第30話 キリク

 ああ、誰かが呼んでる。

 返事をしようと口を開いたら、液体が流れ込んできた。甘い甘い水。

 のどが渇いてたみたいで、喉の奥がひっついて咳き込んだ拍子にこぼれてしまった。ああ、もったいない。これ、最高級品のポーションだ。

 そこまで考えてぱっちり目を開けた。もやがかかったようだった頭の中もすっきりして、体をめぐる魔力も湧き上がってくる。

 がばっと起き上がると目の前にユーリの顔があった。


「クラン!」

「へ……」


 最後に見たユーリの傷だらけの姿が脳裏に浮かんだものの、目の前にいるユーリには傷一つない。

 もしかして、全部夢だった? それにしてはひどくリアルな夢よね。

 それに……さっき飲んだの、なんで最高級品のポーションだなんて知ってるの、あたし。前にぶっ倒れた時は知らない間に飲んでたから、味なんて知らないはずなのに。


「王子様のキスは効果覿面だな」


 背後からからかうようなキリクの声が飛んできた。体をねじると、見覚えのある顔があった。でもなんだか地味に感じるのはなんでだろう。


「キリク……だよね?」

「あー、そう。色が元に戻っちゃったからね。これが本来の色」


 言われてようやく気が付いた。ああ、そうだ。亜麻色の髪の毛とこげ茶色の瞳はユーリ嬢の色だった。


「色変えの魔法……」


 それをきっかけにしてぱたぱたっと記憶がよみがえってくる。


「キリクあんたどこ行ってたのよっ! 彼女はっ? ユーリが大変なことにっ」

「わかってるから、落ち着け」


 キリクの胸ぐらをつかみ上げると、やんわりとその手を外された。なんだか笑われてる。それどころじゃないってばっ。


「君の王子様はそこにいるだろ?」


 ぐいと頭を横に向けられる。その先にはユーリがいた。眉間にしわを寄せてじっとあたしを見ている。


「ユーリ、大丈夫? 傷は?」

回復薬ポーション飲んだ。それより、お前なんであの時あの大技使ったんだよ。上でユーリ嬢と結界にいろって言っただろうが」

「……へ?」


 あれ? 違ったの?

 だって、彼女があの檻に囲われている限り、どうやってもあそこから逃げることはできなかったし、あれが最善策だと思って……。

 見る見るうちにユーリの眉間のしわが二本に増える。


「言っただろ? お前は彼女を守れって」

「……ちゃんと守ってたよ? 結界張ってたし」


 はぁ、とため息をついてユーリはあたしの頭に右手を置いた。


「結界の中に一緒にいろと言ったつもりだったんだが……ほんとお前は鈍いな」

「う、うるさいわねっ」


 鈍い、の一言に、別のことまで思い出してあたしは視線を外す。やだ、顔が熱くなってきた。


「だがまあ、お前のおかげで危機的状況を打破できたのは事実だ。ありがとな」


 頭に置かれた手がゆっくりと撫でるしぐさに変わる。


「でも、無茶はするな。……お前が倒れるのを見るのは、つらい」

「……ごめん」


 もとはといえば、あの時にユーリが飛び出していったのが原因だよね? 多勢に無勢なのはわかってたはずだし、結界を維持できる限りは時間稼ぎできたと思うんだけど。

 ううん、それよりも。

 あたしは顔を上げる。あれ、いつの間にかユーリの胸に顔をうずめてる? ちょっと、腕の力抜いてってば。


「ちょ、苦しいってば」

「ああ、すまん」


 もがいてなんとか体の自由を取り戻すと、あたしはキリクの方を向いた。

 なんか知らないけど、楽しそうにあたしたちの方を見て笑ってる。笑ってる場合じゃないでしょうに。


「そもそも、キリクが隠し事してたのが悪い」

「えー? そこで僕に八つ当たりする?」

「八つ当たりじゃないっ。なんでいきなりいなくなったわけ? あの黒いローブの男もそうだし、反逆者だのなんだのって……」


 続きを言おうとした途端に声が出なくなった。ぱくぱくと口を動かして抗議するけど、キリクはくすくす笑ったままだ。


「おい、キリク。どういうつもりだ」


 いきり立ってユーリが立ち上がる。が、キリクはにっこり微笑んだ。


「いやさ、いろいろまずいことを口走りそうだからちょっとね。……もし最初に本当のことを伝えてたら、君たち僕らの依頼、受けてくれなかったでしょう?」


 当然だ。そんな厄介ごとに巻き込まれたくないもの。

 そう声も出ないけど口を動かしたら、キリクはやっぱりね、と頷いた。


「だから本当のことは言えなかった。まあ、言った時点で君たちにはやっぱり拒否権はなかっただろうけどね」

「正体も目的も隠し続けたのはそれだけが理由か?」

「まあ、それにせっかく色も入れ替えたし、ばれないようなら旅を楽しめるかなとも思ってね。……彼女は城の奥から出ることなんて今後一生ないだろうから、最後の息抜きにさ」


 彼女――あの時の指揮官はなんて呼んでたっけ。


「ユーレリア姫と言ったな」

「そう、隣国アクリファイアの第三皇女。君たちを襲ったのはアクリファイアから派遣された姫の護衛だよ」

「何……」


 ユーリが気色ばむ。あたしも音のない悲鳴を上げた。

 嘘、冗談でしょ? あたし、隣国から来た正規の護衛兵を叩きのめしちゃったじゃないの。……あの時は生死なんか気にしなかったから、死んだ人もいるに違いない。

 顔を両手で覆う。ああ、もう終わった。大罪人として処刑される未来が想像できてしまう。


「クラン……」

「あー、悲嘆に暮れてるとこ悪いんだけどさ、誰も死んでないから」


 え?

 驚いて顔を上げると、涙でにじんだ視界にキリクが微笑んでいた。


「間一髪で間に合ってねー。とっさにその場にいる全員に結界張ったから。さすがに人数多くててこずったけど、打ち消すよりは確実だと思ってさ」


 結界、張った? あの時、家の周りには百人以上いたはず。それを全部?


「いや、そこまで驚かなくてもいいんじゃない? ちなみに僕、中途半端な君よりは上位の魔法使いだからね?」


 そういえばそうだった。というかそれすらも内緒にしてるとか、いろいろひどいんじゃないの?

 目尻に浮かんだ涙をぬぐってじろりとキリクをにらみつけると、ますます嬉しそうに微笑む。何なのこの人。


「まあ、そういうことなんで、二人については無罪放免になると思うよ。事情聴取はされるだろうけど」

「……知ってることを洗いざらい喋ってもかまわんな?」

「どうぞご随意に」


 それにしても、なんでキリクがあの人たちと交渉してるんだろう。

 あの時確か、『反逆者』って呼ばれてなかった?


「で、なんで貴様が反逆者と呼ばれているんだ?」

「あー……それ説明しなきゃだめ?」

「当たり前だ! 俺たちを巻き込んだ理由もきっちり話せ」


 ユーリが声を荒げる。うん、本気で怒ってるな、これは。


「その前に、なんでユーリがこっちの国にいたのか、って説明をしようか。それがわからないとたぶん、理解してもらえないだろうから」

「いいだろう。……貴様が偽婚約者のふりができないという理由もな」


 ユーリの言葉に、キリクは苦笑を浮かべた。

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