第七十頁 インドウェル & ボーイズ・ロマンス

 幸いにも、病院内に今回の戦いによる犠牲者は居なかった。医師、看護師、患者達も、何が起こったのかよく分からないままそれぞれの役割に戻っていった。

 高木香奈は身体も意識も元に戻ったが、まだ安静にという事で病室に残った。

「あの、黒い本の事ですけど」

「大丈夫大丈夫!ゆっくり休んでて。寝ててもOK!私はここでメモって帰るからね。ありがとね、高木さん。学校に復帰したら、ジャムパンご馳走してあげるね」

 メモ?何の事でしょう、と顔にクエスチョンマークを浮かべつつも、さすがに疲れていたらしく香奈は眠りについた。ジャムパン効果か、その寝顔は幸せそうだった。

 あられもない姿を桜野に見られ、泣きながら服を着たどるは気を取り直して香奈の隣に座り、彼女の記憶を読みながらメモを取った。


 高木香奈が解読した"CATALOGUE"の暗号は次の通り。


 ・付属のカセットテープは、逆再生で日本語の単語が7つ羅列されている。

 ・順に、「恐竜」「CTスキャナー」「愛」「あの娘の歯型」「クラインの壺」「神」「星の形」。関連性や法則も無く、なぜこのような言葉が並べられているのかは分からない。

 ・高木香奈の考察としては、黒い本全77冊の中にこれらの単語が隠されている。


「えーと、77冊あって、確か1冊あたり400ページくらいあったっけ…かけると、えーと、えーと」

「30800ページでござる」

 幽霊に計算問題で負けた!どるはショックだったが、それにしても30800ページなんて途方も無い。だいいち、あの本にある言葉が何語かも分からない。さすがに本の頭の中は読めないよ、と手を挙げかけた。

「誰かこの言語が分かる、博識な者が居れば良いのでござるが…」

 はっと桜野は気付いた。

「居た…何故気付かなかったのでござろうか」

 2人は眠る高木香奈に別れを告げ、病院を出た。


 目には目をというように、言語には言語を。

 分からない言語があるのなら、言語を操る事を生業としている人間に聞くのが良い。

「ま、ま、ままま街田先生………っっ?」

「桜野踊左衛門と…またお前か、椿木どる」

 星凛町、氏のアパート近く。

 どるは人生の恩人ともいえる憧れの人を前に赤面必至であったが、名前を覚えてくれているのが嬉しかった。

 …相変わらず警戒されちゃってるけど。

 しかし、どるは違和感を禁じ得なかった。街田の顔が完全に疲れ切っている。仕事が忙しいのだろうか、前のような覇気が無い。

 しかしそこは彼女、理由はすぐに分かった。


「サシちゃんが…さらわれたんですか」

「やれやれ、お前には話さずとも分かるだろう」


 街田の家で暮らす妖怪サシは、悪魔カインに連れ去られた。

 正しくは、悪魔カインの遣いだ。

 時間は桜野がどるの学校に転入した日の数日前に遡る。


 ……


「先生先生先生」

「何」

「クワガタムシ、見つけたんですけどっ!」

 嬉しそうに黒い耳をぴょこぴょこと動かしながら、サシはクワガタムシという生物を持って街田に得意げに見せた。

「お前、どこで見つけたんだそれ…怪しすぎるぞ。そういう季節ではないだろう、今は」

「家の前で…」

 確実に夏ではない。しかもこれは日本では絶滅危惧種に限りなく近いと言われているオオクワガタだ。

「確かこれは売れば高いはずだ」

「だ、ダメですよ!私が飼います!可愛いじゃないですか、クワガタムシ」

 可愛い可愛くないでクワガタムシを飼う奴はあまり聞かない。せいぜい小学生か、研究家だ。

「やめておけ。どう考えてもこの季節にクワガタムシがいるなど不自然だ。これまでのパターンからして、悪魔か妖怪が化けているとかに決まっている。面倒ごとは御免被るぞ。はやく捨ててきなさい」

「えーーーーー」

 突然。

 クワガタムシの体がみるみると膨張し、1人の少年の姿になった。坊ちゃんのような短髪にゴーグルをかけている、ストリートチックな少年だった。

「な、何で分かったの?おじさんエスパーか何か?」

 街田はあまりに読み通りな状況に腹立たしささえ覚え、冷ややかな目で少年を見下ろした。

「何だ貴様は。間に合っている。出て行け」

「ええ、せっかくサシさんに"お招き頂いた"のにそれはちょっと。むしろ増えていいです?」

 天然くさい少年は不敵にかわし、大声をあげた。

「兄ちゃーん!どーぞ!オッケーだよーー」


 バン、とリビングのガラスが割れたと同時に、コロコロとカプセルが転がり込んできた。よくレストランの入り口やゲームセンターで見かける、あの"ガチャガチャ"のカプセルだ。

「せ、先生!」

「だからあんなもの捨ててこいと言ったのだ!」

 カプセルがパカッと開き、中からは…一体どうやっておさまっていたのか、最初の少年よりも背の高い青年が現れた。こちらも長髪にゴーグルをかけている。

「でかしたぜービートル=O。ったくよーカプセルはやっぱ窮屈だよなあ。この娘か、"カインさんが"言ってたのは」

「サイバーローズ兄ちゃん、クワガタの姿だってけっこう息苦しいんだぜ。昼間は子供に追っかけられちゃうし」

 妙な二人組はどうも兄弟のようだが、それ以上に聞き慣れた名前を発したのを街田は聞き逃さなかった。

「何者だ…カインと言ったな。あいつの仲間…お前らは悪魔か」

「ありゃ!バレバレだよ兄ちゃんどうしよう…」

「いやバレたから何なんだよ。差し支えねーだろ、俺らの仕事には…」

 サイバーローズと呼ばれた青年、もとい悪魔が、サシに向かってポイッと何かを放り投げた。

「サシ!避けろ!」

 街田は唖然とするサシに手を差し伸べたが、遅かった。サシの身体はみるみると縮み、カプセルに収まってしまった。「西遊記」の妖怪が持っているヒョウタンのようだ。名前を呼ばれて返事すると吸い込まれるあの…

「ゲーーットだぜーッッ!」

「兄ちゃん。その決め台詞はあんまり良くない気がするんだよね…」

「るっせーなあ、気に入ってんだからいいだろ。行くぞ!」

 2人の悪魔兄弟はサッと魔方陣を描いたが、街田の体当たりによって妨げられた。

「うおっ!ってーなあおっさん!テメーに用はねえんだよ!」

「サシをどこへ連れて行く?カインに頼まれたのか」

 サイバーローズに馬乗りになり、街田はカプセルを持つ手をギリギリと掴んだ。

「アンタに話す理由はねえんだぜ。この妖怪の娘を連れてきゃあそれで任務完了だッ!ビートル=O!!」

 咄嗟にサイバーローズは弟の名を呼んだ。

「お、お、お前の後ろに、か、か、必ずいるぜ〜っと。おじさん、クワガタムシって男のロマンって感じしない?」

 ビートル=Oはいつのまにか先程のクワガタに変身し、その顎で街田の頬を切り裂いた。

「うおおっ!!」

 よろめく街田を勢いよく突き飛ばすサイバーローズ。

「くそっ!」

 街田とて負けておらず、転倒の勢いを利用してサイバーローズに足蹴りを食らわせ、またサイバーローズもよろけて転倒する。

「諦めの悪いおっさんだな!周りを見な!」

「………?」

 街田は部屋を見渡した。


 無い。何もかもが。


 テーブル、椅子、ソファ、テレビ、食器棚に至るまでが何も無い。まるで引越しの前日に全て荷物をまとめてしまったように、すっからかんになっていた。

「まさか」

「そのまさかだぜ、おっさん!こんな事するつもり無かったが、あんたが悪りーんだからなッ!」

 サイバーローズがポイッと街田の頭上に何かを放り投げた。ひとつではない。沢山の、カプセル。

「<インドウェル>、これが俺の能力だ。便利だろう?」

 一斉に全てのカプセルが開き、街田の上に無くなったはずの家具が出現し、降り注いだ。

「できるだけ穏便に済ませたかったんだがよォー、抵抗するからだぜ…」

「兄ちゃん…ガラス割って入ってきた時点で全然穏便じゃないと思うんだけど」


 サイバーローズとビートル=O。2人の悪魔兄弟は魔方陣の中に消えた。

 カプセルに入ったサシを連れて。

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