ダッサい服の麻薬取引
戸隠 洸
第1話
時刻は午後五時五十分。俺は家から徒歩三十分程度のところにある、倉庫の前を歩いていた。何か、特別な用があったわけではない。ただ、今日の服は個人的にお気に入りだったので、近所を歩いて見せつけたかったのだ。上は豚のマークが大きく描かれたトレーナーに、下はサルエルパンツ。最高にかっこいい。
「おいっ!そこのお前っ!」
突然声をかけられた。きっと、この服をどこで買ったか聞いてくるのだろう。当然だ。俺レベルのお洒落な人間はこの世にそうそういるものでは…
「カネは用意してきたのか」
男は、ドスの聞いた声で俺に確認してきた。カネ?俺には何のことだかさっぱり分からなかった。
「えーっと…」
「カネは用意してきたのかって聞いてんだよ!」
男は声を荒らげた。そこで俺はようやく気づく。男の腕に刻まれた、大きな蛇のタトゥー。そして悪趣味な髑髏のネックレスに、無精髭、サングラス。その全てが俺をある一つの仮説へと導く。この男は、ヤクザだ。俺は何かの間違いでヤクザの取引に巻き込まれてしまったのだ。
「つーかお前手ぶらじゃねーかよ…竹中のやつ、何考えてやがる…」
竹中…ヤクザの組長か誰かだろうか。
「まぁ良い。そっちがカネを渡す気がないのは良く分かった。ヤクの取り引きはまたこん…」
「おい」
男の背後から、もう一人の男が顔を出した。鋭い目つきとドスの効いた声が、この男もヤクザの一人だと教えてくれた。それにしても。牛の絵が大きく描かれたトレーナーに、肌の露出の多いダメージパンツとは、ヤクザにしては服装があまりにカジュアルでは無いか。しかし、個人的には好きなファッションだ…
「誰だてめえ」
”いかにもヤクザ”の服装をした男が、振り向きもせずに聞いた。
「竹中組の東山雄三だ」
「た、竹中組だとっ!?」
男は驚いた様子で東山の方を振り返る。東山は「これが証拠だ」と言って牛の絵を男に見せた。
「しかし、瀧川組が二人で来るとは聞いてなかったがなぁ…」
「は?…いや、こいつはうちらの組のもんじゃ…」
”いかにもヤクザ”と”イカしたファッション”の二人の男の鋭い視線が、俺を突き刺す。蛇に睨まれた蛙とはこの事だ。俺の体は金縛りにでもあったかのように、ピクリとも動かなかった。心臓の激しい鼓動だけが、頭の中で、響く。
「お前、何もんだ?」
東山と名乗った男が、俺の襟元を掴む。
「どうやってこの取引を嗅ぎつけた」
「違うっ…取引なんて…知らない…」
「嘘をつけ!何も知らねえ奴が偶然こんな倉庫の前にダサい服でやって来るわけがねぇ!」
ダサい服?東山の言葉が引っかかった。俺のこのイカしたファッションの事を言っているのか?
「おい、落ち着けよ」
”いかにもヤクザ”が東山を諌めた。
「待ち合わせの目印が曖昧過ぎたみてぇだ。『倉庫の前に、ダサい服の男を向かわせる』なんてよ。竹中のやつ、頭が足りねぇんじゃねえか」
「おいお前、総長の名前を呼び捨てにするな」
「知ったことか」
二人のヤクザが火花を散らす。俺は気が気じゃなかった。さっき、瀧川組の男は「ヤク」と言った。つまり、こいつらは麻薬取引をするためにこの倉庫で待ち合わせをして、偶然通りがかった俺を取引の相手だと勘違いした。当然、このまま俺を見逃してくれるわけがない。俺は殺されるだろう。
「まぁ、総長のことは置いておこう。それより、このネズミを始末するのが先だ」
やはりだ。俺は始末される。そう思った時だった。
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