農協おくりびと (92)ひとり旅の、奈良
前夜の22時30分に群馬を出た高速バスは、午前8時。
奈良ロイヤルホテルの前に着く。
乗車時間は、9時間半。
3列の独立シートに揺られてきたバスの運賃は、6800円。
「ありがとうございました」と運転手に一礼してから、ちひろがヒョイと
奈良のアスファルト路面に飛び降りる。
「へとへとになるかと思ったけど、夜行バスの乗り心地も捨てたもんじゃありません。
新幹線と特急、在来線を乗り継げば、群馬から奈良まで4時間10分。
さすがに時間は速いけど、料金は片道だけでも、18000円。
帰りも高速バスを利用すれば、15000円でもお釣りがきます。
光悦が帰省のたびに、バスを利用する意味がようやくわかりました」
路線バスに乗り、10分ほどで近鉄の奈良駅に着く。
光悦のいる長谷寺までバスも電車も、直通便はない。
最低2回の乗り換えが必要になる。
「バスの乗り換えは、初めての人間には難しい。ホームで確認しながら、
電車を乗り継いだ方が、お前さんには無難だ」と光悦は笑った。
乗り換えの手順は夜行バスに乗る前から、何度も確認している。
旅慣れた女を気取り、よどみなく、長谷寺駅までたどり着けるはずだったが、
やはり途中で何度も苦戦した。
特急と準急を上手に乗り継げば、50分ほどで長谷寺駅に到着するが、
普通電車ばかりを乗り継いでいくと、倍の1時間30分もかかる。
長谷寺駅は傾斜面に建っている。
そのため、北側にある駅舎は、ホームよりほぼ1階分ほど下になる。
ホームは階段で連絡しているが、改札は1ヶ所のみだ。
ようやくの思いで到着した改札口で、ちひろがほっと安堵の溜息を吐く。
胸のポケットから、もう1枚のメモを取り出す。
「迎えに行くから、駅に着いたら電話しろ」と言っていた光悦を制して、
メモを取るからと大丈夫と言い切った、長谷寺までの道順のメモだ。
① 近鉄大阪線長谷寺駅で下車。
② 駅から近道と書かれた坂道、階段を300mほど下る。
③ 国道165号、初瀬の信号を横断。
④ 県道38号に入り、橋を渡る。
⑤ 県道38号に沿って右折。前方に初瀬の街並みが広がる。
⑥ 初瀬の街並みを見ながら、1kmほど直進。
⑦ 橋が見えたら左折。
⑧ 正面が長谷寺。
歩いておよそ、15分~20分と書いてある。
長谷寺は季節の花が美しい、花の寺として知られている。
歴史は古く、万葉集にも詠われている。
まじかに見える初瀬の山並みは、四季を通じて素晴らしい。
(はるばる遠くへ来たもんだ・・・さて。
さんざん乗り物に揺られてきたんだもの。気分転換に少し歩くのもいいでしょう)
ちひろが旅行用に買い込んだ、ピンク色のミニリュックを背中へ回す。
中身はほとんど入っていないから、ふわりと軽い。
3日間の有休をもらってきたが、用事が済めば、今夜のバスでトンボ返りをする予定だ。
駅前の空気を胸いっぱいに吸い込んだちひろが、「さて、行くぞ」とこぶしを握る。
目の前にひろがる初瀬の町並みにむかって、元気いっぱい、
下りの道を歩き出す。
(93)へつづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます