Side〝D〟-1 ある怪談 

 

 さて皆さん。

 突然ですが、この言葉についてどう思われるでしょう。 

 

 ナンセンスは『意味センス無しノン』と考えらるべきであるのに――昭和の文豪、坂口安吾の著作、ピエロ伝道師。その一文です。

 また前文に、こう書かれています。

 

 日本のナンセンス文学は、まだナンセンスにさえならない――彼の生きた時代、故人が思ったことを否定するのは、現代を生きるわたしにはできません。


 いま、わたしのいるこの迷宮にはSide〝R〟とSide〝D〟があります。そして〝序〟も。 

 もしかしたら〝A〟から〝Z〟まであるかもしれませんが、どうやら〝序〟で作者らしき人物は力尽きてしまった様子。

 なにやらナンセンスのようでミステリアスのような、奇妙な始まりです。


 実はわたしもこの迷宮に迷い込んだ口でして。

 脱出を試みてはいるのですが、なかなかどうして。

 見つけたのは〝序〟とSide〝R〟。

 そしてここ、Side〝D〟のみ。

 

 見物したのですが、一体、何がなんやら。

 もしかしたらと、先の言葉を思い出したのです。


 おや、風景が変わってきました。


 身体が小刻みに揺れています。そして音。

 匂いがします。人の影もうっすらと。

 風もあります、いえ、冷房のようです。


 どうやら電車の中のようですね。

 わたしの目の前に男の子と女の子がいます。

 十代後半。男の子は半袖の白シャツに黒い長ズボン。女の子も白シャツですが、緑の棒ネクタイに灰色のスカート。高校生のようですね。

 

 他に人はいません。わたしと彼らの距離は近いのですが、わたしには触れることも話しかけることもできません。

 会話を聞き、行動を見る。少しばかり心を読んだり、プロフィールを調べるぐらいはできますが。


 どうやら彼らも、わたしに気づかない様子。

 彼らは座席に並んで座っていて、わたしが目の前にたっているのに、お喋りを続けています。

 女の子が、何やら語っています。耳をかたむけてみましょう。


「学校の北校舎一階に、大きな鏡がある。その鏡は階段の下、壁一面にあり、大人でも全身が映るほど大きい。

 夕方、五時。その鏡を一人で見ていると、自分の後ろ、廊下の奥から小さなお婆さんが歩いてくる。

 五分間、そのまま立っていると、お婆さんに肩を叩かれ、自分の寿命と死に方を教えてくれる」


 どうやら怪談話のようですね。それがSide〝D〟の趣旨なのでしょうか。

 Side〝R〟では不可思議な裁判と、名前のわからない少女を淡々と見ているだけでしたが、今回はいたって平凡かもしれません。


 この二人に着いて行ってみましょう。

 もしかすると出口に導いてくれるかもしれません。


 ああ、言い忘れていました。

 わたしは作者でもなければ神でもありません。

 皆さんと同じ、ここにいる迷子です。

 お節介な、ストーリーテラーと思って……おっと、電車が止まりました。

 彼らは話ながら降りて行きます。見失わないよう着いて行きましょう。



 #

「これがウチの七不思議のひとつ〝五時ババ〟」

 女の子はそう言って電車を降りていきます。

 どうやらこの女の子は町田まちだ有巣ありすという名前のようです。

 短い髪、引き締まった体。健康的に小麦色に焼けた肌。


 そんな彼女の話を聞きながら、制服からときおりみえる、日焼けしていない彼女の肌を捜している男の子は、相田あいだ丈治じょうじという名前。丈治は言います。

「それのどこが怖いわけ?」

「え? うそ、怖くない?」

「学校、違うだろ」

「あ、そっか。じゃあ……〝トイレの花丸くん〟もダメか」


 丈治はうなだれて歩いていきます。

 二人は改札へ向かっていますね。

 ここは、真幌まほろという街のようです。あまりぱっとしません。

 駅では特に語るべきことはありません。

 駅員が浮浪者とひともんちゃくしているぐらいでした。

 丈治と有巣は十分も掛からず改札から外へ。


 さんさんと太陽の光が降り注いでいます。

 日曜日ですね。丈治がいじるケータイの画面には八月十日、午後一時とあります。

 

 ここ真幌は地方都市のようです。駅前に公園がありますが、見える風景は五、六階建てのビルが立ち並ぶぐらい。

 二人が多少の大声をだしても、いちゃいちゃしても文句を言う輩はいません。

 丈治と有巣はてくてくと歩いて行きます。

 

 ただ丈治は、話が下手な有巣にネタをねだったのが間違いだと思っているようです。

 どうやら来週、丈治はクラスメートと旅行に行くようですね。男ばかりのムサイ旅行ですが、夏が終われば大学受験にむけて勉学に追われる日々になる。

 モラトリアムを楽しくすごす旅行。その夜には怪談話が一番。猥談もいいけれど、この時期なら怪談だろうと、毎日ネットや彼女から話を集めているようです。

 

 でもどれもありふれていて、また決定打に欠けるものばかり。

「だいたい、学校の怪談ってのが、ありふれてんだよ」

「ウチの女子はみんな気味悪がってるけど」


 有巣の学校は女子校、丈治は男子校。 

 同い年の高校二年生で二人は付き合ってまだ一年ほど。

 あまり恋愛経験のない丈治は、文化祭で焼きそばの売り子をしていました。

 客として来た有巣に一目惚れ。

 その日に強引に合コンして見事、取り付いた。

 キスはしたものの、まだまだ、会話のたびに気づかされることが多いようです。

 

 有巣はとても子供っぽい性格。しかし空手部の副主将という顔もある。元気で活発なスポーツ好きの女子高生。天真爛漫という言葉がぴったり。

 

 丈治は見た目からして大人しい。背は高く筋力もあるようですが、ずっと帰宅部。成績は常に上位。国立大学の法学部を狙っているようです。少々、怒りやすいのが玉にキズ。

 

 いい意味で噛み合わないカップルだと、友人たちから呼ばれているようですね。

 

 駅を出てから丈治はケータイで都市伝説のサイトを検索しています。

 誰も注意しません。

 

――ネタがない。聞き役に徹する事態だけは避けたい。


「お、これ面白くね?」

 丈治はサイトのネタを有巣に口で伝えました。

 アニメにまつわる奇妙な噂。

 某有名アニメ映画が実は……そんな常套句からはじまる都市伝説。


「これらの場面から実は、主人公が死んでいる。この作品は死後の世界。どうだ?」

「それ観てない。ネタバレしないでよ」

 ぴしゃりと返され、丈治は悔しそうに舌打ちしました。

 でも有巣の意見に納得したようです。

 映画を知らない人間にこの話は通用しないと。


――ならば芸能人の裏ネタか、怪文書か。


 検索に没頭していると、有巣が思い立ったように言います。

「オカルトに詳しい友達がいるけど、呼ぼうか?」

 へえ、と丈治は声をもらす。

 

 有巣は女子空手部の副主将。今年はあえなく県予選で敗れたのですが、去年はインターハイ三位まで勝ち上がったほどの実力者。そんな彼女にオカルトなど話をする友人がいるとは、丈治にとって新たな発見です。


「話すと面白くって。悪い子じゃないよ」

 是非とも、そう丈治がうなずくと、彼女はケータイをかけました。

「あ、起きてた? 今、カレシといるんだけど」そうして有巣はケータイ越しに話をします。丈治はケイ―タイを仕舞い、彼女の声に耳を傾けていた。


「サイコってさ、そういうの詳しいじゃん? 何かないかな?」

 有巣はケータイで意気揚々と喋っています。

「あ、それダメ。さっきね〝五時ババ″のどこが怖いんだって、ツッコまれた。え? またまたぁ。そんな怒らないでよ。サイコの呪いはマジで効くんだから」

 けらけらと明るい声で有巣は笑います。

 

 しかし丈治は、背中に悪寒が走ったようです。

 

 じゃあ待ってるからと、有巣はケータイをきって、丈治に笑いかけました。

「今から近くのショップに来るって。直に話したほうがいいからってさ」

「その子、誰?」

「〝サイコ〟だけど」と、そこで有巣の顔と声が少しきつくなりました。

「あのね、変な名前とか言うと怒るよ、私」

「違うって。その、呪いって?」

 おっかなびっくりで尋ねる丈治に、有巣は「ああ、そっちか」となんともなしに返事しました。

「まえにサイコをイジメたグループがいてね、全員、事故とか病気とかしたの。本人がいうには黒魔術をかけたんだってさ」

 

 呪い、黒魔術、事故、病気。


 その言葉に不安感をおぼえ、丈治はその〝サイコ〟なる女子の同席を拒みました。これでも一応、デートだからと。

 怪談話をねだっても、気味の悪い事実は避けたいようです。

 すこし乱暴な口調で丈治は、有巣に断りの連絡をするように言いました。

 有巣はむっとしながらも謝罪と断りのメールを打ちました。



 #

 午後をくだっても、ますます日差しが強くなり、気温も上がっていきます。

 丈治は自分の住むアパートに有巣を招き、映画でも見ようと提案しました。

 有巣は快諾し、ビデオショップでDVDをレンタルして、警戒することもなく丈治の部屋に向かいます。

 

「へぇ。これそんな話なんだ。意外だね」

 有巣はさきほど、丈治が言った都市伝説を思い返し、楽しみにしています。でも丈治は心の中で、別のことに歓声をあげていました。

 

――付き合ってようやく。先日のキスから先、全く進展しない恋愛がついに。

 

 閑静な住宅街です。


 ここ真幌市は十万人ほどの地方都市でした。まああまり語ることも無い、平々凡々な街。

 歓楽街やら怪しげな店もありましたが、彼らはまだ未成年。立ち寄ったのはカジュアルショップやゲームセンター、そしてビデオショップ。

 ときどき同級生と出会って立ち話をして、別れる。

 ケータイが鳴ったら出る。

 大きな買い物もせず、眺めて、二人で笑い合う。

 普通の学生カップルですね。


 さて……七階建てのマンションに着きました。玄関はオートロック。


 エレベーターで六階に降り、丈治は自分の部屋の扉をカードキーで開けました。ホテルのようなセキュリティ。もちろん部屋も広い。1LDK、トイレと風呂は別。

 

 丈治は裕福な家庭の出ですが、家具は全て安物でした。

 二人は玄関からリビングに向かいます。

 が、そこで二人はあぜんと立ちすくみます。



 一人暮らしの丈治の部屋。

 なのに丈治の知らない女性がソファに座って読書していました。

 

 その女性はポニーテールで、髪と服は真っ黒。顔や腕は白い。

 我がもの顔でどうどうとソファに座って、足を組んで文庫本をめくっています。

 

 その女性の前には足の低いテーブル。オレンジジュースの満ちたグラスが置かれていました。

 彼女はグラスに手を伸ばし、一口飲んで、本を閉じました。

「ふむ……再読とはいえ、なかなか」

 感慨にふけったようにすこし宙を見つめて、やがて丈治と有巣に、その視線を移し、言いました。

「この本、ところどころ伏線があるけれど、キミ、作家志望?」

 丈治は顔をひきつかせながら、無言でたたずむのみ。

 その黒ずくめの女性は立ち上がり、両手を広げ、私的解釈を述べ始めました。

 有巣はなにやら、にやにやしていますが。


「なかなか面白い部分に線があった。ボクもドスト氏は好きだが、この主人公の心情は共感できなかった。主人公が受けた、司法による罰を笑うような描写が気に入らない。物語の展開としては良いが、人間としてはナンセンスではないか?」


 その女性は奇妙な口調で語り、リビングを歩き、本を棚にもどします。そしてきちんと整頓された三十冊あまりの古典文学作品を一望し、感慨深そうにながめ、また一冊の本を取ります。今度は太宰治の文庫本です。


「ありきたりだが〝人間失格〟を読んで、そのドスト氏を補完している、とボクは決着した。つまり〝罪と罰〟は作品自体が出題であり、その正確な答えは作中にはなく、読者がリアルで見つけるものだとね。キミはどう? ぜひ意見を」


 丈治はつかつかと歩いて、その女性を見下しました。丈治の表情は怒りに満ち、普段の生活で、有巣には見せたことのない歪んだ顔になって問います。

「誰だ、おまえ」

 

 丈治の端的な質問に、女性は有巣を指差し答えました。

「ボクは有巣の友人だが、キミこそ誰だ」

 彼女の口調に一切の躊躇も反省もなく、それ以上に強気です。

「素性を聞きただす身分なのか? それとも名作に対しての疑問がそれかい?」

 丈治は女性の襟元をつかみ、チンピラのように荒く「ここは俺の部屋だ。不法侵入者を追っ払う権利がある」と言い返します。


「ふふん。果たしてそうかな?」

 その女性は笑います。

 丈治には、彼女の色白い笑い顔が、悪狐の、あざ笑いに見えました。

 そして女性は一枚の紙をポケットから取り出し、丈治に渡します。


 その概要は……。


  賃貸契約書 マンション丸一 

  601号室

  賃貸契約者 相田斉衡(37)

  住人 相田柴胡(17)

  同居人 相田丈治(17)


 このような文面でした。


 丈治は驚き、その紙を熟読します。


――マンション丸一は父親名義で借りたマンションで、601号室は自分の部屋で間違いない。事実、ここで二年間も暮らし、今朝も起きて学校に登校し、補習を受けた。

 だが、なぜかその契約書の契約者と住人が、見たことも聞いたこともない人間の名前に変えられ、不動産屋の判子までも押されている。その朱印も本物だ。

 相田柴胡とは、この女の名前だろうか。それで俺が同居人扱いとは何事だ、契約者のおっさんは誰だ――


 うって変わって苦悶の顔になり、丈治は有巣に助けを求めます。

 有巣は笑いをこらえきれなくなって、すぐ大笑いしました。

「すっごーい! サイコってこんなことできるんだ!」


――サイコ。そうか、こいつがサイコか。


 サイコはキッチンに向かい、冷蔵庫を開け、オレンジジュースのボトルを取り出し、グラスを二つ、戸棚から取り、テーブルに並べました。もちろん丈治の私物です。


「有巣、偽造ではなく改ざん。まあ理屈では、この部屋は相田斉衡さいこうの部屋ということになる。その証拠は提示した。質問があれば答えよう」

 サイコは、座ってくれと、手を差し出す。有巣は飛びついていきました。

「ね、ね、どうやったの? これ、私にもできる?」

 有巣は彼氏の丈治など眼中になく、ソファに腰をおろします。

 

 丈治は震える手で、契約証を持ち、立ちつくす。それしかできません。有巣さえいなければ、いくら女でも容赦なく殴っていたでしょう。

 サイコと有巣はトークをはじめています。

「できるよ。ネット環境と知識さえあればね。でも、やりかたは教えない」

「じゃあ、鍵はどうやったの? ピッキングってやつ? ここはカードキーなのに?」

「管理人に契約証と学生証をセットで持っていけば、合鍵を貸してもらえるさ」

 グラスに注ぎながら、サイコは平然と言ってのけます。


「近所に挨拶まわりもしてきた。不思議なもので、人間は愛想がいいと愛想よくするものだ。双子の姉で二年間、実家で療養していたと笑って説明すると、すんなり納得してくれたようだった。恵まれた環境で良かった」


 ふう、と溜め息をついてサイコは窓に目をやり、目頭を押さえる。その仕草が、丈治のしゃくに触り、怒りがふつふつと。


「多少の手間とリスクはあるけれど」振り返ってサイコは丈治に視線を移す。

 にやり、と笑顔。

「そのぶん、成功すると愉快なこと極まりない。あんなふうにフリーズする人間は滅多にないからね」

 丈治はフリーズしていました。

 改ざんでも偽造でも、部屋をのっとられて、警察沙汰の現状を、どう打開するか。それを怒りに満ちた脳の片隅で思案して。

 

 止めとばかりにサイコは口で追い込みました。

「ボクにも良心がある。謹んで罰を受けよう……でも悪意が、精一杯の抵抗をして、悪事を考えているのだ! 読書中に試行錯誤し、司法に委ねようと決めたが、それは被害者の権利であり、ボクに、過ちを犯した少女などに権利などと! もう、ボクの今後はキミに委ねることにするよ!」

 

――このまま警察にもちこめば、サイコを必ず法で裁ける。だが同時に今週末の旅行、またその後に控える受験勉強と模擬試験云々、最悪の場合、受験の合否にひびく。たった数時間で他人の個人情報を盗み、改ざんするような女だ。もしその気になれば、知識と能力を総動員して、ありとあらゆる嫌がらせ、精神的な痛手を与えてくる――


「おまえ、何が目的だ?」

 やっとでた言葉は、とても平凡な質問。

 サイコはこめかみを押さえ、首をふる。そんなこともわからないのか、という呆れた素振り。

 丈治は、サイコに詰め寄り、鬼のような顔、声で威嚇しました。

「空き巣か? ストーカーか? 真っ黒くろすけ女」


 サイコはその脅しに、きっぱりと冷静に返す。

「初見の人間を簡単に見下すな。中古本と百円家具ぐらいしか買えない貧乏学生から、はした小遣いをまきあげるほど、ボクは落ちぶれていない」

 

 事実のみで攻撃され、丈治の血管が、音を立てながら怒り狂って脈動していく。

 サイコは、さらに目を細くゆがめて言います。

「友人の恋人を寝取るほど下衆でも野蛮でもないし、何よりキミはタイプではない」

 束ねていた髪をほどき、その髪の柔らかさをアピールするように撫でる。セットし直し「どうだ?」と丈治に見せる。


――悔しい。美人だ。有巣はアイドル風、サイコは女優。男を見下す実力はある。


 丈治は一歩、後ずさりしました。


「恋愛はするものではない、起きるべくして起きる天災だ。ボクはそれを極力、避けているだけ。一生、貞操を守ろうと誓ったほど失恋に臆病なのさ。さあ、情報は与えたぞ。ボクの目的は何だと思う?」

 

――嫌味か本音かわからない、ぐるぐるとうずまくような発言を、努めて冷静に考え、まとめる――。


 声を震わせながら、丈治は答えを出しました。

「つまり、ただ単に、不法侵入して、恋路の邪魔をしたかった。そのために、こんな罪を犯したってか?」

 サイコはにっこりと笑って、うなずく。

 

 天を貫く丈治の怒りはぶつけようがありません。ベッドに寝転がって何度も頭を枕に叩きつけて自らを制しました。


「なかなか面白い男だね」とサイコ。

 有巣は、そうでしょと笑って返します。

「いつもクールぶってるけど、ときどき壊れるの。可愛いでしょ」

「有巣もなかなか、物好きだね」

 

 おまえが言うなと、丈治は心で呟きました。

 せっかくの二人きりの空間をぶち壊されてしまい、丈治はふてくされ、隅のベッドに一人、寝転んで枕を抱きしめています。


――枕より有巣を抱きしめるはずだったのに。


「安心したまえ、丈治くん。用件が済めばボクは消える」

 心を読まれたようで驚き、丈治は体を起こし、サイコを見ます。

 彼女はすまし顔で、ジュースを飲んでいるのですが、すぐ、

「これは単純かつ、確実なプレゼンにすぎない。誓って悪意はない。これぐらい、たった数時間でやれる女だという自己紹介さ。本命はこっち」

 グラスを置いて、サイコは大きな、黒いバッグから紙を数枚出して、テーブルに置きます。

「夏の夜に、うってつけの資料だ。喜んでもらえると嬉しい」


 丈治と有巣がのぞき見る。

「うっ!」

「うわぁ……」

 すぐ、反応して二人は声を上げます。

 資料はすべてプリントアウトしたもの。ただ内容は苛烈でした。


 殺人事件らしい現場の写真。

 文字だけでも生々しい遺体の解剖、検死記録。

 顔も経歴も一目瞭然の、関係者や容疑者のリスト。

 被害者の個人情報、事件の概要など、門外不出、というより女子高校生が持っていて、損するものばかり。


――マニアックでサイケデリックだ。名前どおり、やはりこいつはサイコだ。


 と丈治は絶句しましたが、すぐに視線を資料に向け、手に取りしっかりと観察しました。

 将来は司法に仕えたい丈治にとって、貴重な現場の資料。そしてこれだけでも話のネタになる、と。


「こ、これってウチの学校じゃない?」

 有巣が、震える声と指で示すその写真は、テレビドラマでよく見る白いテープが、遺体の形をつくっているものでした。

 番号の書かれたプレートが、そばに置いてあり、大きな鏡の下方がすこし映っています。それを指差して有巣は言います。

「この鏡の淵、学校の鏡にそっくりだよね?」

「だよねって、俺、知らないから」

 するとサイコが、事件の概要を短く説明しました。

「十年前、ボクと有巣の通う真幌まほろ女子高校で起こった殺人事件だ。被害者は当時、新任だった女教師。まだ二十代の乙女だった。生きていたら結婚していただろうに。勿体ない」

「十代で独身を貫く、おまえも勿体ない」と丈治はぼやき、冷や汗を拭う。


 有巣が事件を深く追求し始めます。

「でもさ、そんな話、聞いたことないよ。デマじゃない?」

「ボクが知ったのも今年だ。事件の内容に触れると、それもわかるが……聞きたい?」

 有巣は何度もうなずく。しかし、サイコは口を動かさない。黙って、丈治を見ています。

「何、見てんだよ」

 いらいらして丈治がとっとと話せと催促します。


 でもサイコはソファから立って、キッチンへ。冷蔵庫からオレンジジュースのボトル、さらにプリンやヨーグルトなど軽食を抱えて戻って来ました。

「おい、話せよ。気味が悪い……ってそれ俺の!」

「丈治くんには話すが、有巣に聞かれると困る。有巣はボクにとって唯一の友人だ。登校拒否や退学されると、正直、さびしい。孤独は苦手なんだ、こうみえてもね」

 サイコは、そう言って、はにかむ。

 とたんに丈治の怒りはすっと、抜けてしました。

 

 しばらく沈黙し、サイコが食品をテーブルに並べていく。

「ボクは一人暮らしで故郷もここではない。ネットにも友達はいない。だからリアルの友人関係を壊すようなことは、絶対できない」と言いながら、サイコがつつましく、お菓子や軽食を食べる。

 

 その姿を見ていた丈治は何か激励の言葉を考えました。

 やがて、これは演技ではと猜疑心が働きだし、文句や愚痴などでサイコを追い詰める作戦を考えていきます。


 でも、有巣は笑って素直に言いました。

「大丈夫。事件は事件。学校は学校。サイコはずっと友達。後悔なんてしないって」

「可能性がないわけじゃない。そんな博打のようなこと」

「じゃあ、もしものときのために、丈治の友達を紹介する。今から合コンをセッティングしてもいいよ。これでも私を信用できないの?」

 笑顔で有巣はサイコに手を差し出す。

 サイコはスプーンを置き、ありがとう、と彼女の両手をしっかり握る。


 丈治はそこで口を挟みました。

「ちょっとまて。俺が聞きたいのは怪談話であって、昔の犯罪を知りたいわけじゃないぞ」

 するとサイコが大きく溜め息をつき、両手を広げ「キミは馬鹿か」と言う。すぐ丈治は表情を歪ませ迫る。

 サイコは動じません。むしろ冷静に口で対抗します。

「ボクと有巣はいま、友情を確かめ合っている。それを邪魔するのは野暮という」

「あのな、茶番に巻き込まれた俺は、いったい何なんだ」

「観客だ。賛辞を贈れ。ボクと有巣の美しい友情に拍手でもしろ。ほら」

「このキモ女!」

 丈治がついに立ち上がり、追い出そうと、サイコの肩をつかんだ、瞬間でした。


「この殺人事件の犯人は、まだ捕まっていない。このことは言ったかな?」


 すっと丈治の腕の力が抜ける。

「キミが〝五時ババ〟を、くだらない怪談だと決め付けるのは危険なのだ。これは怪談でなく、加工された事実なのだから」

 サイコは微笑をうかべ、とりあえず座れと顎でうながします。

 丈治はソファに座って、聞き役に。


「神話、おとぎ話、怪談、都市伝説。それらは私小説と同じく、実体験や実話、リアルありきのものだ。オリジナルなきフィクションは存在しない」


 サイコは本棚を顎で指す。丈治の読書は趣味であるから深読みはしていません。

 しかし、丈治も読者として、意見はあるようです。

「そりゃあ、作家志望なら一年で三十冊程度の本を読んでも勉強にはならない。だけど似たり寄ったりの作風、設定、筋は理解できる。これはあれを真似してる」

 丈治は文庫本を指さし「こっちのは、そっちの現代版みたいなもんだ。で、この作家はこいつの影響受けてるし」

 

 そんな丈治を無視してサイコは語りました。

「伝言ゲームみたいなものさ。この〝真幌女子高校殺人事件〟が歪曲して〝五時ババ〟になった。だが、すんなりと納得できないのだ」

 サイコは細い顎に手をそえ、まさに考える人のポーズをとる。

 丈治は努めて冷静になろうと、尋ねます。

「何が納得できないんだ」

「キミは馬鹿か? いや馬鹿だ。もう決定的だな」


――やっぱり冷静になれるか。


  丈治はサイコを殴るため、拳を握りました。すかさず有巣がフォローをいれます。

「つまり、誰も知らないはずの事件なのに、噂になることがおかしいってことよね? ね、丈治もそれぐらいわかってるよね?」

 

 そうだ、と丈治とサイコは同時に声を上げ、またも視線と意見をぶつけ合う。

「丈治くんのそうだは、それだの言い間違いだろう」

「サイコの考えなんかわかるか。常人の俺は、愛する有巣の考えに答えただけだ」

 

 いがみ合う二人に「やめなさいって」と有巣が話の筋をもどす。

「で、サイコは、この事件が〝五時ババ〟の元ネタで口外するなって言いたいの? 丈治が広めていい話じゃないってこと?」

 

 うんうんとサイコはうなずいて、すこし有巣の言葉を訂正しました。

「怪談の元ネタはこの事件だが、事件自体に奇妙な節が多く、事実のまま怪談話にもできる。提供してもいいが、有巣に犯人のとばっちりがこないように、彼と二人で話をしたい」

「おまえな……そういうことなら、最初に言え。犯罪やケンカの種をばらまくまえに」と丈治。


 丈治と有巣は息をついてお互いを見ました。そして無言で、うなずく。それから二人は阿吽の呼吸で同時に喋ります。

「二人で聞く」

 ぴったりと揃った返事に、むう、とサイコは唸るのみ。


「だってサイコは友達だし、捜査が現在進行中なら、もしものとき、一蓮托生じゃん」

「おまえ、キモいから。愛するものがいないと疲れる。でも話には興味がある」

 有巣と丈治は同時に主張します。

 サイコは二人の意見を聞くだけ。

「丈治がキレやすいのは、じゅうぶん分かったでしょ? 私がいないと、やばいって」

「有巣に隠し事はしたくない。それにおまえと二人きりの空間なんて破壊するぞ」


 サイコは拍手を打って、二人の言葉を止めました。

 静まったところで咳払いし、注意を。


「まず、私的解釈が多い。ボクの性格上、妄想がたまに入る。無論、注意をするがボクはときどき思考が暴走し、文字通り口が止まらなくなる。いいかな?」

 二人はうなずく。

「次は重要だ。容疑者を特定できたとしても直接、問いただすような行為はしないこと。二人は推理小説の探偵ではないからね。殺される可能性がある」

 有巣はうなずく。

「次も重要だ。警察に通報はしないこと。これはボクの趣味だから、こういった情報サイト、サーバー等の取り締まり強化は避けたい。ただの世間話にして、いつか忘れてほしい」

 丈治もうなずきます。

「最後に、最も重要なこと。ボクは他の人と違う。嫌うのはかまわないが、病人だと揶揄すると、心の病をもった人に失礼だ。そしてその人たちがボクと同じ、またはそれ以下だと誤解、差別しないでほしい。これは絶対にゆずれないぞ」

 二人は声にして「わかった、約束する」と了承しました。

「よし」とサイコは並べた資料の右から順に取って、バッグに仕舞う。

「じゃあまず、場所を変えよう。なるべく人の多いところへ」


 


 さて皆さん。

 どうやらここで道が分かれるようです。

 別のSideへの道と、このSideの道。

 賢明な方は、もう気づかれているかも知れません。

 わたしにも少し、ひっかかる部分というか、出口へのヒントを見つけました。

 わたしはこのままこのSideにて、他のSideと比較することにします。


 では、また。




 

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