千円にはなっていたであろう、そんな多額にもなる御小遣いを貯金出来ていたと思ったのに、その異次元の扉は、あれから二度と開く事はなかった、とこう言うものなのだ。

 一応、親に言えば半額は帰って来るかも知れないのに…………。

 彼のあっさりした性格には感心する。そう、彼も彼の親も、家でもあれこれと忙しくて色々勤勉で苦労が多いみたいなので、うっかりなんて言うものではないと、ここで思う。このような事を考えられる自分は、よく優しいとか、御人好しだとか、気遣いが良いとか言われたりもする。

 さらば、異次元貯金箱よ。次は何処(いずこ)へ?次は何方(どなた)の許(もと)へ?行(ゆ)くのだろう……??

                                       

                 了

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名付けて「異次元貯金箱」 千馬章吾 @shogo

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