第2話 森でどっきり
ラビの肉はギリギリセーフだった。焦げる前に気が付いたおかげで、食べても焦げ臭さはない。うんまあ、これなら焼きすぎだけど食べられないことはない。何より振りかけた塩が無駄にならずに済む。
塩はこのあたりだと高いから、なかなか気楽には使えないのよね。今度以来受けるときには海辺の方へ行ってみようかな。
とりあえず、骨からこそぎ落として食べやすいサイズに切り分け、油紙に包んでおく。
骨もスープが取れるからおろそかにしたくないんだけど、どうしようかな。
ちらりとユーリを見る。顔色はよくなってきたし、先ほどから何回か寝返りを打ってる。もうしばらくは寝てるかな。
荷物から鍋を取り出すと、ラビの頭以外の骨を鍋に入るサイズに折り、骨に残る余計な部位を火であぶったあと放り込む。水をひたひたに満たして火にかけると、あたしは立ち上がった。
火の回りをぐるりと歩く。半径十メートルの魔獣避けの魔法はよく効いているようだ。十メートルどころか五十メートルぐらいまでは奴らは寄ってこない。
ちらりと周りに目をやる。
肉を焼き始めたあたりからぐるりと取り囲まれてるんだよね。……黒ヴィルに。
焼いた食用ラビの肉の匂いが惹きつけたんだろうなあ。ざっと二十匹ぐらいはいる。
放っておけばどんどん増えるだろう。仕方がないのでいくつか雷を落としてみたけど、直撃を食らった黒ヴィルは其の場で倒れ、他の黒ヴィルたちに食らいつかれている。
魔獣たちにとって、共食いは何でもないことなのだ。魔石と血肉を取り込んで、自分が強くなる。ただそれだけの作業であり、食事。
数を減らすだけではあまり意味がない攻撃だった。むしろ、成長して進化される方がよっぽど厄介だ。
十匹の黒ヴィルより、進化した黒ヴィル一匹の方がよほど恐ろしい。
湯が沸いてきて、いい匂いがし始める。
本当はあまりぐらぐら沸かしたくないけど、周りを警戒しながら火の調節まで完璧にやるのはあたし程度の魔術師じゃあ難しい。
少し火から離し、匙で味をチェックしてるところでユーリが体を起こした。ようやく目が覚めたみたい。
「まだ寝てていいよ、三時間経ってない」
「お前の攻撃で目が覚めた」
「あー、ごめん」
そうだった、ユーリはこういうの、敏感だったんだよね。きっと、黒ラビの殺意も感じてるに違いない。
頭を振りながら立ち上がったユーリは、左手の籠手が外れていることに気が付いたらしい。こっちを不機嫌そうな目で見るから、むっと唇を尖らせた。
「怪我したんならちゃんと言って。黒ヴィルの牙から毒もらって倒れたんだから」
ちょっと責めるように言う。これぐらい言わないと、ユーリは何度でも同じことを繰り返すんだから。
案の定、ユーリはちっと舌打ちして顔を逸らした。絶対余計なことしやがってって思ってるに違いない。そういうやつにはラビスープ、あげないんだから。
「牙はあたしが預かってるから」
黒ヴィルの牙は依頼の品でもよくあるけど、希少価値があるからギルドでも高く買ってくれる。
「わかった」
「ほかに怪我ないでしょうね。一応チェックしたけど、左手しか反応なかったからほかは詳しく見てないわよ」
「それは大丈夫だ。……それよりもう出ないと」
鍋から骨を取り上げ、スープの味を調える。ユーリは苛々とあたしを見下ろしてる。……傍から見たらたぶん、無表情で変わりなく見えると思う。でも、そのくらいは読み取れる程度の付き合いはあるからね。
「もう少し寝て体休めて。あと一時間は起こすつもりなかったんだから」
「いや、もう大丈夫だ。回復魔法、かけてくれたんだろ?」
「そりゃかけたけど、おなかすいたままじゃ乗り切れないでしょ?」
「だが、放っておけば黒ヴィルの数は増え続けるぞ」
「大丈夫でしょ。さっきはちょっと個体数減らそうと思ったから失敗しただけだし、範囲魔法でサクッと終わらせるから」
「馬鹿、それで魔力枯渇してぶっ倒れたら意味がないだろうが。……もういい、俺が出る」
ユーリは外しておいた装備を付け始めた、左手の籠手は牙の痕が食い込むのだろう、リュックに突っ込んでいる。
あたしはと言えば、出来上がったスープをカップに移し替え、油紙に包んだラビの肉ともどもユーリの目の前に突き付けた。
「食べてって。それにラビのスープ、美味くできたから」
「そんな場合じゃ……っ」
油紙をはがしてラビの肉を問答無用で口に突っ込む。目を白黒させながらもユーリは肉に歯を突き立て、自分の手で持った。反対側の手にカップも押し付ける。
「それ食べ終わったら行くよ。一人で突っ込んであんたが倒れたら、つぎはあたしなんだからね」
「……わかってる」
苛立つ黒ヴィルたちの唸り声を無視して、あたしはにっこり笑う。せっかく焦げる手前で救出できたラビ肉、無駄にしてたまるもんか。塩は高いんだぞっ。
それにこのスープにもすこーしだけ胡椒を入れたんだよね。塩味だけだとどうしても飽きるから。それを放置して行けって? 冗談じゃないわよ。
本当はもっとゆっくり煮出して濃いスープにしたかったし、野菜とか入れておいしく食べたかったけど、時間なかったからあっさり目。ああもったいない。
教会に着くまでにもっと食用ラビ狩ろう。向こうで厨房借りて、美味しいの作るんだ。
なんてぼんやりしてたら、空のカップを押し付けられた。
「はやっ」
どれだけ手間かけても、飲むのは一瞬なんだよね。ちょっと無常。
「飲んだし食べた。行くぞ」
「はいはい、片付けるから待って」
火を消し、鍋やカップを浄化して元の通りカバンに詰め込むと、結界の中に残して立ち上がった。すでにさっきの倍以上に増えた黒ヴィルたちの目が四方八方で赤く光っている。
「援護は任せて」
背を向けるユーリに向けて声をかけ、いくつもの魔法を紡ぎながら弓に矢をつがえる。
魔獣避けの魔法の結界ギリギリまで進んだところで、ユーリは手にしたあの大剣に手をかけた。いつもは背中に背負っているあのバカでかい剣。
それを、ユーリは片手でぶんと振った。結界の外にいた黒ヴィルたちが吹っ飛んでいく。飛んで行ったのは……六体。その姿態に群がろうとする黒ヴィルたちも返す剣でぶった切る。
良かった、今回は結界もろともぶった切らなかったらしい。前回それやられて、マジでやばかったもの。というか剣で結界切るなんて、人間業じゃないと思うんだけど。
とか思いつつ、ユーリの刃から逃れたのを矢で倒していく。これで十四体目っと。
ユーリは結界沿いに右に動いていく。共食いして強くなられると面倒なので、あたしは転がる黒ヴィルの死体に食らいつく奴らを一体ずつ射貫く。
ここにいるのは「単においしそうなにおいにつられてやってきた」だけの単なる黒ヴィルの集合体であって、白ラビの巣を狙う黒ヴィルの群れとは違う。本番はまだこれから、ここでやられるわけにはいかないのよ。
ユーリに援護魔法をかけつつ、自分の周りにもう一つ魔獣避けの魔法をかける。こうしておけば、あたしが移動していけば黒ヴィルは逃げていくから、落ち着いて魔石を抜ける。
短刀を引き抜いて、片っ端から黒ヴィルの魔石を抜いていく。途中でまだしぶとく生きてた黒ヴィルにとどめを刺して、ぐりぐりと魔石をほじりだす。
「クラン!」
ユーリの声が少し遠くから聞こえる。
しまった、少し離れすぎた。ユーリは最初に張った結界から出られない。
魔石の回収を諦めてユーリの方へと移動しようとしたけど、すでに黒ヴィルに割り込まれていて、分断されてしまった。
ユーリはと見れば、まだ十頭ぐらいが彼に食らいつこうとしぶとくあがいている。
そしてあたしの周りにも同じぐらいの黒ヴィルが。
仕方ない、やるしかないか。
「ごめん、ユーリ。魔石の回収、お願いね」
「馬鹿っ、ここでぶちかましたらまた眠り込むことになるんだぞっ! 少しは俺を信用しろっ!」
叫びながら剣を振るうユーリ。ばっさりと四体が吹き飛んでいく。でも魔石の回収が追い付かない。共食いしようとする黒ヴィルを雷で狙いをつけるけど、いくつかはもう飲まれた後みたい。
他より体がでかくなった黒ヴィルが二体、ユーリの方に向かっていく。
あたしの周りのも雷で黒焦げにしてるけど、魔石の回収のためにそっちに向かおうとすると、少し大きくなった黒ヴィルは中藻の死体を引きずって遠ざける。……嫌だな、この黒ヴィル、知恵がついてる。
ユーリの剣がまたも黒ヴィルを吹っ飛ばした。気が付けばユーリと対峙しているのは二体。あの成長したでっかいのだ。
「ユーリ、そいつら魔石食らってる」
「わかった。そっちは大丈夫か?」
「こっちはいいからっ!」
あたしの周りの黒ヴィルは数が減ってない。魔獣避けの魔法をかけてるにもかかわらず、矢をつがえれば当たりそうな距離にまで彼らは詰め寄ってきている。
サイズは変わらないものの、この黒ヴィルたちは成長しているのだ。魔法が効かなくなったらおしまいだ。
風刃で三体の黒ヴィルをなぎ倒す。倒しきれなくても、足止めになればユーリの方へは行かないはず。……そう思ったんだけど、甘かった。
やっぱりあたしは詰めが甘いんだろう。
足を切られた黒ヴィルは、傍にいた無傷の黒ヴィルに喉笛を噛み千切られて絶命した。三体とも同じように共食いをした黒ヴィルのサイズがぶわりと膨れる。
「クラン、逃げろ! そいつもうじき進化するぞ!」
「逃げろって、どこにっ」
まだ目の前には黒ヴィルが三体いる。これも倒したら目の前の進化しかけてる奴に食われるだろう。
とはいえ、数が減ったおかげで身動きはしやすくなった。回収し損ねてる魔石を取ろうと移動した途端、三体がとびかかってきた。
視界の隅に、進化しかけている巨大な黒い狼は、身動きせずにじっとしている。今なら、三匹を倒しても魔石の回収には来ないかもしれない。
とっさに三体同時に倒した後、駆け寄って魔石を回収する。これで、あとはユーリの目の前にいる二体と、進化しかけた一体だけだ。振り返ると、ユーリが二体をふっ飛ばしたところだった。
「魔石回収を!」
「そっちは任せる。俺はこいつを倒す!」
そう言い放ってユーリは進化しかけの一帯に突撃して行った。
「あーもうっ!」
ユーリが吹っ飛ばした二体の魔石回収に走る。あれは何体分かの魔石を吸収してるから、取れる魔石も大きい。万が一、あの進化しかけのに奪われたら面倒なことになる。
だから倒したら即回収してって言ってるのにっ!
片手に余るサイズの魔石を二個回収し終わって振り向くと、ユーリはまだ動かない進化前の一体に剣を振り上げていた。他にもまだ魔石が転がってそうだけど、残るこいつの方が問題だ。
「クラン、援護頼むっ!」
「わかったっ」
ありったけの支援魔法を重ね掛けする。大剣にも勢いと質量を加える。ユーリの力でなら叩き切れるはずだ。
何度も打ち込むユーリに合わせて、あたしも攻撃魔法を片っ端から突っ込んでいく。黒ヴィルがようやく身じろぎして咆哮した時、ちらりと喉の奥に赤い塊が見えた。おそらく――魔石!
「ユーリ、そのまま奴を抑え込んでっ」
飛び退り、弓に矢をつがえて狙いを定める。導きの魔法を掛け、黒ヴィルが口を開いた瞬間に矢を放った。突き刺さった瞬間、光があふれた。黒ヴィルのものとは思えない、うめき声と方向が耳をつんざく。
やがて光が収まると、黒ヴィルの体はゆっくりと地に臥した。
動かなくなったのを確認して歩み寄ると、矢は黒ヴィルの喉の奥、赤く光る魔石を貫き通していた。
周囲を確認して、他に魔獣がいないことを確認すると、巨大な黒ヴィルの横にしゃがみこんだ。四つ足で立ってた時でユーリよりでかかったこの獣の毛皮と肉を切れるナイフはあたしは持ってない。
後ろを振り向くと、ユーリが立っていた。
「お願い」
「ああ」
ユーリは大剣を巨大な黒ヴィルの喉めがけて振り下ろした。短剣で切り開いてみると、胴から離れた頭部と、心臓部分にそれぞれ子供の頭ほどの魔石が埋まっていた。
何とか掘り出せたものの、短剣の方がぼろぼろになった。この黒ヴィルの毛皮、進化したせいですごく固くなってる。
依頼にはなかったけど、進化後の黒ヴィル……えっと、ハイヴィルっていうんだっけな、その毛皮は重宝される。魔獣避けの結界をきっちり張り、ハイヴィルの毛皮を剥ぐと、毛布と一緒に背中に背負う。短剣、教会に着くまで持つかなあ。一応予備はあるけど、心もとない。
「おつかれさま」
「ああ。……さすがに疲れた」
「それにしても、この魔石どうしよう……袋、ある?」
「ある。使うか?」
出してくれた専用袋は、あたしが持ってたのよりも大きく、しかも空っぽだった。
「ちょっとっ、なんで戦士のあんたが持ってる袋の方が回収役のあたしのより大きいのよっ」
「そりゃ、戦士がソロで戦ってたら、今回みたいに魔石の回収が間に合わなくなって、進化した個体とやりあうことが多いからだろ。ソロの時は毎回これぐらいの魔石を持って帰ってたし」
そりゃ確かにそうだ。あたしは弓矢と魔法で、回収も請け負う後衛だ。前衛のユーリが倒したあとを、魔石を回収しながら歩く。小粒の者でも丁寧に拾うし、巨大化した個体と戦うことはまずない。
だから今までの袋で足りてたのか。
とりあえず納得はするけど、感情的には納得できなくて、むくれたまま袋に二つの巨大な魔石を納めた。
でも、この調子で黒ヴィルと遭遇してたら、袋足りなくなりそう。ここまで来て戻るのは嫌だし。
そう告げたら、ユーリは首を傾げた。
「ここから先は黒ヴィルよりは白ラビの方が多いだろ? あいつらのは小粒だし、何とかなるだろう。それに、もし必要ならあと二つぐらいはある」
そう言うユーリの顔がなんだか勝ち誇って見えて、ついユーリを睨みつける。
「なんだよ」
「……なんかムカついた」
「知るか。……行くぞ」
「あ、ちょっと待って」
踵を返したユーリを呼び止めて、回り込むとユーリの額に手を当てる。回復魔法を唱えると、軽い傷程度しか負ってないことが分かる。
「俺はいいから自分を治せ」
「え?」
「そこ」
ぐいと左腕を取られた。痛みが走って顔をしかめる。
ユーリの指摘した場所にくっきりと噛み痕があった。
噛みつかれたのは気が付いてたんだけど、余裕なかったんだよね。
ユーリの時も、全部終わってからしばらくしてぶっ倒れてた。遅効性なんだよね。黒ヴィルの牙には気をつけなきゃいけないのに。
噛み傷がすっかり消えた後、ユーリは何度もあたしの左腕をさすってくれた。大丈夫、噛まれた感覚は残ってないし、撫でられてるのは分かるから、感覚異常もない。
籠手ではカバーしきれないところだし、左腕は弓を持つ側の腕だ。あまりがちがちに固めたくはないんだけど……肩当てのある鎧でも探そうかなあ。
「ありがと、もう大丈夫」
むしろ撫でられてるとなんだかぞわぞわする。ユーリの手をやんわりと断ると、眉根を寄せて深々とため息をついた。
あー、心配させちゃったかな。それとも、守れなかったとか不毛なこと、考えてるんだろうか。
あたしはにっこり微笑んでみせる。
「大丈夫、この程度じゃ死なないから。さ、行こっか。食用ラビ狩らないと」
「……は?」
「さっきのラビスープ、美味しかったでしょ? 教会に着いたら子供たちに作ってあげたいなと思って。もっと時間をかけてじっくりスープ取ったらめちゃめちゃおいしくなるんだよ」
ユーリは目を見開いた後、手で顔を覆い、深々とため息をついた。
えっと、あたしなんか変なこと言った?
首をかしげてじっと見つめていたら、ユーリは口に手を当ててくっくと笑い出した。……うわ、ユーリが声出して笑ってるなんて、天地がひっくり返るかもしれない。明日は槍が降るかも。
「お前、ほんとに食い意地だけは一級だよな」
「だけはとか言わないでよっ。……どうせ三級冒険者ですよぉだ」
魔法も弓も中途半端だから言い返せないのがつらい。そのうち一級になるんだからねっ。
荷物を取り上げると、魔獣避けの魔法を別々にかける。また集まってこられちゃたまらないもんね。
「食用ラビ狩りするのはいいけど、お前が持てよ」
「えっやだ。重たいもん」
「やだじゃねえ。お前の我儘だろうが」
眉根を寄せてあたしをじっと見る空色の澄んだ瞳。
ああ、いつものユーリだ。くすりと笑ってあたしは先を歩きはじめる。
それにしても、ユーリはよくしゃべるようになった。表情もだんだん読めてきたし、笑ったし。……笑った声なんか初めて聞いた。
ユーリを長く知るかつてのパーティの面子も、きっと知らないこと。
今度会ったら伝えなきゃね。ユーリが笑ったって。
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