Second memory 90

= second memory 90 =


年下の瑛琳に教えられたことは、ちょっと目から鱗で心の奥にストンと落ちていた。

あの日から少し変わった気がする。一日のうちでSHINのことを考えている時間が少し減った。少しだけど。仕事の時以外はずっと彼のことを考えていたから。

仕事以外の本を読んだり、映画も見たいと思えるようになった。昔、弾いたことがあるアコースティックギターを買って練習している。一曲だけ弾いて歌えるようになりたい。きっと彼は驚くだろう。

淡々と過ぎる日々に、特に大きな感動もなければ落胆もない。


3月3日、もちろんBirthday Messageを送る。

何度も何度も書き直した結果、おめでとうの後に

「20代最後の瞬間はどこにいたの?」

と綴った。SHINは今日30歳になった。ひとつの区切りだよね。まだダメなの?

一人で(HAPPY BIRTHDAY)を歌いながら、小さなケーキにロウソクを3本立てた。しばらく眺めていたけれど、ケーキに蝋が垂れるばかりで誰もその灯を消してくれない。

小さな灯りの中で、SHINの(allelujah)を聴いていた。


お兄ちゃんに買ってもらったあと、買い換えた携帯は世界中どこでも使える機種にしてある。初めての台湾出張の時に変えた。番号とアドレスは一緒。もちろん私が支払ってる。

6月3日、誕生日の日はチームのメンバーが誕生日祝会をしてくれた。

お母さん、お父さんからも、ゴリとカバからもおめでとうメッセージをもらった。

そしてお兄ちゃんからも。メッセージのあとに

『あの日はいろいろ悪かった。一度、帰ってきてくれ。』

とあった。もちろんもう怒ってはいない。お兄ちゃんの気持ちもわかるし、私のことを心配してくれていたことも今はわかる。血に染まった妹の服を見たら誰だってパニックになるよね。もちろん勝手に人の部屋に入ったり、クローゼットを漁るのは反則中の反則だけど。きっとそれもひとつの愛の形だ。


家に帰る道をいつもよりゆっくりと歩く。もしかしたら途中で彼が出てくるかもしれない。そんな風に考えてしまっていた。

家に帰ってPCのメールを確認したけど、メッセージは届いていない。仕方なくお風呂に入ったあと、一人で缶ビールをあけた。苦くて好きでなかったのに、おいしいと思った。

25歳。20代の折り返し地点をこんな風に迎えるとは思ってなかったな。

あの日がなければ、今頃あの部屋で彼と一緒にいただろう。彼の腕の中で25歳になっただろう。そして今年の夏、彼がどこに行くのかと思っていただろう。

右手の薬指のringを見つめて思った。

神村朋になっていたかもしれない。

ゴリやカバも誕生日を祝ってくれたかな。でも今年はオーナーが亡くなった年だから。

確かなのはwonderlandにいたら私は台湾にいないし、この仕事もしていない。毎日少しずつ積み上げられていく仕事のやりがいは、知らなかったかもしれない。確実に前に進んでいるという充実や、自分の企画が進む方向を、自分が決めているという快感も。

選択をしたとは思っていない。それしかなかった。でもどんな風にその方向に進んだのだとしても、その場所で時は流れている。

泣いていても、待っていても、進んでいても。

SHINの言葉を思い出す。

『stayではなく、君の時間を生きながら待ってて。』

どうせ流れるなら素敵な時間にしよう。泣いていたらstayになっちゃう。素敵な時間を生きながら、待たないで待つよ。

一人でいろんな思いを巡らせていた。

25歳の最初に、SHINのDVDを観ようとPCを開けたとき、一通の新着メールが・・

『Happy birthday 25 s』

SHIN・・生きててくれた。

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