Side〝T〟-4 Crime
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喫茶店〝Side・A〟に戻った少女は、入り口で立ち往生していた。
窓にカーテンが下がっていた。ぼんやりとした明かりが向かい合う人間のシルエットを映していた。
扉にある小窓にプレートが降りていた。
ノックしても青年は出てこない。扉に手を伸ばして、すぐに引っ込める。そんな行為を四回もやり、扉の前で少女は体育座りをした。膝を抱え込んで、流れる車、歩行者を眺めていた。
見える建物の屋根がすべて平らだった。そのせいで空が広い。見上げなくても、夜空と建物の境界がわかる。一台のトラックが通り過ぎた後、静寂が鼓膜を揺らす。少女は耳を押さえて顔と両手を両膝の間に入れ、丸まった。
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少女は肩を叩かれ、顔を上げた。
「おかえりなさい」
青年が、眼の前にいた。
「よかった。店閉めて探したんだ」
そういってから下がり、自転車を押してくる。
荷台から買い物袋を取り、自転車も担ぎ、扉へ。少女は青年の足を掴もうと手をのばす。
「というのは建て前で、買い出しに行っただけ」と扉を足で押すと、ぽろん、と音が鳴って扉が開いた。
少女は掴もうとした足が上ったので横に転んだ。
青年が、おっと、と声を上げ避ける。
少女は舌打ちした。
ピアノは演奏を続けており、中盤から終盤に入ったころだった。店前で仰向けになった少女にも聞こえていた。起き上がらない彼女の伸ばした手が扉のつっかえになり、開いたままだった。
自転車を店内のレジ横に置き、扉の小窓に降りたプレートを上げて青年は声をかける。
「どうした? 足、痺れたの?」
「愚鈍な自分を呪い、あなたへの憤りを抑えている」
「そんな大げさな」
「冗談を吐くときは気分が良いけど、愚痴るときは気分が悪い」
立ち上がり、カーゴパンツをはたく。束ねていた髪をほどき、がしゃがしゃと掻きまわす。
「すんなりできない事が多すぎる。くそっ」とまた髪を束ねた。
薄暗い店内に入り、指定席に座る。
自動演奏するピアノ、昼間青年が座っていた席。そのテーブルにキャンドルがあった。ウイスキーグラスより小さな壜に蝋を入れた手製のものだった。そのキャンドルを挟む男女がいた。
二人と視線が合い、少女は目を背けた。が、女の方から声をかけてくる。
「ひさしぶり。覚えてるかな」
「ああ。ボクの脳は忘れる機能に乏しいからね」
てれてるなぁ、と笑うのは、カウンターの冷蔵庫に食材を詰める青年だった。少女は彼を睨みつけ、どうやって調べたと尋ねる。
右手で青年は、座る男女を示す。
「キミから連絡を受けて、東京から訪ねてきたって」
「連絡? そんな覚えはない。ハメたんだろう」
「とんでもない。俺は教えてほしい……あちら様は、キミの事を知っているようだけど、俺には教えてくれない」
すぅぅ、はああぁ、と大きく深呼吸をして、少女は二人を見る。
女はボブカットの髪に引き締まった顔つきだった。白いワイシャツから見える肌も、ほんのり赤く日焼けしており左手の薬指の指輪が煌めいている。
男は刈り上げた白髪で、顔や手に染み、皺が多く、衰えた頬肉が下がっていた。黒い背広を羽織っていた。眼光は鋭く少女をずっと捉えて、ちっ、ちっ、と舌打ちをしていた。
「改めて……結婚、おめでとう」
「あのねぇ、二年も前だよ。式にも来ない、この風来坊」とショルダーバッグから写真を取り出した。
少女は床を見ていた。
女は写真を見せようと席を立ったが、すぐに座る。と、少女は頭を上げ微笑んだ。
「幸せアレルギーでね、ほんとうに悪意はない。彼は元気でやってるかな。よく泣かしたけれど」
「中学生のころでしょ。みんな成長してる」
いったん頬を膨らしむくれっ面を見せ、すぐに直すと、女は右手で男を示した。
頷いてから少女は、また頭を下げた。
「
「そういった社交辞令は、再会した恩師などにむけるものだ。私は、おまえを知らん」
「失礼。あなたと正式な面会をしていなかった」
ふん、と津木は鼻息を出し、青年を手招きした。ワインボトルを持ち、さっと、カウンターをくぐって、青年がワインを注ぐ。流れ落ちる赤い液体を見ながら津木はいう。
「三人だけで話がしたい。小一時間、外してくれ」
「申し訳ございませんが、ここのスタッフは自分だけです。この、おんぼろピアノが五回演奏する時間だけ、空けていい決まりですので」
赤ワインを有巣のグラスへ注ぐと、女が胸元から桜の紋所が付いた手帳を出し、身分を明らかにする。
ボトルをテーブルに置き、青年は腕を組んでいう。
「東京の刑事様は勤務中、お酒を嗜まれるんですか」
グラスに注がれたワインを揺るがし、津木はいう。
「飲まんよ、私は。上等な酒を注文したのに、こんなものを出されるとは……ホテルのルームサービスのほうがマシだ」
「旦那さまだけ、同じような理由でカレーにも手を付けませんでしたが、うちのは不味いんですか。見てわかりますか」
「このワイン、色や泡が安物のそれだ。上等な酒なら、飲んで仕事をきり上げるつもりだった」
「地酒っていうもんで、本場の外国人も絶賛してて、業者を通し、わざわざ北区から仕入れてるんですけどね。通ならわかりませんか。もっと豊かな言葉で欠点を表現できませんかね」
少女が青年の肩に手をやり「ちょっと失礼」と引っ張って席を離れた。
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女らの死角となる喫煙席側のレジの下で、少女と青年はしゃがんだ。
「正真正銘、友人と知り合い、彼女は現役の警官だ。誓ってもいい、喧嘩を売ると損する」
「じゃあ、あの偉そうなジイさんは犯罪者か。さっきも水が不味いとミネラルウォーターを買い出しに行かされて……営業妨害の現行犯じゃないか」
「彼はもと警官。己の価値観が絶対と思っている人だ。憲兵隊の血を脈々と受け継いで、生まれながら頭でっかちの勝ち組……だが公安内事課に彼女が所属したとは……この数年で、何かあったのかな」
「公安内事課って?」
「公安の中の」
おほん、と咳ばらいが聞こえた。話を止めて少女は立つ。女が背を向けたまま挙手していた。
「すまない。席を外してくれ。営業妨害で訴えてくれてもいい」
頭を深々と下げる少女に、青年は「キミの頼みなら」という。
顔を上げてカウンターの奥にあるドアに向かう彼を少女は見送った。扉が閉まる前に彼は「話が終わったら呼んでよ。廊下の途中、右の部屋を掃除してる」と早口で言って閉じる。
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同時にピアノの音が消え、鍵盤も動かなくなった。
少女は扉に向かい、プレートを引き下ろした。
向かいには女が。その右隣に少女は座る。
話をきりだしたのは、津木だった。彼がワイングラスから手を離したときだった。
「真幌女子高校教師殺害事件」
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