031 よしや草葉よならむさが見む
昔、内裏で、ある女官の局の前を渡ったときに、何の恨みがあったかはしらないが、「よかろう、草葉よ、おまえの成り行く運命を見てやろう」と女が呪いの言葉を吐いた。男は
罪もない人を呪えば、忘れ草が自分の上に生えると言うぞ、
と言った。うまく言い返されて、嫉む女もいたようだった。
【定家本】
むかし宮の内にて、あるごたちのつぼねのまへをわたりけるに、なにのあたにかおもひけん、「よしやくさばよ、ならんさがみん」といふ。おとこ、
みつもなき 人をうけへば わすれぐさ おのがうへにぞ おふといふなる
といふを、ねたむ女もありけり。
【朱雀院塗籠本】
むかしおとこ。宮のうちにて。あるごたちのつぼねのまへをわたるに。なにをあだとかおもひけん。よしや草葉のならんさが見んと。いひければ。男。
つみもなき 人をうけへは 忘草 をのか上にそ おふといふなる
といふを。ねたう女も思ひけり。
【真名本】
昔、宮の
と云ふを、嫉む女もありけり。
【解説】
『朱雀』だけ「むかしおとこ」となっている。当然「おとこ」「おとこありけり」があるべきだが、『定家』『真名』ともに欠落している。逆に『朱雀』が補完したのかも。
『真名』では「児達」とあるが、本来は「
『伊勢物語直解』『伊勢物語抄』など近世の註釈本では「よしや草葉よならむさが見む」は
忘れ行く つらさはいかに いのちあらば よしや草葉よ ならむさがみむ
であるという。出所は『続万葉集』八・石上乙丸の歌であるという。しかしながら『続万葉集』は現存しないし、石上乙丸もだれだかわからない。『伊勢物語直解』は室町時代の三条西実隆の作であるとされるが、実隆の作であることすら疑わねばなるまい。偽書のたぐいであろうと思う。
局の前を通ったというのは、単に通り過ぎたというよりは、昔関係があった女房の局を素通りしたとも解釈されていて、事実そうであったかもしれない。
「うけふ」は「神意をうかがう」という意味であり、平安時代には「呪う」の意味に転じた。
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