029 花の賀
昔、二条の后がまだ東宮の御息所と呼ばれていたとき、その花の賀に特別に招待された者の中で、近衛司であった人が、
いつも飽きることなく歎いていたが、今宵はこの晴れの場に招かれて感無量である。
【定家本】
むかし、春宮女御の御方の花の賀にめしあづけられたりけるに、
花にあかぬ なげきはいつも せしかども けふのこよひに ゝるときは(ものぞ)なし
【朱雀院塗籠本】
二條后の春宮のみやす所と申ける時の御かたの花の宴に。めしあげられたりけるに。肥後のすけなりける人。
花にあかぬ 歎はいつも せしか共 けふの今宵に しくをりはなき
とよみてたてまつれり。
【真名本】
昔、二条の
花に飽かぬ 歎きは
【解説】
『定家』には「春宮の女御の御方」とだけあるが、『朱雀』『真名』はもっと詳しい。また、『定家』では「めしあづけられたりけるに」。
『朱雀』には近衛司ではなく「肥後のすけ」とある。また「花の賀」ではなく「花の宴」。
在原業平が「肥後のすけ」であったことはない。また、肥後守、肥後権守ならば「肥後の守」と書くはずであり、「肥後のすけ」はその部下に過ぎない。ではいったいだれなのか、ということになる。
「召し上げ」なので、身分の低いものが特別に、ということになる。
藤原高子が東宮の御息所と呼ばれたのは子の陽成天皇が皇太子であった頃のはずなので、870年から876年のことであり、28才から34才のことでなくてはならない。
「賀」とは特に、長寿の祝いであって、40才以降に、10年おきに行った。
もしこれが長寿の祝いであったとしたら、高子ではまだちと若すぎる。では藤原良房だったかというと、これも確証がない。確定するのは難しいかもしれない。
それでまあ、いつものように、話の内容と歌とはもともと関係なく合成されたものだとすれば、この歌にはそんなに深い意味はないのだろう。
昔恋仲だった在原業平と藤原高子。いまや、高子は清和天皇の女御となり、皇太子の母となった。業平はその高子に招かれて久しぶりに彼女に再会した。彼女と会えずにずっと歎いていたが、会えばあったで、あまりにも境遇が違っていて、よりを戻すことなど思いも寄らない。余計に歎きが深まった。というように解釈できなくもないのかもしれないが。多分違うだろう。
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