第25話 疑い
「クラン!」
閉じたばかりの扉にかじりつこうとしたあたしの手をユーリが引っ張る。
おかしい。おかしすぎる。
ユーリを振り返ると、すっごい怖い顔をしていた。
「とにかく時間を置け。……腹減ったんだろ? 下に降りよう」
ううん、だめ。これは嫌な予感しかしない。もう手遅れかもしれない。
「ユーリ、あたしが昏倒したのって、何時ぐらい?」
「え? ああ、日が変わってすぐだったか」
「今は?」
「日が昇ってもう二時間は経つな」
「……ユーリ。あたしは魔法がそれほどうまくない。それは知ってるよね」
「何を言い出すんだ、いきなり」
両腕をつかまれたまま、あたしはユーリに向き直った。
「なのに、なんでユーリさんはまだ眠ってるの? 魔石もないのに」
「何を……」
「あたしがぶっ倒れたんなら、その時点で魔法は解けてるはずよね」
訝しげにあたしを見降ろしていたユーリの顔がどんどん歪んでいく。
「まさか、そんな」
「可能性としては二つ。……誰かほかに魔法を使える人がそばにいて、あたしが倒れた時に眠りの魔法をかけなおした場合。もう一つは」
「……幻か!」
どっちかはわからない。でも不自然すぎる。
小さくうなずくと、ユーリはあたしの両手を解放して扉にとりついた。
扉を壊さんばかりに叩く。でも、中からは応答がない。
「キリク! 入るぞ!」
蹴破って入った部屋の中で、黒いローブをまとった男がゆっくりと椅子から立ち上がる。フードを下ろしてるから顔は見えない。
さっきまでキリクが座っていたはずのそこに、なんで見知らぬ男がいるの。
視線を背後に移すと、ユーリ嬢が眠っていたはずのベッドには、白い衣装を着た人間が横になっているのが見えた。でも眠っているのが誰なのかは見えない。
「貴様、何をした!」
ユーリが剣を抜いて襲い掛かると、男は開いていた窓に身を躍らせる。とっさに宿の周りに結界を敷いたけど、あっさりと破られた。
「クランはユーリを!」
そう言い残してユーリは窓から男の方にとびかかる。あたしは急いでベッドに駆け寄った。
そこに眠っていたのは……ユーリ嬢でもキリクでもなかった。
ユーリ嬢は亜麻色の髪を長くのばしていたし、キリクは金髪で、見間違えるはずがない。
なのに。
金髪の長い髪をゆったりと流し、白いドレスに身を包んだ女性がそこにはいた。広く開けられた襟ぐりから見える胸の谷間は本物で、ということはドレスを押し上げている胸も本物。
正真正銘の女性だ。顔をよく見れば、ユーリ嬢のように見える。
「ユーリさん……?」
まさか、と思いつつじっと見つめていると、編まれたひと房の髪の毛に気が付いた。髪の毛と一緒に編み込まれている紐は、間違いなくあたしが買った、あの赤いリボンだ。端っこに白い珠が揺れている。
気に入ったと言ってくれて、あれ以来ずっと編み込んで使っていたから、間違いない。
でも、まるで色が違う。ユーリ嬢の色は茶色だったはず。目も、髪も。
これで目が緑色だったら……キリクとまるで色彩が逆ってことになる。
そういうことができる魔法に思い当たった。
「色変えの魔法……」
人を隠す際に、互いの色を入れ替える魔法だ。今のキリクが亜麻色の髪に茶色の目をしているなら間違いない。
となると、いなくなったのはキリクの方だ。
あたしはベッドの周りに張った結界を確認しつつ中に滑り込んだ。
罠をかけたって言ってたけど、魔石も使ってなかったならあたしが眠った時点で無効になってるはず。
そして、ここに残っている結界はやっぱりあたしのかけたものじゃない。
さっきのローブの男? でももしそうなら、なんであたしが入れるの?
違和感が半端ない。
入れないはずの結界。
ちりりと頭の奥が痛くなる。
どこかで似たようなことがあった気がする。どこでだった? ああ、思い出せない。
他人の結界の中にあたしの結界を張り巡らせておいてから、眠るユーリ嬢の手を取った。幻か、とも思ったけれど、ちゃんと手に触れられる。
重たいものなんて持ったことのない柔らかな手のひら。正真正銘のお嬢様だ。ペンだこすらない。
なんでこの人が狙われているのか。
それとも、本当に狙われていたのはキリクなのか。
キリクは何者なのか。そして彼女も。
なぜ、キリクはユーリ嬢の婚約者になれないと言ったのか。
本当に必要だったのは、キリクの偽の婚約者? それともユーリの?
おかしいことだらけだ。
キリクにかけられていたという守りの魔法。
継続的にかけられている魔法でないとしたら、かなりレベルの高い術者によってかけられたもの。
そうでないとしたら護符などに込められた魔法だろう。
もちろん、護符の値段は見たこともない桁数になる。王侯貴族か豪商でもなきゃ手の出ない逸品だ。
ユーリさんにかけられてる眠りの魔法はそれほどレベルが高くない。あたしのレベルでも解除できる。
呪文を口にしてしばらくすると、ユーリさんの睫毛が揺れた。
ゆっくり開いた瞳は、やはり緑色だった。
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