メンタルクリニック

瀧本一哉

高橋メンタルクリニック

 ここは高橋メンタルクリニック。精神治療専門の小さな町医者だ。

「ホンダさーん」

 薄桃色の清潔な服装の看護師に呼ばれて一人の中年男性が治療室に入ってくる。治療室には椅子が三つ。その間はパーテーションで区切られている。

「ホンダさんこんにちは。前回の治療からお変わりないですか?」

 まっさらな白衣にすらりと伸びた身を包み、マスクをしていても爽やかに笑っているのがよくわかる、街に出ればモデルと見間違えられそうな彼こそがこのクリニックの院長、高橋秀一たかはししゅういちだ。

「いやあ、先生の治療は最高だよぉ。最近すごく調子がいいんだ。」

 ホンダはガハハと大げさに笑い、案内された左奥の椅子へ座る。

「それは良かったです。じゃあ今日は残りの小さいところを治していきますね。」

 高橋はホンダの横にある治療用器具の前に座る。

「じゃあ、倒します。」

 手元のボタンを操作するとホンダの座る椅子は電動でリクライニングして、まさに歯医者で治療を受けるような格好になる。

「はい、力抜いてくださいねー。」

 高橋はホンダの胸のあたりに手をかざす。と、ホンダの“心”が浮かび上がってくる。一見白いのだが、よく見ればあちこちに治療の痕。そして今回治療する小さな黒ずみ。

「表面だけなのですぐ終わりますからねー。」

 高橋が優しく語り掛け、手元からドリルを取り出す。

キィーーーーン

 高速で回転するドリルは黒ずみをあっという間に削り取る。

「じゃあ、詰め物詰めていきまーす。」

 高橋は薬品を注射器のような器具で空いた穴に手際よく流し込み、穴を埋める。そして特殊な光を当て、それを固めていく。それが終わるといつの間にか“心”はホンダのなかに戻っていた。

「どうですか、気分悪かったりしませんか?」

 高橋はにこやかに尋ねる。その笑顔が移ったかのように、

「んいや、大丈夫だ。これで全部治療が終わったんだな?」

 ホンダもまた笑顔で答える。

「ええ、なにもなければ半年後くらいに定期検診に来てください。日々のケアはくれぐれも欠かさないでくださいね。」

 高橋がそういって席を立つ。そして次に向かったのは右奥の席。


「お待たせしました。」

 そこに座っているのは灰色のパーカーを着た少女。

「スズサキさん、これはちょっと大きいねぇ・・・」

 高橋はスズサキに画面を見せながら説明をする。

「この、白いところが君の心の固い外側の部分。そして真ん中の黒いところが“シンケイ”なんだけど・・・ここ。ここがかなり大きくなっちゃってて、“シンケイ”まで届いちゃってるんだよねぇ。」

 高橋はしっかりとスズサキを見て説明し、スズサキはそれをじっと聞いている。高橋は続ける。

「このままだといけないので穴の部分を大きく削って、“シンケイ”取っちゃいますね。それでまず根っこの治療をして、よくなったら“シンケイ”代わりになる薬を入れて、ふたをします。こまめに通ってもらうことになるけど、他の場所にも穴があるし、若いうちに治しちゃいましょう。」

 高橋は優しく微笑む。スズサキは消え入りそうな声で「はい」とだけ答えた。

「じゃ、そのままだと痛みが出ちゃうので麻酔しますねー。」

 高橋はスズサキの椅子を倒し、胸に手をかざす。するとまた“心”が浮かんでくる。しかしそれはあちこちが黒ずんでいて、穴も多く空いている。そして大きな穴が中の赤い部分まで到達しているのがわかる。

「はい、麻酔しまーす。」

 麻酔液の入った注射針が“心”の根元に刺さり、中の液体がゆっくりと注入されていく。同時に、スズサキの表情が歪み、やがて消えていく。

 高橋はそれを見届けると手元の道具を次々に持ち替えながら穴にこびりついた黒ずみを削ってゆく。

キィーーーーン

「ちょっと響きますよ。」

ガリガリガリガリ・・・

 スズサキが無意識的に眉を寄せ、また元の表情に戻る。

「もう少し削りますね。」

キュイーーーーン

 ドリルの音が止み、そこに浮かぶのは真っさらに、ぽっかりと穴が開いた“心”。そして内部から赤黒い“シンケイ”が覗いている。

「“シンケイ”取っていきますね~。何かあったらすぐ知らせてください。」

 細長い針金のようなもので赤黒い塊の周りを削り、引き剥がしていく。スズサキの表情に変化はない。

カリカリカリカリカリ・・・

 高橋の手に迷いはなく、ちぎれた“シンケイ”を拾い上げては傍らにいる助手に渡していく。

 そうしていくうちに不気味な塊は跡形もなく取り去られる。

「それじゃあ根っこの治療をしていきます。」

 高橋は“シンケイ”の根元に様々な薬を塗り付け、こまめにスズサキの顔を見る。変化はない。

「じゃあ、“シンケイ”の代わりになる薬入れて蓋しますね。」

 緑色透明のゲルが流し込まれ、定着する。スズサキの表情が歪み、またリラックスしたようになる。

 そして無色透明な液体が流し込まれ、すぐに白く変色して穴をふさぐ。

「今日はこれでおしまいです。次回も根っこの治療をして、痛みが出なくなったらちゃんとした蓋をしますね。」

 高橋は優しく微笑む。

 スズサキの“心”はまだ黒ずみがあるとはいえ、かなりきれいに見える。そしてそれはスズサキの胸の中に戻っていく。

「はい、ありがとうございます。」

 スズサキははっきりとした声で笑った。

「お大事に。」

 高橋の声を背中に受けてスズサキは診察室を出る。そこに若い看護師がやって来て高橋に告げる。

「先生、先ほどムライさんからお電話がありまして、今日の治療をキャンセルとのことでした。」

「わかりました。ありがとう、ミヤノさん。」

 高橋はそう笑い、思い出したように尋ねる。

「あ、そうだ、次の方は初診なんだっけか?」

「ええ、高校生の男の子です。」

 高橋はなるほどという様に頷いて、診察室に入れるように促す。

「片岡くーん。どうぞー。」

 明るいミヤノの声に呼ばれ、神妙な面持ちで少年が入ってくる。

「片岡君、こんにちは」

 高橋の爽やかな声が響く。



 ここは高橋メンタルクリニック。精神治療専門の小さな町医者だ。

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メンタルクリニック 瀧本一哉 @kazuya-t

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