ひとふで!
藤和工場
第1話 プロローグ
私は怖がらずに、そこへと一歩を踏み出した。
敷き詰められたPタイルはキュキュッと鳴き、心臓の大きな音をうまく隠してくれる。
時刻は夕暮れ。場所は人気ない特別教室。
それとこれを最高のシチュエーションだと言わずして、何だと言うの。
「ってね……」
私は心臓の音と上履きの音をうまく音楽になんかアレンジしちゃって『街ノ田一筆(まちのだひとふで)』と、自分の性と名がわかれて書かれた上履きの左右をきちんと揃えて、その扉の前に立った。
「恋の扉、ひらけっ!」
がらららっと軽快な擬音を思わず口で音声化。もしくは、毛筆で一筆書き上げたすっきり気分で特別教室の扉を開いた。
「ひっ」
だけど、なぜかこの耳に入ったのは、そんな感想だった。ここは私の到着を、夕暮れの逆光に体を墨みたいに真っ黒にして、待っているってシーンのハズなのに。
でも人影はちゃんとあるので、気にせずズカズカ進むことにする。私は曲がってることが好きじゃないので、真っ直ぐにガタガタと机を押しのけて進む。モーゼも真っ青な机割りの道を渡って、いそいそと。
「ひっ」
そして私を待ちわびる人の前で止まると、またそんな声が聞こえた。私の期待が勘違いを作って声が伝わるまでに、勝手に変換されているんだろうか。ここはどう考えても「君だったんだ、この手紙を出したの」とか言うハズなのだ。
「ええと、待たせちゃったかな?」
「い、いえ、待ってません、ごめんなさい」
どうもおかしい……どうして私とこんなに会話が噛み合ってないんだろう。
ああそうか、彼はとっても頭の回転が速いから、会話が飛躍するんだ。
うんうん、私の見立ては間違ってないぞ。
「うーんと、私が手紙の差出人の一筆です!」
「わ、わかってます、だから乱暴しないで」
「……ら、乱暴はしないけど……聞いて欲しいことがあるの」
「は、はい何でも聞きます。でも聞くだけです勘弁してください!」
目の前にいるのは、話の流れで当然男の子だし、私の意中の相手。夕暮れの教室で、ラブレターをもらった男子が、胸を高鳴らせて、私の到着を待っているという、どこの高校でも、毎日の放課後で起こっている、ごくごく普通のワンシーン。
だけど、やっぱりどこか何かが違う。演出家、出てこい。
「ああ、そっか。恋愛に奥手っていうやつね」
私はぽんと竹割り手を打って、彼に一歩近づく。
「ひひっ!」
だけど、私との相対距離を崩さないように、彼は一歩飛び下がった。それはもう見事な身体能力のようで、ますます惚れるしびれる。
「ごめんなさい、無理です無理!」
「何が無理……」
「無理だって、街ノ田さんとなんて僕には無理です!」
「いやいや、無理かどうかは付き合ってみてからでも遅くないんじゃない? 私はほら献身的だから、毎日お弁当も作ってくるし、お家に迎えにも行くし、ましてお寝坊さんを起こしたりもしちゃうし、その際の男の子的願望ハプニングも心得てるつもりだし、やっぱり学生結婚は早いかなとか思いつつ、出来ちゃったゴールインなんかキメちゃったり、子どもは何人?」
「だから、怖いんだよ!」
おかしい。ごく自然なこれからの流れを説明してみただけなのに。
「それに、僕は一般人だから、その……ごめんなさい!」
「あ、ちょっと!」
私の声をハサミでちょん切るみたいに、彼は陸上選手顔負けのスタートダッシュスピードで教室から出て行った。
「あれ、これ……もしかして……」
ぽつんと残された私の、長く垂れた横髪を開けっ放しの窓から吹き込む風がさらさらと撫でる。
「だから、重いって言ったのに……ばか一筆」風の音が耳元で止んだところに、声が届いた。
「ちょっと、そんな言い方酷いじゃない。たった今フラれた親友に向かってさ」
「別に……事実。一筆の超特急妄想についてこられる男子なんていない」
男子が走り去ったあと、待っていたみたいに、教室へと入ってきた腐れ縁の親友、天原羽(あまはらはね)は小さなナリのくせに、態度は私よりデカイし、口も悪い。
「それに向こうは一般人で、こっちは能力者。だから無理……」
「そんなことないハズだったんだけどなぁ……」
「そういうもの……でも高校に入ってからまだ二ヶ月くらいで、五連敗……これは卒業までに大記録が打ち立てられる予感……」
「はぁ……」
私は羽の言葉に大きく溜息で返した。
溜息も風に乗って、夕方の世界にすぅっと溶けていったみたいだった。でも、自然に消えたのは溜息だけで、未練には消し方がある。
「恋心って、そんなもんなのね」
ひとつはすぐに溶けてなくなるけど、なくなったスペースには次という選択肢が出番を待っているもんだ。そうとでも思わなければ、やっていけない。
「また、新しい恋を探すことにする……恋に生きる私……まっすぐだわ」
「懲りないやつ……面白いけど」
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