First memory 76

= memory 76 =


店内に入ると、もうすっかり片付いていた。

厨房で田中さんが煙草吸ってる。

「田中さんごめんなさい!待っててくれました?」

私に気が付いて、首を振った。

『今、終わってみんな帰らせました。それで一服。今日はお疲れさまでした。楽しかったですね。大成功、おめでとうございます。』

「ありがとうございます。皆さんのおかげです。本当に大変だったと思います。」

きちんとお辞儀をしながら涙をふいた。

『いやいや、本当に楽しかったです。オールキャストの(ALWAYS)しびれました。それに俺たち、臨時ボーナスもらうんですよ。みんな喜んでますよ。』

田中さんの笑顔と言葉がうれしい。

ボーナスの件は知ってる。予算に入ってるから。

『CHERRYさんと藪さんが予算に組んでくれたの知ってますよ。でも実はプラスアルファ―で。さっきオーナーから連絡あったんです。』

オーナー、そうだったんだ。ありがとうございます。藪さん?

『それから、これこれ。』

田中さんはそう言って、ブルーとピンクの紙の束をくれた。アンケート用紙。

『チラッと見ましたが、概ね好評ですよ。』

田中さんから、アンケートの束をもらってちょっとうれしくなる。

「ありがとうございます。」

ドアの鍵を預かって帰ってもらった。


いつもより、ずっとゆっくり着替えた。

着替えたあとにアンケートをチラチラ見たり。

でもSHINが入ってきた様子はない。

ホールに出る。田中さんが電気を消して帰ったから、真っ暗だった。

ピアノの椅子に座る。振り返ると月は随分高くなってる。

鍵盤を開けた。あなたもお疲れさまでした。

「ありがとう。」

ピアノにお礼を言ってから、わずかな月明かりで(CANON)を弾いた。

1回弾き終わるまでに入って来たら、手を放したことを許してあげようって。

途中からすごくゆっくりになった。バイエルの頃みたいに。そうして弾き終わったのにSHINは入ってこなかった。

〈SHELLY〉でみんなが待ってることを思い出す。借りていたSHINの上着を持ってドアの外に出た。まだ同じ場所で話している。

SHINに上着を渡して

「〈SHELLY〉に行ってます。鍵、お願いします。」

と敬語で言って鍵をわたす。

『あっ、ごめん。後から行くから。』

って。

私はサオリさんって人に会釈をして〈SHELLY〉に向かった。

振り返らない。

寒いからきっとSHINは店に入ろうって言う。

それでホールで、あのピアノの前で話すんだ。サオリさんっていう人と二人で。

予想はつくけど〈Noon 〉に入るとこ見たくないから、振り返らない。


〈SHELLY〉には、ゴリとカバと葵ちゃんとツーちゃんがいた。他のメンバーはもういない。

ツーちゃんはソファで寝ている。

衣装のまんま、緑の鬘のまんま。

『遅いから先に乾杯だけして、みんな帰らせたわよ。みんな疲れてたし。』

「ごめんなさい。」

ゴリは私の様子がおかしいことにすぐに気が付いたみたい。そのあとは何も言わなかった。

ツーちゃんの横に座ってたカバが、ツーちゃんの緑の鬘の上から頭を撫でながら言った。

『ツーを褒めてあげてね。本当に頑張ったの。司会をしたり、歌ったり、そうじゃない時はホールを飛び回ってたんだから。それにこの子、本読んだのよ。シェイクスピア(真夏の夜の夢)。活字見ただけで頭痛がするって言ってたのに。』

ツーちゃん、そうだったんだ。

私には何も言わなかったのに。

SHINのことですぐにこっちに来なかった自分を反省する。ごめんね、ツーちゃん。

葵ちゃんは裁縫をしている。衣装のほころびを直しているみたい。私の視線に気づいて言った。

『今日、2着とも使っちゃたからね。明日洗濯したいから先に直しとくの。今日はりきりすぎて、ここ破けたから。』

ちょっと微笑んでくれて、またとても器用に針を使った。

葵ちゃんもありがとう。ごめんなさい。

『SHINは?』

カバに聞かれて、またブルーな気持ちが蘇る。

「なんかお客さん来てた。」

『女ね。』

ゴリが私を見ずに言う。

そりゃ私の様子でわかるよね。

「サオリさんって人」

ゴリは私の方は見ないで

『ふーん。』

って。

葵ちゃんも私の方を見ずに針を動かしながら言った。

『あー、SHIN の昔の彼女でしょ。』

ムカシノカノジョ?

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