第47段 引く手あまた 【古】

昔、ある男に、丁寧に心遣いして、なんとか逢いたいと思う女がいた。しかし女は、この男が浮気者だという評判を聞いて、男に対して愛想なくなるばかりで、言った。


 私はあなたを慕ってはおりましたが、近頃はいろんな女からひっぱりだこにおなりになったというあなたを、私は決して信用することはできません。


男は返して、


 私のことが、大幣のように引く手あまたな男だと評判なようですが、そんな浮名も、流れ流れて、最後に流れ付く瀬もあるでしょう(その最後の拠り所があなたです)。


【定家本】

むかし、男、懇にいかでと思ふ女ありけり。されど、この男をあだなりと聞きて、つれなさのみまさりつゝいへる。

 大幣の ひく手あまたに なりぬれば 思へどえこそ 頼まざりけれ

返し、男、

 大幣と 名にこそたてれ 流れても つひによる瀬は ありといふものを


【朱雀院塗籠本】

むかしおとこ。ねんごろにいかでと思ふ女ありけり。されどこの男あだなりときゝて。つれなさのまさりて。

 大幣の ひくてあまたに 閒ゆれは 思へとえこそ 賴まさりけれ

返し。

 大幣と 名に社たてれ 流れても つゐによるせは あるてふ物を


【真名本】

昔、男ありけり。鄭重ねんごろに、如何いかでと思ふ女ありけり。れど此の夫、あだなりと聞きて、顔強つれなさのみまさりりつつ云へりける。

 大麻おほぬさく手あまたに なりぬれば 思へどえこそ 手飲たのまざりけれ

返し、夫、

 大麻と 名にこそ立てれ 流れても つひる瀬は 有りといふもの


【解説】

ねもころ → ねむごろ → ねんごろ。現代と意味はほとんど変わってない。親密な仲である、というよりは、まだその前の、口説いている段階という意味に訳すべきだろう。

大幣。大祓おほはらへの時に使う幣。

大祓は六月と十二月の晦日に百官以下万民の罪・穢れを祓によって捨てた儀式。

幣は紙や麻などを切って垂らしたもの。また、大嘗祭、斎宮・斎院の卜定ぼくじょう、疫病や災害の時にも臨時に行われた。

祓いが終わると、人々は大幣の切れ端を体に引き寄せ撫でて、穢れをうつして川に流すという。

「ひくてあまた」も現代の用法とほとんど同じ。

「つれなし」無情な、無表情な、冷淡な、という意味。これもほぼ現代語と同じ意味。


『古今集』0706

ある女の、業平の朝臣を所さだめずありきすと思ひて、よみてつかはしける

読人知らず

 おほぬさの ひくてあまたに なりぬれば 思へどえこそ たのまざりけれ

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る