第2話 愛なしでは生きられない
あまり待つこともなくホームに入って来た電車に乗り込んだわたくしは、派手な格好をした御婦人の隣が空いているのを見つけ、座りました。
立ったり座ったりが億劫だから、一駅ぐらいは座らずにとも思いましたが、癖なんでしょうね。
わたくしも相当めかし込んでいますが、チラリと横目で隣の方を見ました。完璧にわたくしの負けでございます。
赤いリボンをつけ、水玉模様のワンピースは、胸元が大きく開いたもので、うっかりすると、胸の谷間が見えてしまうのじゃないかと、思わせるほど開いています。それにメイクも、大したものです。ピンクの頬紅に真っ赤な口紅。マスカラでしっかり持ち上げられたまつ毛。眉だって綺麗に一本線で書かれています。これで若ければ、言うことないのでしょうが。おそらく、わたくしぐらいじゃないかしら。
通勤時間を少しずらして来たのに、降りてみると、かなりの人が階段に向かって歩いて行きます。膝が悪いわたくしです。転ばないように手すりを使って慎重に下りて行きます。
あら、追い越して行く人の姿にわたくしは目を細めました。
隣り合わせた方も、同じ駅だったんですね。後ろから見れば何歳だかわかりませんね。
少し腰が曲がっているのは、いただけませんがね。
さて、食欲がない雪乃さんに、何を買って行ってあげましょう。ゼリーなら、口当たりがいいから入るでしょうか。あれこれ悩んで、ようやっと買い物を済ませたわたくしが、病院のロビーに入って行きますと、あらっと足を止めてしまいました。
先程のご婦人がいるじゃありませんか。
矢張り、あのお洋服では目立ってしまっております。
つかつかと歩いて来た看護師さんが隣に座り、ご婦人に何か話しかけています。
いけません。また、わたくしの悪い癖です。
ご婦人の後ろ、空いている席に座って、聞き耳を立てます。
「丸川さん、院長先生は今日は居ません。いくらそうやって待たれても、診察は出来ませんから、お引き取り下さい。あと、院長先生から、ここに来る道中に何かあっては大変なので、お近くでかかりつけの病院をお探しくださいとのことです。もし、分からないとおっしゃるなら、こちらで紹介状をお書きしますので、そちらで診てもらってください」
ご婦人、最後まで聞いてから、きつい目つきで看護師を見返します。
帽子に三本線が入っています。きっとここの婦長さんなのでしょう。
「アンタ、上手いこと言って、私と幸成さんを引き離そうとしているね。わたしゃ、そんなのに騙されて堪るか。幸成さんと会わせておくれ。会って話せば分かるんだ。一度は愛し合った二人だからね。あんたなんかに割り込ませないよ。早く幸成さんに合わせなさいよ」
「ですから、あなたと院長先生は、もう何もありません」
「ああ、煩い。私は具合が悪いんだ。幸成先生の診察を受けて、何が悪い?」
水掛け論が続き、周りの方も聞き耳を立てて聴いているのがよく分かります。流石のわたくしも、これ以上聞いているのは心苦しくなり、席を立ち雪乃さんの病室に向かうことにしました。
エレベーターを待っていると、ロビーの方が一段と騒がしくなって来ている様子に、わたくしの視線は、自然とご婦人がいた方へと向けられたのでございます。
どうやら、ご婦人は強制退去をさせられえてしまったようでございます。
その話を、ベッドに横たわる雪乃さんに話してやりますと、ああと頷き、かわいそうな方なのと言って、起き上がろうとしている雪乃さんに手を貸し、背中に枕を当ててあげます。
顔色が優れません。息も苦しそうで、余計な話をさせてはいけないと思いながらも、つい、まぁそうなのと、相槌を打ってしまいました。
「彼女は、わざわざ横須賀からやって来るのよ。以前、院長先生が勤めていた病院の患者さんだったらしいんだけど」
急に、せき込み始めた雪乃さんの背中を摩ってやりながら、わたくしは目を細めます。
「ごめんなさい。もう大丈夫。ありがとう」
息、絶え絶えの雪乃さんに、話さなくっていいからと言ったのですが、大丈夫と言って、話を続けようとしています。
「彼女、もとは良い所のお嬢様だったみたいなの。戦争で、何もかも失くしてしまい、一人ぼっちになってしまった彼女が、生きるために選んだのが、女を売ること」
「パンパン」
ふと口を衝いて出てしまった言葉でございます。
雪乃さん、一度、目を瞑り、にこっとしました。
何て悲しいそうな笑顔なんでしょう。
「頼れるところは、頼って行ったみたいだけど、お金が無くなると、途端にみんな、手のひらを返すように冷たくされちゃったみたいね。気が付いたら、米人が自分の上に乗っていたって」
「雪乃さん、ずいぶん、詳しいのね」
「外来で行き会って、すっかり意気投合しちゃって、私の担当医が院長先生だった関係で、聞かせて貰っちゃった」
雪乃さんのことだから、院長先生に何とか取り継いであげるとでも、言ったのでしょう。そして、約束通り、会わせてあげたに違いありません。
「その内ね、彼女の中に、誰が父親か分からない子が宿ってしまって、産めないと思った彼女は、無理に自分でおろしちゃったんだって。それが、いけなかったのね。気が付いたら、病院のベッドの上に居たって言っていたわ。そこで担当医だったのが、院長先生。若い頃の院長先生は、手が付けられないほどの女ったらしで、あっちにもこっちにも女がいたらしいの。患者さんにも、普通に手を付けていたし、ましてや若くてきれいな彼女に目がくらまない訳がない。あっ、ここは婦長さんの話の受け売りよ。私が彼女を、自分の付添人だって言って強引に診察室へ入れようとしたら、逆に彼女を説得してくれって、頼まれちゃったの。そん時に話してくれたんだけど」
ここまで話して雪乃さん、気分が悪そうで、目を閉じてしまいました。
無理は禁物でございます。
「看護師さんを、呼んできましょうか」
「大丈夫だから、ここに居て」
とても話せる状態だとは思えません。息をするのもようやっとなのに、どうしたことでしょう。
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