第七十九頁 ゴールド・サン・アンド・シルバー・ムーン 2
「うおおおおおおおっっっ」
地響きのような咆哮と共に、ダスピルは地面を蹴り街田から飛び退いた。同時に、拳を握り潰さんとする"別の手"からそれを引き抜いた。
ダスピルの拳は、まるで何かの機械にでも巻き込まれたように歪み、血がボタボタと滴り落ちていた。
「貴様、普通の人間だと思っていたが…何か…何かを隠しているなッ!」
ダスピルは街田を問い詰めたが、街田こそこっちが聞きたいよ、という心境であった。そういえば、先程スミレに刺された傷も不自然な程に浅かった。
何かに守られている。
そんな感覚があったし、街田には早くも見当がついていた。が、意図が分からない。
途端、ダスピルは街田の顔を見て目を丸くした。
いや、顔ではなく、正確には頭と肩の間の空間である。
動物の頭のような者が街田の首筋から顔を覗かせ、唸るようにダスピルを睨みつけていた。
「犬…だと………この人間!犬憑きなのかッ!」
やはり。ダスピルの拳から、偽サシの包丁から、もっと遡ればサイバーローズの召喚攻撃、全ての危機一髪から街田は何かに守られていた。
「………」
犬は街田の体に重なるように、半透明な身体でそこに立っている。語る事は無く、ひたすらダスピルを睨みつけている。
「おい暴力男。先に断っておくが、小生にお前と戦う気はない。ただ…」
犬の目付きが一層険しくなり、グルルル、と唸った。
「小生もよく分からんが、この犬が何らかの行動を起こす…のではないかと考える。カプセルを操る悪魔は知り合いか?あいつも同じだった。小生は何もしていない。ただ突然吹っ飛んで二度と立ち上がらなかった。"こいつ"がやったのだろう」
ダスピルは悟った。てっきりサイバーローズを倒したのは、今自分が再起不能にしたこの赤い女だと思っていた。
そうではない。
本当に危険なのは、ただの弱い人間だと思っていたこの男だったのだ。
霊と悪魔は、一般の人間からすれば同じ怪異であるが実は全く質が違う。
悪魔は人間と同じようにそれぞれに自我があり、人間の悪意を引き起こすという役割もはっきりしている。この魔界、人間界のパラレルワールドとも言える世界にそれぞれが暮らしている。数は人間と同じくらいであり、誰しも良い心があれば悪い心もあるように、均衡よく、存在するべくして存在する。
しかし霊は違う。桜野踊左衛門もそうであるが、必ず何か強い目的を持ってこの世に執着し、場合によっては本人すら何のために居るのかを理解していなかったり、自分で自分をコントロールできなかったりという場合もある。
そもそも、存在しないはずのものがそこに存在するという事自体が立派なイレギュラーだ。悪魔は人間のようにそれらを気味悪がったり怖がったりする事はないが、それを敵に回す事が相当に面倒だという事は悪魔の誰しもが理解していた。
ましてや動物霊は最も厄介だ。何を考えているのか分からない。人間が動物の心を分からないように、悪魔も分からない。それが、説明もつかない執着で、存在しないはずのこの世に存在している。悪い条件が全て揃っている。
しかしダスピル本人にしても、それで魔王スリルへの忠誠心が揺らぐ事は無い。
態勢を立て直し、再度構えた。右拳は少し骨が折れ、血にまみれているが彼にとって重大な事では無かった。
「不安要素は取り除かなくてはならない…どんな手を使ってもな」
街田はダスピルの方向を向いたまま、口だけを動かした。
「おい犬。小生の意見や質問がお前に通るという期待はしていないので、駄目で元々、の精神で訊くぞ。あの男と戦えと言えば、お前は素直にその通りにするのか」
結局こいつは敵なのか、味方なのか。それを知りたかったが時間がない。味方であれば、言うことを聞くはずだ。
犬はウンともスンとも…勿論ワンとも言わない。ただただ、両者の睨み合いが続いている。
タンッ。
その足で、軽やかに地面を蹴ったのはダスピル。無駄な音や動きは一切ない、格闘家の動きそのものだ。
真っ直ぐ街田…いや、犬に向かって走り込むと共に無数の拳を浴びせかけた。
子供が駄々をこねる時のようながむしゃらな物ではない。人体の急所を理解し、一発ずつ確実に当たる計算の元にくりだされるパンチの嵐だった。
が。
「ネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバネバ」
怒号ともつかない、恐ろしいまでの掛け声と共に犬は同じく拳のラッシュを浴びせかけた。
ネバネバ?いったい何がどうしてネバネバなのか分からず、要らない疑問とともに街田には別の感情もあった。
(あまり宜しくない描写なのではないか)
この"ネバネバ"が、否定の"NEVER"を意味するという事を彼が知るのはもう少し先だが、誰も何の得も損もしないため描かれる事は無いだろう。
街田は一歩下がり、その様子をしばし見守った。
こいつは味方なのか。そういった疑問があった。こいつが味方であるなどと思った事などなく、むしろ自分の人生はこいつのせいで味気なく、哀しいものになってしまった。
「NEVERRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR」
最後とも思える咆哮と共に、片方が勢いよく吹っ飛んだ。
民家の塀に勢いよくクラッシュし、ガラガラとダスピルに降り注ぐ。
「おい」
街田はダスピルに近寄った。おそらく立つ事は出来ないだろうし、サシの居場所を聞き出す必要があった。
「やった…のか?」
息を切らしながら、ガガがフラフラと立ち上がった。口からはまだ痛々しく液体が垂れている。
「大丈夫なのか」
「あ…アタシはあんなんじゃあやられねーよ…それより何なんだ…さっきのは…お前…」
話は後だ、もしくは、そんなもんこっちが聞きたいよ、という風にガガを無視し、ダスピルに近寄る。瓦礫がモヤモヤと白く濁った粉塵を漂わせていた。
「………?」
居なかった。
ここに倒れたはずのダスピルが居ない。鍛えた身体能力で、すぐに姿をくらましたのだろうか。だとすれば、またどこかから攻撃をしかけてくるはずだった。
「逃げたんじゃねーの…」
「あまりにあっけなかったと思うが」
「そりゃお前、何だよさっきの。訳わかんねーよ」
「お前にも見えたのか」
ああ、とガガは瓦礫の方をチラリと見た。
ガガとて打撃を喰らったのみで、完全に再起不能という訳では無さそうだった。
「お前」
街田はガガの片腕に目をやった。ガガには片腕が無かった。取り外す事が出来るが、相変わらず不気味だ。
「ああ、やられた時に吹っ飛んじまったんだよな…アタシの腕…探さなきゃ…」
ガガがくるくると辺りを見回し、腕を探し回った。
ただ、何となくだが街田には彼女が"腕"を真剣に探しているようには見えないな、という感じがした。とりあえず格好だけ見回しているような、適当さがどことなくあった。
「"街田"ァ。お前も一緒に探してくれよォー」
街田がそれに気付いたのは遅かった。0.5秒ほど。
遅かった。
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