第29話 業炎の輪舞
微妙にくすぐったいような空気の中、なんとかかんとか最後の食用ラビの塩焼きを口に押し込んで一息ついた時だった。
あたしは顔を玄関のほうに向けた。
「クラン」
「……来る」
素早く呪文を唱えて探査域を広げる。途端に脳裏に赤い点が広がった。
……え、ウソ。なにこれ。
「クラン?」
「三十、ううん、もっと」
さっと表情を引き締めてユーリが動く。剣を手にして玄関のほうへ。あたしは続々増える敵意の赤いポイントを数えることもやめて拳を握りこんだ。
これがすべて敵だとしたら。
百人なんてもんじゃない。もっとすごい数が集まってきてる。こんなの、ユーリ一人でどうにもなんない。
「ユーリ!」
「お前は彼女を守れ!」
がなり立てて剣を抜き、ユーリは玄関の扉から飛び出していく。
だめだ、ここで狼狽えたって意味がない。
ばくばく高鳴る心臓と凍り付きそうな足を叱咤して動かすと、さっと部屋の中に視線を走らせる。念のためユーリとキリク以外は通さない捕縛用結界を一階に張り巡らせて階段を上がる。
彼女――ユーリ嬢が捕らわれた檻の部屋に飛び込むと、彼女も何かを察知していたようでベッドから立ち上がっていた。
あたしは窓にとりついて、押し寄せているはずの敵を見ようと身を乗り出した。
途端にひゅっと音がした。結界の外側で矢がはじかれて落ちていく。音のした方角を見ると、
「なんで……正規兵がいるの」
「正規兵?」
あたしが姿を見せたせいだろう、同じ場所に矢がいくつも降り注いでくる。その程度で割れるような結界じゃないけど、慌てて顔をひっこめた。
「クランさん、敵の様子、教えてもらえますか」
振り向くと、ユーリ嬢は眉根を寄せてあたしのほうを見ていた。これが彼女たちの言っていた追っ手なのかもしれない。
小さくうなずいて、あたしはそっと外をうかがう。
「矢を射かけてるのは十人ぐらい。物陰に隠れてる。銀の金属鎧をぼろきれで隠してるわ。紋章のようなものは見えない」
「矢羽の色はわかりませんか」
「ちょっと待ってっ」
外側に捕縛用の罠を仕掛けておいて、顔を出す。最初に飛んできた矢をうまく捕まえると、部屋の中に通した。からんと落ちた矢を彼女の檻に運ぶ。
一本矢が通ったように見えたのだろう、顔を出してなくても矢の射かける音が激しくなった。
この状態では、いつ火矢をかけられるか分かったもんじゃない。そうなったらこんな空き家なんかあっという間に燃え広がる。
あたしを見て躊躇せずに射かけてきたということは、殺すつもりがあるということ。街中で仕掛けてきた連中に違いない。
「これは……我が国のものですね」
「我が国?」
そう言われてもあまりピンとこない。
冒険者やってあちこちふらふら出歩いてると、どこが自分の国って意識、薄くなるんだよね。……故郷の国にいい思い出がないからなおさら。
えっと、メルリーサからアクリファスまで移動してる途中で、国境はまだ超えてないはず。
なら、まだリグレイドの国のはず。
リグレイドなら以前、パーティを組んでた時に大がかりな妖獣討伐に参加した。あの時は確か王国騎士団と地元の正規兵で編成された討伐隊も一緒だった。
ユーリ嬢が手にしている矢の矢羽は根元は黒く、先に行くにつれて朱色に塗られている。
こんな矢羽の色だっただろうか。リグレイドは王家の紋章に白と青を好んで使う。他の貴族たちの私兵ならともかく、王国騎士団の使っている矢羽が黒や赤とは思えないんだよね。
だとすると他国の正規兵ってことになるんだけど、他国の正規兵がこんなに入り込んでいるわけ? そんなに簡単に入れたっけ。
「ええ。……もしかすると、キリクと入れ違いになってしまったのかもしれません。キリクが迎えに行ったはずの兵士たちだと思います」
「それほんと? それにしてはあたしの顔めがけてがんがん撃ってくるけど」
しかしユーリ嬢は困ったように眉を顰めるだけだ。
なんかいい手はない? 彼らがユーリ嬢を守るために来たのか、そうでないのか。
「どうやったら確かめられる? というかユーリさんたちを狙ってる人たちでないってどうやって見分けたらいい?」
敵意丸出しの相手に諸手を挙げて降参するとかしたくない。絶対ハチの巣になる。
ユーリ、大丈夫だろうか。剣戟の音は聞こえてこないから、まだ切り結んではいないのかもしれないけど。
「困りましたわ……わたしを狙うのも我が国の者なのです。……せめて指揮官が誰かわかるといいのですけれど」
「指揮官ね!」
勢いよく窓から顔を出す。相変わらず降り注ぐ矢。自分に向かってくる矢の集合ってすごく気持ち悪い。ちゃんと結界で防げるとわかっていても、思わず手で顔をかばってしまう。
それらしい人を探して見るが、こちら側からは見えない。反対側の子供部屋の窓は打ち付けられてて開かない。仕方なく一階に降りようとしたところで声が聞こえた。
「反逆者キルレイン・リグレイド、ここにいるのはわかっている! ユーレリア姫を返してもらおう!」
反逆者……? 姫?
いや、それよりも。
玄関の扉はユーリが飛び出していったまま開きっぱなしで、薄暗い室内から外の状態は丸わかりだった。
結界が破れなくて兵士たちは外にぐるりといるらしい。確かに、探査ではこの小屋の周りをぐるりと兵士が囲んでいるのがわかる。
静かに音を立てないように階段を降りていく。
そんなことよりも。
さっきから声を張り上げてる指揮官らしい男の前に、短い銀髪の男が縛られて転がされていた。
さっきまで一緒にいた人。
好きだと言ってくれた人が。
剣を手に飛び出していったはずのユーリが、あちこち血をにじませて後ろ手に縛られている。
「ユーリ……」
やだよ。
なんでこんなことになってるの。
ただアクリファスまで護衛として行くだけの簡単な依頼だったはずでしょう?
あたしまだ何にも返してないのに。
あたしの声が聞こえたのか、ユーリは体をねじってこっちに顔を向けた。縄を打ってからいたぶったのだろうか、顔にいくつもの傷がある。
外は明るいからか、指揮官の男は暗い家の中にいるあたしには気が付いてないらしい。ユーリはじっとあたしを見据えたまま、動かない。
太刀打ちできないのはわかってて、あたしの時間を稼ぐためにユーリは打って出たんだ。
この状況を打ち破れるのは、あたしの一発しか打てない大技。それしかない。
ユーリ嬢を動かせないから、一発で決めろってこと。
「いいのね」
小さな声でつぶやく。じっとあたしの口元を見つめていたユーリは小さくうなずいた。
一度しかチャンスはない。……失敗したり、敵兵を取り残したりしたら、結界が消えてユーリ嬢もユーリも危険にさらすことになる。
音をさせないように上に戻ると、ユーリ嬢の部屋に顔を出した。
「クランさん、どうでした?」
「え?」
「あの、指揮官を見に行かれたのでは?」
訝し気なユーリ嬢の声に慌てて記憶の底を探る。どんな男だったか観察する余裕もなかったんだ、あたし。
「……えっと、黒い刈り上げのごつい男だった気がする」
「それだけではわかりませんわね……」
「あのね、ユーリさん」
「はい」
彼女の檻はキリクの手によるものだ。あたしが気を失っても、彼女だけは大丈夫。
だから、要らぬ心配させなくていい。精いっぱいの笑顔を浮かべて、あたしはユーリ嬢を見た。
「キリクがもうすぐ迎えに来るから、おとなしく待っててね。動けないと思うけど、ここから出ないで」
「はい」
手を振って部屋を出る。扉を閉めて、前に家具を置いて。
一階の階段を降りたところに座り込む。ユーリとユーリ嬢の周りに強固な結界を張り巡らせて、それから敵兵の配置をもう一度確認する。
外ではさっきの指揮官が相変わらずがなり立てているし、矢はバンバン射かけられているけど全部シャットアウトして。
自分を中心に床に魔方陣を描き、血を一滴たらして呪文を唱える。
ユーリがじっとあたしの方を見ている。大丈夫、この一回で殲滅するから。
「守る。……絶対守るから。――吹き荒れよ、『業炎の輪舞』」
魔方陣から真っ赤な炎が吹きあがる。あたしの血を媒体にしたから、思う通りに動かせる。屋根をぶち破らないよう、屋内に火を移さないように玄関から炎の柱を追い出すと外から悲鳴が聞こえた。
本当は術者を中心に同心円状に広がる火の輪なんだけど、それやるとこの家ごと灰にしちゃうからね。
ぐるりと家の周りに廻らせた結界に沿って炎の柱は伸びていく。玄関に戻ったところで一つの輪に戻った深紅の炎は結界から外へと吹き荒れた。
逃げようとした兵士は結界で足止めする。
ユーリはその炎の中で突っ伏したまま、あたしから視線を動かさない。
魔力がどんどん吸い上げられていく。血を媒体にしたせいもあって、体力も根こそぎ吸われていく。
ああ、なんかこんなこと、前にもあった気がする。
炎が燃え盛る。
目の前が暗くなって、あたしは目を閉じた。うん、魔力も体力も限界。
お願い、キリク、誰か、早く来て。ユーリ達を守って。
結界だけは最後まで維持するように力の配分を切り替えて――ぷつんと意識が切れた。
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