北嶋勇の心霊事件簿6~死霊の誘い~

しをおう

死の臭い

──簡単だよ。そのまま飛んじまえはいいのさ

 椅子に上がっている俺の脚がガクガクと震えている。

──いつまでも嫌だろう?上のモンには何かにつけてぶん殴られ、汚ねぇ仕事押し付けられてさ?

 そいつ等が俺の耳元で何度も何度も囁く…

「だ…だけど…飛べば…お前等みたいになるんだろ?」

 俺はこいつ等みたいにはなりたくない…こんな真似もしたくないんだ…

 意思とは裏腹に、俺は天井から伸びている縄を握っている…

──運が良けりゃ、誰かが直ぐに見つけてくれるさぁ

──俺達が他に行って教えてやってもいいぜ?ギャハハハハ!!

 咽せる臭いと嘲笑う声がずーっと続いている…

「俺は関係ないんだ…勘弁してくれ…」

 泣きながら縄に首をかける…

──関係ない?俺達もそうだぜ?ギャハハハハ!!

──早く飛んじまえよ…苦しみから解放されるぜぇぇ…俺達もそうしてきたんだよぉぉ…

「俺はまだやりたい事が……がっ!?」

 俺の意思とは関係なく、椅子から飛び降りた。

「グゴゴゴがガクぐゴアガがァああああああああ!!!!!」

 息が出来なく苦しい俺は足をばたつかせる。どんどん縄が首に食い込んでいく。

 どうにか逃げようと縄に手をかけ、もがく。

 だが……

 俺の身体は動かなくなった。

 身体中の穴という穴から汚物を垂れ流して……

――ヒャハハハハハハハハハハハ!!汚ねえなこいつ!!ションベンと糞、漏らしてやがる!!ヒャハハハハハハハハ!!!

――やりたい事があったって?永遠にできなくなっちゃったよ。ザマぁねえなあああああああああああ……

――代わりに私達がやってやるよ~…尤も、私達がやりたい事だけをねえ~…

 俺がくたばって喜んでいる…やりたい事をやってやると騒いでいる…

 だけど、くたばった俺には関係の無い事だった…

 勝手にしてくれ。

 そう呟くのが関の山だった……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「また安川組の若衆かよ…」

 とあるアパートの一室で首吊りが見つかった。

 大家が家賃の取り立てに出向いた時に、部屋から異臭がするのを感じ、借り主がヤクザだった為に警察に通報して来たのだ。

 昨夜まで普通に出歩いているのを目撃されている事から、死亡推定時刻は早くて深夜一時。現在朝九時だから、死んでから八時間程経過したあたりか。

「それにしてもヒデェ臭いだな…本当に死んでから半日も経っていないのかよ?」

 思わず鼻を摘みたくなる程の腐敗臭を感じ、顔を顰める。

「押し入れか床下に別の死体でもあるんすかね…」

 後輩刑事も顔を顰めながら不快感を露わにした。

 ホトケは暴力団『安川組』の構成員である事から、こいつの言う事も理解できる。

 安川組は、恐喝や麻薬や売春、そして殺人も請け負う、仁義も何も無い、ただ金だけを追う暴力団だ。

 ただ、あまりにも小規模なので、暴力団同士の抗争はしない。寧ろ他暴力団に殺し屋として使われているような組だ。

 そして一般市民も平気で殺す、狂っている暴力団だ。

「先輩、どうします?」

 後輩が指示を仰ぐ。

「安川組の親分に連絡するしかねぇだろ。お前の所の若衆が、また首を吊ったってな」

 この三ヶ月で…安川組の構成員が首吊りで四人、飛び降りで一人自殺している。

 この数は異常だ。

 怨恨で殺人の線も当然調べたが、それらしい点は見られない。

 ホトケに薬物使用の痕も無し。

 本当にただの自殺…

 ただ、ホトケには有り得ない程の腐敗臭が纏わり付いていた。どのホトケも死後一日も経っていないのにだ。

「相当な怨みを買っている筈ですから、呪い殺されたとか?」

「呪いなら警察の仕事じゃねぇな」

 検察に現場を任せ、外に出て煙草に火を点け、空を眺める。

 呪い…か…

 馬鹿馬鹿しい。

 頭を振り、否定するも、あの腐敗臭が妙に引っ掛かる。

 奴等に死体でも乗っかっているんじゃないか?

 そう思いながらも、それを否定するように、また頭を振った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「若頭…今度は永田の奴が…」

 警察の電話を取った柴田が青いツラをし、報告に来た。

「首吊りか?また親父に報告しなきゃなぁ……」

 頭を掻き、親父の部屋に向かう。

 親父は最近身体の具合が悪くなり、一日の殆どを部屋の布団で過ごしていた。

「親父、入ります」

 襖をスッと開けると、親父がブルブル震えながら俺を見る。

 あんなにガタイの良かった親父が、ここニ、三ヶ月ですっかり痩せこけ、今にもくたばりそうな老人の体となっている。

 病院にも診察に行ったが、特に何も見当たらない。原因不明だと言われた。

「おお…峰康…今度は永田か…」

 ギョッとして親父を見ながら頷いた。

「な、何で知ってるんです?」

 親父は俺から視線を外し、すっかり肉が落ち、痩せこけた顔から覗かせる目をギョロっと天井に向けながら言った。

「……聞いたからだよ」

 そして諦めとも後悔とも取れる表情を作って続ける。

「やっぱり殺し過ぎたなぁ~………」

 親父の身体から何かおかしな臭いを感じた。

 俺は親父の部屋を後にし、直ぐ様便所に駆け込んだ。

「ゲエェェエエッッッ…ウエッ…ゲッゲエェェ!!」

 あまりの悪臭に嘔吐した。

「はぁ、はぁ、くっ…親父の部屋に猫か何かくたばってんのか…?いや、親父から臭いが出ているような…」

 袖で口を拭う。

 胃液が口の中に残っていて、気分が悪い。いや、それは本当に胃液のせいなのか?

「兄貴ぃ…大丈夫ですかい?顔色が悪いすよ…」

 弟分の神山が心配そうに俺のツラを覗き込む。

「ああ、大丈夫だ。昨日飲み過ぎたのかもなぁ…」

 成程と頷く。

「程々にしといた方がいいっすよ。今から事務所行きますが、兄貴はどうします?」

「俺は後から行くよ。先に行って若いモンの面倒見てな」

「そうすか。じゃあ鉄矢置いて行きますんで、運転手でもパシリでも使って下さい」

 神山はそう言い、事務所に向かった。

 これが…神山と最後に交わした言葉になるとは、その時は思いもよらなかった…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺は事務所に意気揚々と入って行った。

 本当は兄貴分である若頭の峰康さんと一緒に来る筈だったが、飲み過ぎたらしく後から来るとの事。

 若いモンの自殺の連鎖で、流石に兄貴も参っているようだ。

 そして、若いモンが立て続けに自殺しているもんだから、事務所は何か不穏な空気が充満している。

 俺はその空気を無理矢理取っ払うように、敢えて明るく入って行った。

「おう、ご苦労さん」

「ご苦労様です…」

「お疲れさんす…」

 若いモンは全員精気を吸い取られたように、土色のツラを並べながら俺に挨拶をする。

「なんだ暗ぇな?疲れてんのか?よし!今日は俺が奢ってやっから旨いモンでも食いに行くか?」

 若いモンはさして喜んでいる訳でもなく、ただ頷いていた。

 仮にも上の俺に向かっての態度じゃねぇ。

 普段なら蹴っ飛ばしたり、ぶん殴ったりしている所だが、仕方ねぇか、と言う気持ちの方がデカい。事実、俺も参っているからだ。

 身内が四人、自殺。

 親父の原因不明の病気。

 そして……時折漂ってくる腐敗臭……

 そりゃ参るってもんだ。

「まあいい。夜の7時にいつも使っている料亭に来い。適当に予約を入れておけ。俺は今から出てくるから、もし戻らなかったら先にやっておけ」

 俺は小松と高橋と言う若いモンを連れて、シノギに向かった。


 事務所から車で二時間半。

 安アパートの一室に、ウチから借金をしている中年のオヤジが住んでいる。

 家族構成は女房と17の娘、14の息子。

 他から借りた金が返せなくなり、ウチに泣きついてきたんだが、確か貸したのは十万程度。

 現在利子が嵩んで三百くらいか。

 闇金に借りるとは、こういう事だ。

 普通の街金に金を借り、返せなくなると、その金を返す為に他の街金に金を借りる。

 そんな事をどんどん繰り返していると、遂にはどこにも貸して貰えなくなる。

 困った挙げ句、ウチみたいな闇金に頼る訳だ。

 そしてウチ頼ったら最後、ケツの毛全て毟られ、大抵は夜逃げするか自殺するか。

 勿論警察に頼ったり、弁護士に相談したりする奴はいるが、そんなのはほんの一握りだ。大半はくたばる。

 特にウチは臓器売買もやっているからな。

「はいこんにちはぁ!羽田さん、今月の集金に来ましたよ」

 小松と高橋が靴も脱がずにズカズカと安アパートに入って行く。

 俺は入り口につっ立って逃げないように壁になる訳だが、大抵は正座し、俯いて泣いてたり震えてたりだ。まぁ、念の為だな。

 平日のまっ昼間に家にいたオヤジは飛び起きて直ぐ様正座をした。

「今月分のお支払い、お願いしますよ」

 領収書を出し、サインを書く段取りを見せる。勿論これはポーズだ。

 相手に金が無いのは重々承知。わざわざ出向いてやったのを見せる為だ。

 オヤジは震えながら「もう少し待って下さい」と、今にも消えそうな声で懇願する。

「ちょっと羽田さん、勘弁して下さいよ?ウチも火の車ですよ。平日のまっ昼間にテレビ見ている暇があるくらい、稼いでいるんでしょ?」

 勿論嫌味だ。オヤジは正座したまま俯いて固まっている。

「羽田さん。金が無いなら作りましょうよ?腎臓、肝臓、売れますよ。奥さんのも合わせるとお釣りが来る」

 オヤジはツラを上げ、俺を零れ落ちんばかりに目を見開きながら見る。

「仕事が漸く決まりそうなんです!!」

「そりゃ結構。じゃあ仕事先に前払いをお願いしに行きましょうか。お送りしますよ」

「ですから、決まりそうであって……」


 ドン


 高橋が床を踏みつけ、音を出す。

 言葉が止まり、再び俯くオヤジ。

「返せないなら借りないでくれませんかね?臓器売りなよ羽田さん。それとも娘を沈めるかい?」

「沈めるって……?」

「ああ、ソープに売るって意味ですよ。利子分程度にはなるでしょうかね?」

 オヤジが立ち上がり、俺の襟首を掴む。

「やめてくれ!娘は関係ないだろう!」

 高橋がオヤジの腹を蹴り上げる。

「げえぇぇ……!!」

 オヤジがゲロを吐きながらぶっ倒れた。

「羽田さん。暴力はいけませんよ。真摯に対応している私が馬鹿みたいじゃないですか?」

 俺はひっくり返っているオヤジに何度も何度も容赦なく蹴りをぶち込む。

 オヤジは身体を丸めて固まって動かない。

 蹴る足を止めて、オヤジの背中を掴み、力任せに起き上がらせる。

「羽田さぁん!!今持っていないなら出直して来ますが!明日の午前中までに金作って下さいねぇ!作れなかったら紹介しますからぁ!!」

 そして小松と高橋に女房、子供に追い込みをかけさせる。

「奥さん、お金無いなら売りましょ?今なら高額で買い取りますから」

 女房の腹に指差し、ギロッと睨む。

「お嬢ちゃんと僕ちゃんは、なんで服着てるいの?ウチから借りたお金で服着ているんだよね?ご飯は?ウチから借りたお金で食べているんだよ?僕ちゃんはまだ中学生だから何もできねぇけど、嬢ちゃん、稼ぎたいならAV紹介してやるよ?裏だからあまり稼げないけどなぁ?」

 高橋は怯えて抱き合っている姉弟に近寄り、無理矢理弟を姉から引き剥がして姉に裏に出るように薦めた。

「アンタ等……鬼か!!!」

 振り絞って出した大声に、俺達はにやけながら答える。

「私達は金さえ返して貰えればいいんですけどね。じゃあ明日の午前中にまた」

 俺達は安アパートから出て行った。

 後ろなんか勿論振り返る訳がない。どうせ憎悪だけの視線を向けられているに決まっている。


 羽田の安アパートから別の取り立てに向かう俺は、小松が運転しているベンツの後ろに乗り、煙草に火を点けた。

「今日は何件回るんだ?」

 助手席から高橋がツラを覗かせながら話す。

「後は三浦と矢口と原西の所ですね。」

 三浦と矢口と原西と言う債務者も、羽田と同じような経緯でウチに金を借りている。

 債務者と言うのはおかしいか。

 債務者とは、法律上金を支払う義務のある者を指すが、ウチは闇金、ただの餌だな。

「羽田と原西は明日医者に連れて行く。健康診断を受けさせなきゃな」

 羽田と原西は明日の飯代も儘ならない程の経済状況。手っ取り早く内臓を売って貰う事にする。

 なんなら生命保険でもいいが、生かす時間が惜しい。

 生命保険の受け取りは保険を掛けてから数ヶ月の期間が必要だ。

 内臓を売った方が、アシが付きにくいって理由もあるが。

「今日は料亭で宴会だからな。少しばかり急ぐぞ。おい、峠から向かえ。その方が少しばかり早く着く」

 次の餌の三人は羽田の家からやや離れている。

 普段は国道を通るが、今日は峠道から向かう事にした。

 峠は国道とは違い、狭くて辺りに家もない。街灯もないので夜には真っ暗だ。事故も多発している。


 ドン


 何か当たったような衝撃を感じたと同時に小松が車を停車させた。

「どうした?」

「人跳ねたみたいすね…」

「見てこい」

 俺は舌打ちをして小松と高橋に命じた。

 二人は車外に出てウロウロしている。

「どうした!くたばったのか!?」

 俺は窓を開けて叫んだ。

 死んだなら、どこかに捨てなければならない。

 人も歩かねえ山奥に埋めるか、ドラム缶に突っ込んでコンクリート詰めにし、海に沈めるか……

「それが……」

 小松と高橋が青いツラをして振り返る。

「誰も居ねえんすよ……」

 苛立ち、車から降りて二人にビンタをくれた。

「兎か狸でも跳ねたんだろうが!つまんねぇ事で時間無駄にしやがって!」

「いや、本当に人だったんす!!」

「俺も見ました!!間違いなく人でした!!」

 興奮気味で俺に詰め寄ってくる。

 俺は車の正面に回る。車には、何かにぶつかった痕も、返り血もない。

 ……ん?

「……おい、今何時だ?」

 袖を捲り、高橋が時計を見る。

「今は昼の二時ちょい過ぎたあたりですね」

 そうだ。羽田のアパートから出たのが一時半を回った辺り。

「夜みたいな暗さっすね……」

 小松も辺りをキョロキョロ見回して不思議がる。

 今気が付いたが、車のライトが点いている。

 人身事故騒ぎが無ければ、外に出なければ気が付かなかったかもしれない……

「な、なんだこの臭い……」

 高橋が鼻を摘んで手で臭いを払う仕草をした。

 この臭いは知っている…生き物が死んで腐った臭い…腐敗臭だ。

「やっぱり兎が狸か…」

 言いかけてやめた。小動物とは言え、車に跳ねられた直後に腐敗臭がする筈はない。

「こりゃあ…いつだったかの一家心中の時みたいな臭いすね……」

 以前、追い込んだ債務者が練炭で一家心中し、1カ月後に俺達が発見した時と同じ、いや、それ以上の腐敗臭が漂っている…

 あの時は五人の死体だったが、今は十人…いや、それ以上の死体がそこに在るような…それ程の腐敗臭を感じていた…

「今気が付いたんですが…この峠に人が歩いているでしょうか?」

 言われてみりゃ、そうだ。

 周りに家もない、街灯もない峠道に、人が歩いている訳が無い…


 バン


 俺が考え、耽っているその時、車に何かでかい物が落下した音がした。

 俺達は同時に振り返る。

「ぎゃあああああああ!!!」

「うわあああああああ!!!」

 高橋と小松が同時に叫んだ。

 車のボンネットの上に、人が、いや腐乱死体が落ちてきたのだ!!

 それはボンネットに立つように落ちてきたのか、膝がボンネットに付いた状態で足が滅茶苦茶になっていた。

 しかし、顔が見えない。

 従来、顔がある場所には、腐乱死体と同じ皮膚の色をしている首が伸びている。

首は一メートルもあり、その上に顔があって、俺達を見下ろしてニタニタしていた!!

 目の部分から眼球が零れ落ち、空洞化した部分から米粒がビッシリと張り付いている!!

 いや、目だけじゃない!!身体中に米粒がビッシリと張り付いていた!!

「ひ、膝付きか!?」

 俺はそいつから目を背ける事ができずに、ただ震えながら見ていた。

「な、なんだ膝付きかよ!脅かしやがって…」

 高橋が悪態を付くも、膝付きに近寄ろうとはしない。

 膝付きとは、首吊り死体の事だ。

 肉が腐り、吊った首が伸びて、床もしくは地面に膝を付く事からそう言われている。

 米粒だと思っていたのは蛆だ。死体にビッシリと這いずり廻っている。

「あの膝付きが車に当たったのか…?なぁ、高橋…いいいっ!?」

 小松が山側にいる高橋に話しかけようとして高橋を見たその時、山の法面のりめんから伸びている木と言う木に、首吊り死体が並んでいた!!

「な、何でこんなに!!?」

 高橋は後退りをし、遂には崖側まで行ってしまった。

「高橋!それ以上下がるな!後ろは崖だ!!」

 高橋はビクッと硬直し、止まった。


 パラッ


 崖に高橋が足で落としたであろう小石が落ちていく。

「ガードレール低いんだよ全く……」

 高橋は膝の高さも無いガードレールから身を乗り出し、崖下を覗き込んだ

「うわあああっ!?」

 高橋が後ろに下がる。俺と小松が駆け寄る。

「ひいいいい!!」

 小松が物凄い勢いで跳ねるように下がった。

「な、なんだこりゃ!?」

 俺は高橋の右足首から目が離せなくなっていた。

「神山さん!!神山さん助けて!!」

 高橋はへたり込んで左足で右足首を『掴んでいる手』を蹴り落とそうとしながら叫んだ。

 右足首を掴んでいる手が、そのまま高橋を伝って上がってくる!!

「神山さん!!神山さん!!」

 半狂乱になっている高橋!上がってくる腕に段々と頭が見えてくると同時に、高橋の身体が崖に向かって滑っていく!!

「小松!!引き上げろ小松!!」

 俺は小松を呼び、振り返る。ぎょっとした。

 小松は一人で車に乗り、逃げ出したのだ!!

「小松!てめぇふざけやがって!!」

 慌てて追うが、背中に何かが圧し掛かって俺は動けなくなってしまった。

「何だ!?ウェッ!!」

 堪らず鼻を押さえる。俺の背中の何かが、あの腐敗臭を発していた。

 顔を無理やり後ろに向ける。

──ケヘヘヘ~…そんな窮屈に首曲げなくても、見たいなら見せてやるよぉ~…

 俺の視界がいきなり暗くなった。

「うおっ!!?」

 俺の視界に逆さになった腐ったツラが現れたのだ!!

 ツラ一面に蛆が這いずり回り、ボロボロに抜けた歯を剥き出し二ヤッと笑った!!

「うおおおおおおお!!」

 力を振り絞ってそれを払い落とした。


 ベチャッ


 背中から振るい落とされたそれは、地面で胴体と足が真っ二つになり、腐った肉が撒き散る。

「ゲェェェェ!!」

 あまりの酷い臭いで俺は吐いた。

──酷いじゃないか…また殺すのかぁい?グブブブ………

 顔を上げた俺の目の前に、さっき法面に吊してあった死体がニタニタと笑いながら俺を見ている!!

「ぎゃあああああああ!!」

 それから目を逸らし、駆け出す俺だが、足を止めた。

──どこ行くんだぁい?へへへへ……

 別の膝付きが俺の前に立って、長くなった首をにゅんと近付けていた!!

 俺はその場にへたり込んだ。

 情けない話だが、小便で股を濡らして。

──見ろよ~…安川組さんが小便漏らしているよ~…ギャハハハハハハハ!!!

 炭みたいに真っ黒になっている奴が俺に指差し愉快そうに笑う。練炭自殺か?

──俺達よりヒデェ臭い出したな?オイ?ゲヘヘヘヘ!!

 こっちはツラが滅茶苦茶になり、頭から脳みそを覗かせている。

「俺が…俺達が殺した…」

 そいつ等は俺達が追い込んで自殺した、もしくはぶっ殺した連中…

 理解した俺は震えた。ウチの若いモンを自殺に追い込んだのはこいつ等だ。

 いつも、どこからか臭っていた悪臭はこいつ等が発していたんだ!!

「ぎゃあああああああ!!」

 絶叫に反応し、そちらを見ると、高橋の足から這い上がってきた死体と、高橋の背中をグイグイ押している子供の死体が笑いながら崖に落とす寸前だった。

──キャッキャッ!!

──うんしょ!!うんしょ!!

──ゲヘヘヘヘヘヘヘヘ…

「うわあああああぁ!!あああああああああああ!!!!」

 絶叫と共に、高橋は崖に吸い込まれていった。

「た…高橋…」

 俺が呆けていると膝付きが俺のツラを覗き込む

──オメェはどの死に方がいいんだぃ?転落か?首吊りか?けへへへ~

「ゆ、許して………」

──駄目だね!!アンタは私達を許してくれなかったじゃないか!!

 下半身グシャグシャになっているババァが目を見開いて俺を睨んだ。

──安心しなぁ…寂しくないように、アンタの女房子供も後で連れて行ってやるよぉ~ブヒヒヒヒヒ!!

 腹にデカい手術痕があるデブが指を差した。

「女房と子供は関係ねぇだろう!!!」

 大声で怒鳴った。巻き添えにする訳にはいかねぇ…!!くたばるんなら俺一人で…

──アンタ等もよぉ…関係ねぇ家族に手をかけたよねぇ…

──私なんて娘をソープに売られたんだよ?

──俺は俺が死んだ後に嫁と子供を自殺に追い込まれたんだよぉ!!!

 死人達が俺に寄って非難する。中には笑い転げている奴もいる。

「やめろ!!やめろやコラぁ!!!」

 俺は立ち上がり、そいつ等に向かって詰め寄った。

 しかし次の瞬間、俺の記憶はいきなり飛んだ。

 俺は家に戻っていた。

 いや、違う…俺はまだここにいる…

 蛆が這っている死体共に囲まれたままだ。だが…これは一体?

──特別に見せてやるよぉ…カカカカカ!!

 見せる?何を?

 膝付きに視線を泳がせる俺。頭に映像が浮かぶ。

 俺はこいつ等に自分の家の映像を見せられているのか?

 ガレージから玄関を開け、そのままリビングに行く。

「な、なんだこりゃぁ……」

 リビングはテレビもステレオも破壊され、ゴミが散乱し、窓ガラスも割れていた。

 俺の家のリビングにも、こいつ等死体共がウヨウヨと徘徊していた。

 リビングの隅…死体共に押されてブランコみたいにブラブラ揺れている足が見える。

 あの足…

「マキ…」

 死体共が笑いながら押しているのは、俺の女房のマキだった。

「あああああああああああああああああああ!!!」

 俺は叫んだ。女房はこいつ等に殺された!!

 あまりの怒りに脳みそが爆発しそうになる!!

 その時、再び頭の中の映像が変わる。

 階段を上がって行く…一番奥の部屋に一度立ち止まる。

「!?亜美!逃げろ!!」

 それは娘の亜美の部屋!!

 亜美の部屋のドアが開く。

 部屋の隅にいる亜美に死体共が群がり、指を差して嘲り笑っていた。

 亜美はヘラヘラ笑いながら、注射器を腕に刺す。

「どっから見つけてきたんだ!?」

 亜美はシャブを打っていたのだ!!

 涎を垂らし、焦点の合っていない虚ろな目。それは間違いなく常用者のそれだ。

「俺の鞄からくすねていやがったのか……」

 亜美は再び注射器を刺す。

「それ以上は死んじまう!!」

 死体共が煽っていた。

──打て打て打て打て打て打て打て打て打て打て打て打て打て打て!!

──恐怖から逃れたいなら打て!!

──壊れちまえば怖くない!!

 亜美はヘラヘラ笑いながら打つ。

「それ以上は死ぬ!!駄目だ!やめろ!やめろぉぉおおおおおお!!!!」

 亜美は後ろにひっくり返った。口から泡を吹き、瞳孔が開いている瞳…だらんと下がった腕…

──ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!死んだ!!死んだ!!ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!

 死体共が愉快そうに笑いながら亜美に指を差している。

「亜美いいいいい!!」

 俺の視界は真っ赤になった。

 その時、人間は血の涙を流せる事を初めて知った。

──さて、安心して死ねるだろう?カハハハハハハハ!!

 真っ黒の練炭自殺の死体が俺の耳元で囁く。

「ふざけんなクソがあ!!」

 練炭自殺の死体に殴りかかる。

「ぎゃあああああ!!」

 拳を押さえて蹲る!!!なんだ?硬ぇ……?

──おいおい大丈夫かぁ?標識を殴っても自分の手が痛いだけだぜぇ~ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!

 標識?

 俺は顔を上げた。

 目の先には落石注意の標識…

 小石が俺の身体に当たる。

 俺は更に上を見た。

「うわあああああああああ!!!」

 岩が剥がれ落ち、俺に目掛けて降って来る!!

「あああああああああああああああ!!あっ!!」


 俺の身体が滅茶苦茶になり、腕が道路に飛んでいたのを見た。

 俺は自分の死体を呆然と眺めていた……

──安川組さん…アンタは俺達と同じだよ。ただ違うのは自分の意志と関係なく、永遠にここに留まるだけさ~……

 膝付きが薄ら笑いしながら俺の肩を叩いた。

 てめぇ等と違う…?じゃあ、てめぇ等は何者なんだ…?

 身体中焼けただれてケロイド状になった焼身自殺の死体が俺を嘲り笑いならが指を差す。

──あんたはただの魂…俺達は……死霊さ。ギャハハハハハハハハハハハ!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 本当におっかなくて高橋と神山の兄貴を置いて一人で逃げてしまった…

 このまま組に帰っても…ボコられるか、最悪埋められるか…

 それなら、このまま逃げちまおうか?

 車を途中で棄てて、集金した金を持って飛んじまおう。

 どうせ組には帰れない。

 ついでに今までの悪さをポリに通報しちまえば、ガサ入れも入って逃げる時間も稼げる。

 そうと決まれば早く峠から出なきゃ。

 死体共が俺に追い付く前に峠から出なきゃならない。

 俺は峠をぶっ飛ばして国道を目指した。

 落石の恐れのある斜面や、転落しそうな崖はもうない。

 後はこのカーブを越えれば国道だ。


 ドン!!


 !?屋根に何か落ちて来た!?


 バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバン!!


 屋根を叩いている!?落ちて来たのはさっきの死体!?

「ぎゃあああああああ!!!怖い怖い怖い怖いいいい!!!」

 一点を凝視しなから、叫びながら運転した。

 事故っちまえばもっと洒落になんねえ事態になるかも、と思い、必死に。

 屋根を叩く音がドア側に移ってきていた。

 手のひららしき物が激しく窓を叩くのがチラチラと視界に入っていたのを頑張って無視しながら、頑張って冷静に運転した。

 頼むからフロントガラスには出ないでくれ!!

 涙目になりながら祈る。


 ギシッ


 助手席側に重みを感じた!!乗ってきたんだ!!

「ぃやめてえええ!!」

 アクセルを踏む力が強くなる。一刻も早く人通りのある道路に出る為に。


 ギシッギシッギシッギシッギシッ!!


 後ろの座席にも重みを感じた!!いっぱい乗ってきた!!

「待って待ってまってまってまってまって!ひいぃぃい!!」

 鼻水と涎を垂らしながら、俺は必死に前だけ見ていた。


 サワッ


 アクセルを踏む足に何か触った!!見れない!絶対手だこれは!!

 後ろから髪を触られた!!さっき乗って来た奴だ!!

「やめてやめて!!ああぁぁあぁあ…ぁああぁぁああああ~!!」

 泣きながらハンドルを切る。でも頑張って前だけは見ていた。スピードもあんま出さないように努めていた。

──ダメだコイツ。つまんねぇわ

──そうだな。もう殺すか

 そんな呟きを聞いた直後、俺の目の前に壁が現れた!!

「ぎゃああああああああああ!!」

 ハンドルを思いっきり切るも間に合わず、壁に激突した。

 エンジンから火が吹き、車が火達磨になる!!

「ああああ熱い熱い熱い熱い熱いぎゃあああああああああぁぁあぁあああぁぁあぁあ!!!」

 俺は生きながら焼かれた。

「ああぁぁぁぁ……………」

 俺の記憶はそこで無くなった…

――くたばる時はそこそこ面白かったなこいつ。がはははははははは!!

――もうちょっと踊ってくれたら、もっと楽しめたのになぁ…

――とんだヘタレだったけど、必死に頑張っていたのは愉快だったよ…けへへへへへへへ…

 不満と侮蔑だけがやけに耳に残った………





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