第22話 キス

 その後は特筆すべきことは何もなかった。

 うん、途中立ち寄った防具の工房ナガステがかの有名な初代ギルドマスター御用達のお店だったとか、キリクが無理やりあたしに押し付けた防具の値段を見て目玉がどっかに飛んでったとか、修理中のユーリの剣と遜色ない剣を『仕事に必要な装備だから』という理屈でユーリに無理やり受け取らせたとか、それの値段も聞いて耳も目もおっこちたとかあったけど。


 ――ていうか、なんで一介の行商人がギルマス御用達の最高級品しか扱わない工房と懇意にしてんのよ。豪商のお嬢様はユーリ嬢であって、あんたじゃないよね? キリク。


 普通にいろいろあり得ない。

 なんでキリク知ってんの? って職人さんに聞いたら逆に目を剥かれましたよ?

 んでもってキリクのことを誉めそやし始めた工房の職人さん、ものすごーく冷たい目をしたキリクがヘッドロックかまして引きずっていきましたけど。

 謎がありすぎ。


 まあ、もともとあたしたちを選んだのは、後ろ盾になってる商会や店の情報を探ろうとしなかったからだと言ってたわけで。

 彼らはそれなりの規模の商会の人間か、豪商の関係者なのは確定と思っていいだろう。

 ユーリ嬢がどっかの大店の跡取り娘だとしても。

 なんでユーリ嬢の婚約者になれないんだろ。それが気になる。


 そうそう。それから、とっとと目的地に着くために、スピードアップしました。

 腰を抱かれようが肩を抱かれようが、恥ずかしがってちゃいつまで経ってもこの依頼、終わらないからね。

 この際恥じらいというものは捨てよう。

 そもそもだな、あたしが恥じらったりしたところで誰も得をしないのだ。時間が余分にかかるだけで。

 あー、もしかしたらキリクは腹黒鬼畜だから、あたしをいじめて楽しんでたのかもしれないけど。

 無視無視。

 仕事だから。美味いもの食べるためには仕事も頑張らなくちゃね。

 横にいるのがユーリだと思えばいい。

 まあ、ユーリは腰を抱いたり耳に口つけて口説いて来たりキスしてきたりはしないけど。

 その分にっこり笑っていればいい。

 いちゃいちゃするのも仕事の内。

 そう思えば問題なし。

 な、はずなんだけど。


「なんかさー、最近のお前ってつまんね」


 なんぞとキリクが言いやがった。

 もちろんお約束のニッコリ笑顔で返す。


「その顔。……貼り付けた笑顔って嫌いなんだよねえ」

「そうでございますか?」

「その口調も。――聞き飽きた」


 心底いやそうな顔をする。

 ということはあれか。普段、キリクの周りはこんな顔をして何事もにっこり聞き流すような人しかいないのか。

 そこまで考えて、似たような笑顔を最近よく目にしてることに行き当たった。

 数歩先を行くユーリ達に目をやる。

 女の方はそつのない笑顔を浮かべて男に微笑みかけ、男は素っ気ないとはいえ一応話を聞くふりをして相槌を打つ。


「そういうこと。わかった?」


 じろりと腕をからめて歩いている相手の顔を見上げる。

 何がわかった? だよこの野郎。

 あんたとユーリ嬢が本当はどういう関係なのか知らないが、お嬢様というものはたいていそういうものと相場が決まってんでしょうが。

 ユーリ嬢、どっからどう見てもどっかのお嬢様だもの。

 守られて当然、剣や弓なんか握ったことがないのが当たり前。

 冒険者やるような人種じゃないし、そもそも行商に出るような人種でもないでしょうに。

 なんであのお嬢様があんたと組んで二人で行商人のふりをしてるわけ?


「そうそう。あんたはいつものままがいい」

「睨まれて喜ぶとかほんと変態よね」

「別ににらまれたいわけじゃない。その方が人間らしいってだけの話だ」


 そんなことを言うと、お嬢様というのが人間じゃないように聞こえるじゃないか。

 まあ、高貴な方々のことは下々のあたしらにゃさっぱり理解できないけどさ。

 前を行くユーリが不意にちらりとこちらを見た。

 あたしとキリクが腕組んで歩いたりしてるのを見て不機嫌そうに前に向き直るのが最近のパターンなんだけど、今日は違った。

 じっとあたしと目を合わせたのち、左後ろに視線を二度動かした。首を動かさないようにしてユーリの示した方へ神経を向ける。

 小さく口の中で呪文を唱える。周辺のサーチをかけたとたん、飛びのいた存在があった。

 ユーリが小さくうなずく。あたしもほんの少しだけ顎を引くとキリクに絡めた腕を少し強く引き寄せた。

 反射的にキリクが腕をほどいて腰に手を回し、あたしの耳元に唇を寄せる。


「なんかあった?」

「うん、来た。たぶん暗殺者アサシン。人ごみに紛れて寄ってきてた」


 お返しとばかりにキリクの口元に顔を寄せてささやく。


「さすがは冒険者だね」

「ユーリのおかげ」


 魔力に頼ってるせいなのか、明確な殺意を拾い上げるのはできても暗殺者の抑え込んだささやかな殺意や敵意に気付くのは結構遅い。

 ユーリがいなかったら死んでたパターン、多かったもんね、今までも。


「となると、人ごみは避けた方がいいわけか」

「街道から離れる?」

「それは潜んでる人数によるな」


 眉根を寄せ、口に手をあてる。

 以前は一人きりだった。今回は少なくとも三人はいそうな気配。それ以上潜んでいてもおかしくない。

 そうなると、非戦闘員というか護衛対象二人を連れた状態で街道から離れるのはリスクが高すぎる。

 このあたりの森にはそれほど凶暴な魔獣はいないけどギルドからの依頼もないわけで、冒険者たちが展開している可能性も低い。

 万が一のときにに助けを求めることが不可能になる。

 それならまだ、騎馬隊などが通る街道を行った方がいいように思う。


「次の町まで行って護衛を雇った方がいいかもしれない」

「そいつらが信用できるかどうか判断できる?」


 そう、そこなんだよね。

 酒場に集う冒険者さえもすでに買収済みなら、逃げ場はない。

 あと半分の行程で、どれだけ仕掛けてくるのか。


「あ、あとさ。ユーリ嬢個人を護衛してる人間って可能性はある? あんた個人でもいいけど」


 そう囁いたとたん、キリクは立ち止まった。腰を引っ張られてあたしも足を止める。


「何?」


 にっこりと。ううん、ほわっととろけるような笑顔とはこういうのを言うのだろう。いきなり立ち止まったせいでこちらを見ながら通り過ぎる人たちが振り返ってキリクを見てるのがわかる。

 見た目少年の癖に色気垂れ流しの笑みなんか向けてくるから、どきりと心臓が高鳴る。

 何なの、この甘い雰囲気は。

 キリクの両手ががっちり腰をつかんでて、引き寄せられる。


「好きだよ、クラン」

「なっ……んっ!」


 きっと顔は真っ赤だろう。いきなり唇を重ねられ、押し返そうと胸に当てた両手に込めた力では足りなくて。

 ぎゅっと目を閉じたまま、硬直する。

 少しの間、離れた唇が、「何人?」と問う。

 はっと目を開けると、一切の感情の揺らぎが消えた目が至近距離にあって、触れそうな距離にある唇を引き結んで呪文を囁く。


「いい子だ」


 再びふさがれる唇の熱さはもう感じなかった。

 いつもより広めに展開した探索網に引っかかるわずかな敵意と殺意。


「六人」

「捕縛、できる?」

「一度には、無理」


 唇をついばみながら、言葉を交わす。合間合間に呪文を挟み、ユーリに情報を渡す。

 ユーリは少し離れたところであたしたちを見ているのはわかってた。剣を鞘ごと抜くのが見える。

 両手をキリクの首に回す。

 すぐ近くに一人いる。人の波に紛れ込んでいるのだ。


「積極的だね」

「刺されたく、ないから、ねっ」


 結界を展開すると同時にガキっと音がした。キリクの後ろ側でナイフがからんと落ちる。持っていたと思しき村人は飛び退って逃げた。人の流れの中でカムフラージュしながら攻撃するのはあたしじゃ無理だ。

 ……と、近場でぐえとかぐぎゃとか聞こえた。


「何?」

「クラン!」


 ユーリ嬢の手を握ったままユーリが駆けてくる。そんな勢いで走ったら彼女倒れるってば。


「そっちは大丈夫?」

「ああ、三人ほど撃退はした」

「そっか。ごめん、こっちはガードするので手いっぱいで」


 キリクの首に回してた手を離す。

 それにしてもさっきの悲鳴は何だったんだろう。キリクを誘うとして失敗した奴の声だったのか、ただの偶然か知らないけど。


「無事ならいい。……先を急ごう」


 眉間のしわがどんどん深くなるユーリは、じろりとあたしとキリクをにらむと、ユーリ嬢を引っ張って先に行ってしまった。


「いやほんと、わかりやすいねえ、君たち」


 けらけらとキリクが笑う。何がわかりやすいのかあたしにはちっともわかんないわ。

 ともあれ、目的地が近づいてきたせいだろう。こんな人通りの中で人数揃えて襲ってくるとか予想してなかった。

 できるだけ周辺への探査はしながら歩くことにしよう。

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