第4話 LINE
榊アイ。不思議な人だった。作品通りの世界観を纏ったまま、現代のこの東京に生息してるのかと思うと……いろんな意味で凄い。何故あの人は国の天然記念物に指定されないんだろう。絶滅危惧種としてレッドデータブックに載せてもいいくらいだ。
ベッドにひっくり返っていろいろ考えていた俺は、ふと思い立ってPCを開いた。彼女のエッセイを読むためだ。
そもそも「エッセイ」って何なんだ? 俺は元々が読書家ではないから、エッセイとかSFとかミステリーとかっていう分類がさっぱりわからない。本を買う金もないし、図書館に行くのも面倒だから、小説投稿サイトを覗いて素人さんの小説を見て面白がってるだけだ。
この素人の小説というのがなかなかに面白い。どんどん読み進められるような凄まじい引力を持った作品もあれば、一話目さえも最後まで読めない作品もある。俺はどっちかって言うと、それを分析して楽しむ方が好きなんだ。何故この人の作品は最初の一行でどっぷり世界に入り込めるんだろう、何故この人の作品は十行読むのがこんなに苦痛なんだろう、そうやって見ていると傾向が見えて来る、それが面白くてやめられない。
榊アイのエッセイは凄まじい引力というほどのものは無いのだが、「なんだか気になる」という類のものなのだ。それもまた不思議だ。
彼女のページを開く。あ、最新話がアップされてる。コーヒー片手にワクワクしながらそのページを開き、次の瞬間にはPCの画面は見事に俺が噴いたコーヒーでまみれていた。
『王子様』
あたしの王子様を見つけた。
その人は新宿にいたの。
あたしがふりかえるとそこに彼がいて、
一目で恋に落ちたあたしは
星をたくさんばらまいてしまった。
王子さまは一緒にあたしの星を集めてくれて、
お礼に差し出したイチゴを食べてくれたの。
イチゴが好きな王子様。くふ。可愛い。
俺はキーボードにコーヒーがかかっていないことを確認し、急いでタオルで画面を拭いた。
……新宿って……王子さまって俺かよ。ばら撒いたのはショルダーバッグの中身だろ? スマホとかリップクリームとか手鏡とかハンカチにティッシュに手帳に……それが『星』なのか。確かに食べたよ、イチゴ。差し出されたよ。
つまり彼女のエッセイは基本的に実話に基づいてるのか。その日にあった出来事を、榊アイ語で書いてるだけなのか。
でも待て。たったそれだけのことなのに、なぜこの人の文章はたくさんの人を惹きつけるんだ? 『榊アイ語』そのものの魅力なのか?
今日のこの『王子様』を、他の読者はどんなふうに読んでいるんだ? 待て、俺はこれをどう読むんだ? 当事者ではなくて、一読者として読むとどう見えるんだ?
先入観をすべて排除して読む。これはなかなかに難しい作業だ。想像力を総動員し、いつもと同じ状態になる。
と、その時、LINEの着信音が響いた。スマホを開いて確認するまでもなく、相手が榊アイであることを認識する。理由は簡単だ。LINEを利用したことのない俺が、この人に開設させられたんだから!
▷こんばんは。八雲君の事、最新話に書いたよ。誰も八雲君の事なんて思わないよね、くふふ。あれだけ見たら、王子様って子供だと思う人がいるよね。
なんて返したらいいんだ? 気づいてないフリしようか。大体俺はメールでさえ面倒だから仕事以外メールは使っていないってのに。あ、そうかLINEは『既読』が付くのか。気づいてないフリってできないんだ。ああもう、面倒だな。あ、また来た。
▷返信悩んでる? 別に返信しなくていいんだからね。読んでくれたらそれでいいの。既読ついて「あ、八雲君読んでくれた」って思ったら、あたしは満足しちゃうから。
返信しなくていいのか。それならまだ気が楽だな。でもなんで俺なんかにやたらと声かけて来るんだ? 他に友達いないのか?
▷くふ。読んでくれてるね。プリンアラモード美味しかったね。また食べに行こうね。あたし滅多に新宿行かないけど、八雲君が新宿の方によく行ってるならあたしも行くよ。
は? 俺だって新宿なんか行かないよ。今日は客先で仕様説明して、早く終わって直帰していいって言われたからのんびりしていられただけだよ。新宿なんかに呼び出されたら堪らんな。
◀新宿は滅多に行きません。アイさん、田園都市線なんでしょう? 渋谷の方が得意なんじゃないですか?
はっ! 送信してから気づいたが。俺、ナチュラルに返信してる! しかも凄い速さで返信が来た。
▷八雲君から返事来たー♡ きゃー嬉しい!
▷やっぱりあたしの王子様だね♪
▷あのねあのね。あたし用賀なの。砧公園の近くだよ。くふ。
▷ねえ、なんであたしが田園都市線ってわかったの? あたしに興味あるの?
立て続けか。どれから返事したらいいんだよ。
◀三軒茶屋と言っていたので田園都市線だと思っただけです。あまり知らない人に個人情報を話すのは良くないと思いますよ。私が変な人だったらどうするんですか?
▷八雲君、変な人じゃないもん。ねえ、王子様の事はスルーなの?
返信早い! ついて行けない。
◀スルーって言うか、なんて答えたらいいんですか? どんな答えを望んでるんですか?
▷王子様って呼ばれた感想をどうぞ!
だから早いって……。
◀王子様とか意味分かりません。
▷ごめん、八雲君怒った? あたしが馴れ馴れしいから? そうだよね、今日初めて会ったばっかりだもんね。なんだか嬉しくて一人ではしゃいじゃった。ごめんね。迷惑だったよね。LINEもうしないからね。ごめんね。
えええええ? 何故こうなる? 勘弁してくれ!
◀いや、待って、そうじゃないです。ただ普通に意味が判らないだけです。怒ってません。迷惑じゃありません。大丈夫です。すいません、LINEとか慣れてなくて、よく判らないんです。
なんで俺は弁解してるんだ?
▷くすん。良かった、八雲君に嫌われちゃったかと思ったよ。あのね、あたし八雲君に嫌われたくないから、嫌なときは嫌って言ってね。いい子にするから。
早い。返信も早けりゃ立ち直りも早い。しかし、この人一体歳いくつなんだ?
というか、この人に付き合っていたら俺は今日寝られないんじゃないか? 適当に話を切り上げないと朝まで付き合わされそうだぞ?
◀お風呂入ってきます。おやすみなさい。
これでよし。あとは着信があっても見なければ既読はつかない。大丈夫だ。
▷はーい、またね♪ おやすみ、あたしの王子様、ちゅっ♡
……とにかく風呂に入ろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます