二章
Side〝K〟ー1 Fake
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真幌市南区に喫茶店サウス・グローブはあった。
阿久津と山形、少女がそこに訪れた頃、日は沈み、ネオンが街を照らしていた。
歩く人間は少なかった。
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「いらっしゃい」
サウス・グローブの店員が入店した三人に声を掛ける。その声の主はカウンターの奥でグラスを磨いていた。サングラスを掛けた色白な男性だった。
少女は、最初に訪れた喫茶店と似ている、という。
「鏡みたく正反対だけど?」
「でしょうね」と阿久津がいう。彼女はグラスを磨く男性に声を掛けた。
「久しぶり、ママ」
少女と山形は、辺りを見渡す。女性はいない。客は皆、男性で四名だった。
カウンターから返事が返って来る。その声はグラスを磨く男性だったが、甲高かった。
「あら、嬉しい。さっそく来てくれたのね」
男性はグラスを後ろの棚に仕舞い、親指で右を示した。
阿久津は頷き、山形と少女についてくるように促した。
阿久津が向かったのは、スタッフ用のトイレだった。
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スタッフ用のトイレに、扉を開けて入る。
便器は無く、カウンターと座席があった。壁に窓は無く、照明も暗い。客はいなかった。
「こいつは」と山形が呟くと先の男性が彼の背中から、声を掛けて入ってくる。
「ヒ、ミ、ツ。あんまりつつかないでね、山形警部補さん?」
そして、手に持ったトレイをカウンターに置いた。
トレイにはおしぼりがあり、それをカウンターの席の前に置いて行く。
「私は
「タブセ・レイコっすよ」とさえぎるように少女がいうと真崎はサングラスを少しずらして、少女を見た。
「勘違いかしら。いやね、歳取るのは。家出中の高校生じゃないの?」
「当ってら。誰と間違えたのさ?」
少女はカウンター席に座って、おしぼりで手を拭く。阿久津と山形も続き、少女の横に並んで座る。
真崎はカウンターの内側に入り、戸棚からグラスを三つ取りながら答える。
「ウチの弟がね、あなたと同じ年頃の女の子と、暮らしてるらしいの。気になって調べたら、複雑な経歴の子みたいで……気を悪くしたら、ごめんなさいね」
「マジっすか?」
少女の隣に座る阿久津が、答える。
「Side・Aのマスターは元々、こっちで働いていたんですって。でも独立して」
そこで阿久津は口を閉ざした。
少女は真崎を見て、首を左へ傾ける。
真崎は口元を緩ませて、微笑んでいう。
「あの子はいたって普通の子。仲の良い兄弟っていうのはね、良いこと、悪いこと、何でも言い合い、喧嘩する……さて、何にする? いくら秘密の場所でも、予約無しじゃ、豪華なディナーはできないわよ」
三人はコーヒーを注文したが、少女はメニューを眺めて軽食も注文する。
ハンバーガー、生レバー、アイスクリームを注文する少女に皆、苦笑した。
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山形は、醤油に生生姜を混ぜた小皿に、生レバーをつけて口に入れると「本物だな」と真崎に向かっていう。
「どっから仕入れた?」
「ヒ、ミ、ツ」と真崎はサングラスを取って、眼鏡拭きをシャツの胸ポケットから取り、拭いた。
「ここを摘発するなら一蓮托生。こっちだってネタもツテもあるからね」
「真幌女子の真実とか?」
少女は口を挟む。山形は生レバーを飲み込み、箸を置いて少女を見た。
少女はコーヒーを啜って「まずい」という。
「豆の配分、間違えてねーか? てか、目、見えてる?」
「あらあら」と真崎がいう。
真崎の右目には大きな傷跡があった。
火傷跡か、と少女が問うと、真崎はうなずく。
「学生のころ、弟がイジメられたの。オカマ、ホモの弟だって。仕返しにオカマ掘ってやったわ。その報復で潰されたの。左は元々、視力が低くって」
そういって、真崎は右目に右手の指をつっこみ、取り出した。義眼だった。
少女は「インガオーホーだ」と、真崎に掌を差し出す。
真崎は義眼を少女の右手に乗せた。少女はそれを眺めて、いう。
「昔さ、オレのまわりにも義眼のヤツがいた。そいつは事故で止む無くって理由……そいつ、霊感があったんだわ」
「そうなの?」と阿久津。少女は義眼を真崎に返し、いう。
「知らねーはずだ。入院中のときだったし、嘘か真かわかんねーし……でも否定できねーんだな、これが」
カウンターに右肘をつき、顎を右手に乗せて少女は続けた。
「よく言うじゃん? 人間って五感の一つでも欠けると、他が強くなって補うって。ま、カツシンの座頭市は無いだろうけど、耳は常人より強くなる。そうでもせんと生きていけねぇもん。オレみたく、多重人格だってそんな感じだ。
そいつが〝義眼に霊が映る〟って言うわけよ。きっと何か見えてるんだろうさ。それが霊か幻覚か、本人にしかわからんし、論ずるに値せず。他人がどうこう言って得ある? 否定も肯定もできるし、できないでしょーが……今回の事件も、そういうこと」
阿久津が「そうなの? あの、真崎さん」という。
「事件の情報を買いたくって。ここは全てにおいて中立地帯だと聞いてます。確実なものを欲しいんです」
真崎は義眼を右目に戻して、サングラスを掛ける。くすり、と笑って見せ「私も勝新太郎は、あれがピークだったと思うわ」といってから、話を始めた。
「まず、真幌女子高で事件なんて無い。殺人も何もね。確実なのはそれだけ。一般人の客、ネットのクライムマニア、マスコミ関係者、双頭やら地元犯罪者連中、あなたたちの同業者から聞いたものをまとめると、警察のでっち上げじゃないかって」
「そんな!」と山形が声を上げるが、真崎ら三名に見つめられて口を閉ざした。
「なんでそんなこと……となるでしょうね。それは諸説ぷんぷん。公安の阿久津さんの方が詳しいんじゃなくって?」
「それがそういかねーのよ」
真崎から話を振られた阿久津より、少女の声が早く出た。
「こちらは、何にも知らねぇ。とりあえず猟奇殺人ってことで捜査中っす」
「じゃあ、レイコちゃんは?」
「テンパイ。でもリー宣しない主義でさ。やっぱツモより直撃っしょ?」
「ふうん。面白い子ね。好きよ? そういう口と態度」
「あの、二人とも」そこで阿久津が口を挟んだ。
「話に着いて行けないよ。どういうこと?」
真崎と少女が顔を合わせて、息を吐く。
少女は、だるい、といってから阿久津を見た。
「まだ事件は起こって無いのさ。ただの狂言ってこと」
「狂言? どういう意味?」
「意味ね……今回の場合、狂言って表現しか無いんだわ」
すると阿久津が「あっ」と声を上げて、少女に顔を近づけて目を合わせた。
「
少女は親指を立てて頷く。
山形が「おまえさんが、麻雀で例えたのは」と少女に声を掛ける。
「相手は複数で全員が敵同士だと? とっくに同じ土俵にいて、面もわれてるからか? おまえさんは、その中の誰かを……そいつの起こす、本当の事件発生を待って、現場を押さえるつもりか? だが、その場をもうけたヤツ、つまり主催者は警察だと?」
「そ」
少女は一言で終わらせ、コーラを真崎に注文した。
山形と阿久津は汗を拭った。そして互いに見て、意見を揃える。
「ただの妄想です。無茶苦茶すぎですね」と阿久津。
「いや、一概には否定できませんなあ。俺も噂程度で……ただ、狙いがわからない」と山形がいうとそこに少女が声を挟む。
「新井あつみ。偽名だろうけどさ、そいつをあぶり出すためだろ」と少女はポケットからライターを取り出して、かちっ、と火を点けて見せる。
「犯罪者予備軍と、サイコパス狩り。ここからは、文字通り修羅場になる……そういうことで、オレたちの意見は一致した」
「どうしてさ」と阿久津。
少女はライターの火を眺めながらいう。
「まず、昨日頂いた女子高の事件データ。色々、細かいくせに、真実味、客観性が薄すぎた。独断的で主観的。自己満足な私小説の、あらすじを読んだ感じだ。
遺体や現場の軽ーい状況? 関係者の曖昧な発言? アリバイの有無? そんなことばかりで、妄想の余地があるのに捜査資料ってか? そんなバカなモン、あるわけねぇだろ。偽モンだよ。事件内容も、写真も、ぜーんぶフェイク」
ライターの火を消し、ポケットに仕舞う少女は、真崎にコーラを注文する。
真崎は無言でカウンターの隅にある冷蔵庫から瓶のコーラを取り、グラスに注ぐ。
少女はこめかみを指でほぐしながら、いう。
「昨日オレたちは、ぎちぎちのレポート、十万ページ以上と構えてた……そしたら、何だあれ。スクラップみたいじゃん。ただし、あのありえねぇ資料が公安から来たのが、事件を盛ったって証拠だ。
公安が手柄を立てるなら、それこそ大捕物になる。けど被害者の名前を出して以来、報道されない、捜査一課から奪いたい事件って何さ……奇しくもジイちゃんに尋問して出来た、無茶な仮説に決着したわけ」
「津木さんを? 昨晩は、あんたの話だったじゃんか」
「心理戦って言ってなかったか? 人格が変わって、否定したら疑いは晴れるのかよ? そんな善人じゃないから、監視してんでしょーが」
少女はポケットからメモ帳を取り出し、ページをめくっていく。
「でもお互い様……ジイちゃんを叩けば埃だらけ。たとえば‶明日の朝までに、このメモを書類にし、FAXで送れば了の判が〟って発言。オレの統合人格が何言ったか、細かくは知らねーけど、きっと当たり障りの無い、TVのコメンテーター並みの見解だったんじゃねーの? そんなモン、法を納得させる文面にできる?
しかも‶法務省と厚生省の話は済ませた〟って発言。いくらジイちゃんが大物でも、予言者じゃないでしょうが。どんな話をしてから、ここに来たのかね?
こういう疑惑を持ったのは冒頭の‶高校生と二人で?〟って発言だ。これは‶別人格が事件を解決しようと奮闘中〟って言った事に対してのものだけど……これ、おかしいんだわ。カンダのガキは確かに高校生だけど、なんで‶二人〟って表現? ジイちゃんは‶オレ〟を一人の人間として見てない。事件を調べてたのは‶オレ〟だ。他の人格は関係無し。で、何か怪しい、ただの事件じゃねーなと勘ぐった。
ちなみに会話の流れと態度から、ジイちゃんは、多重人格を黙認してんな。いちいち怒鳴ったり、ハンカチ渡したり、悪態ついたり、幼馴染の近況を伝えたり」
少女は、右人差し指を阿久津に向けた。
阿久津も己の顔を己の指で指す。
「別人格がジイちゃんと二人きりになって、話したんだよね。千葉の署長の座を蹴って八課に来たらしいじゃん? その後、ジイちゃんは‶現役を退いても私は警官だ〟とさ。でもこれ、警官が言って良い事じゃないでしょうが。
百歩譲って検査済みの店内ならともかく、歩道だぞ。誰かが聞いてるかも。ジイちゃんはきっと‶ボク〟と‶私〟を別々の人格、二人の人間と認めて、ある程度は信用してるが、‶オレ〟のことは気に入らねぇ。芝居かもと葛藤してる……人格によって態度を変えるくせ、発言内容はほぼ揺るがない。確たる信念でもって会話してる。ここまで意固地で、しつこく話をする理由は? 常識人なら、オレなんかシカトする。もしかしたら事件の隠蔽か、何かの画策で、責任をオレに押し付けられんじゃねーかと」
少女はコーラを飲み干し、げっぷしてグラスを真崎に渡した。
「画策で落ち着いたのはここに来る前。さっきの捜査会議を監視してたジイちゃんの感想からだ。デタラメな事件を追いかけ、疲れて果ててグダグダの会議。平社員と部外者にブチギレるボンボンを、笑顔で‶笑えた〟って。で、真っ当な警官はいないって発言。あれが真実、本心で仮説の裏打ち。ロンしても良かったぞ? しなかったのは、ゴミ手だからさね」
「それ状況証拠からの憶測じゃなくって? フリテン、罰符ね」そういったのは真崎だった。
少女、阿久津、山形の三名の視線を浴びながら、真崎はグラスを磨きいう。
「あくまで私は部外者だから……でも、レイコちゃんの言うことは、筋が通ってるようで中身の無い、机上の空論に思える。他人の心なんて、生半可な経験じゃ、わからないものよ? 現に私の身分や素性に、驚いたでしょう?
ここみたく、客の少ない狭い店で、入店時よりお喋りになっても、飲み食いを止めないのは、不安感や猜疑心を持った人、自信が無い人に多くて。よく話が支離滅裂になるのよ?」
「オー、イエス。さすが喫茶店のマスター。でも」
そういって少女はコーラを一口飲み「推理もプロファイリングも机上の空論でしょうが。妄想を膨らませて出すか、データからはじき出すかの違い。結局、人に思考と、行動を促してナンボだろ?」という。
真崎は、そうね、とグラスを棚に仕舞う。
「阿久津さん、確実な情報が欲しいのよね?」
その真崎に向かって阿久津は頷く。
「だったら、三十万のボトルを入れてくれる? 現金一括で」
「ええ」
「じゃあ、駅で待っててくれるかしら。ある人を紹介するわ。阿久津さんのケータイ番号は控えてあるから。一応、山形さんの番号も教えてね……三時間は欲しいわ。多忙な人だから今日中に会えるか、わからないけれど。でもレイコちゃんより、確実な身分、証言をする人よ」
「どちら様です?」
その阿久津の質問に、真崎は口を緩ませて、サングラスを少しずらして答えた。
「カラサワ・ユウキ」
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