第三話
朝は相変わらず追い詰めるようにやってくる。一日のサイクルは朝でなくてはならないのか。そんなことを考えて眠りについたはずだった。昨日は、僕と優輝が気持ちを伝えあった日、今までの関係が終わり、新しい関係が始まった日。夢は相変わらず真っ暗だった。
突然現実に引き戻される。スマフォのバイブレーションが暴れだした。急いで画面を見る。
(優輝からの着信です)
通話ボタンを押す。
「おはよう!歳!今日も頑張ろー!あ、只今、6:00でーす」
「こんな朝早くから元気なことだな。まあ今日くらい早起きしてみるよ」
「じゃあまた、いつもの場所で!今日はお弁当作ってみたんだー。前言ってた特製唐揚げ」
「了解。それじゃあまた。って今…」
言葉を発しようとしたら通話は終了していた。溜め息を漏らしたが、自然と笑みが溢れるほど幸せだった。本当に僕たちの常識の世界は変わるんじゃないか。ずっと光が射したまま二人で歩めるんじゃないか。そんなことを妄想しながら支度を進めて、家を出た。いつもの集合場所に彼女は先に到着していた。
「歳!こっちこっち!」
「あーはいはい」
面倒臭い訳ではない。改めて自分に実感させたのだ。失ってはいけない存在ができた。知ってしまった。この感情が永遠に続けばいい。翼を広げて共に飛んでいけばいい。彼女と僕はどうして出会ったのだろう。生まれる前から背中がくっついていたのだろうか。
「またボーとしてる」
「あ、すまん」
「何か不安でもあるの?今朝も少し声のトーンが低かったし」
「いや、優輝がいてくれてよかったと思って」
「なにそれ!馬鹿!阿呆!学校行くよ!」
「はいはい。お姫」
「そう言うのをやめてって言ってるのよ」
背中をベシッと叩かれる。しかし彼女は嬉しそうだ。これまでにないくらい顔が赤い。僕も自然と笑顔になる。
それから二人で話を交わしながら、学校の教室へ入る。
「おーと!お似合いお二人さん!元気かー?」
「うん。元気だよ」
「おはよう伊東。凄くいい朝だな」
「今日は否定しないんだな」
伊東が変なのーとか言いながら、通り過ぎると二人でクスクスと微笑した。これは二人の関係なのだ。誰にも邪魔させない。
午前中の授業はいつも通りの憂鬱かつ退屈な時間だったが、楽しみが待っていると分かると、誰でも楽しくなるものだ。チャイムの音で授業終了が伝達される。
「一緒にご飯食べよ」
僕から声を発する。
「そんなに楽しみなの?優輝さんの特製唐揚げ」
「当たり前じゃないか。彼女のご飯を食べるの誰でも楽しみになるよ」
「仕方ない!食べさせてあげよう!」
「ちょっと待て!それは、流石に学校ではやめないか?もっとほら、知っている人がいない場所とかにしよう」
「ちょっとくらいいいと思ったのになー。じゃあいただきます」
僕は早速特製唐揚げを食べる。先日食べた唐揚げよりもスパイシーになっていた。
「おいしい。毎日作ってもらいたいよ」
「毎日は駄目!栄養バランス考えないと」
「そうだね。先日、栄養バランスの話をしたばっかりだもんね」
「今度は野菜もちゃんと入れないとね」
二人で会話をしていると僕たちの方に一人の女子が歩いてくる。
「ほんと仲良いわね」
そう言って話しかけてきたのは同じクラスの樋口だ。
「ライトノベルに例えるなら、何故か付き合うダメダメ主人公と可愛いヒロインね」
「酷い言われようだな」
「可愛いってそんなことないよー」
樋口は、熱烈なライトノベル読者であり、アニメも少々見るらしい。何度か僕もライトノベルを貸してもらったことがある。樋口が黒色の眼鏡をカチャっと手で上げて言う。
「武井君は最近本読んでないの?」
「読んでるといえば読んでるけど、忙しくて」
「そう、また感想聞かせてね。オススメのライトノベルもあるし、また貸してあげるわよ。今回はあなたたちみたいなスポーツマンで、楽しそうな男女のお話よ。ではお幸せに」
そう言って、樋口は立ち去っていった。まさか、気づいてるわけじゃないだろうな。何に関しても鋭い樋口は少し脅威だ。
その後授業を二限受け、終礼が終わる。
「優輝。今日は学校残るか」
「そうだねー。できれば二人がいいけど」
「なんか、付き合い始めてから更に可愛くなったね」
「そ、ソンナコトナイヨー」
明らかに棒読みになっている。僕自身もこの発言は大胆だったと思い、顔を伏せる。勉強はかなり効率よく進んだ。今まで以上の手応えはある。テストという難題をパスできる準備は万全だ。
家に帰宅するとすぐに就寝の準備を済ませた。就寝した。
時間というものはあっという間に過ぎる。自分が時間を引き寄せているのかもしれない。余計なことに頭を使わないほうがいい。
朝、眼を覚ます。本日は青空だ。僕は背伸びをする。全身の筋肉が伸び、働こうとしている。
普段よりも三十分早く家を出た。よく寝た後の朝は、脳みそが宙に浮いている感じがする。心地悪い訳じゃない。血液が循環して筋肉がスムーズに動く気がする。いつも通り優輝と合流し、学校へ向かうと、僕たちよりも先に、剣道部の井川がテスト勉強を開始していた。
「いつも二人で登校してるの?」
「まあね」
「井川君はシャーペンの芯が0.3なんだ!なんで?」
「理由はないけど、細くて止め跳ね払いが綺麗な文字が好きでさ。俺もそんな字をノートに書けたらこの時期特にやる気でそうじゃん?」
「なるほどー。私0.5なんだけど、変えよっかな」
「いいと思うよ。本田って字がしっかりしてるし」
「ありがとう!帰り文房具屋寄ってみよ!ね?歳」
気づくと僕は脳と心臓がギクリと驚愕し、温かいなにかがじわじわと上ってきた。これは、ひょっとしてジェラシーなのか。まだ井川は僕と優輝が付き合っていることを知らないはず。ただ単に僕以外の男と喋るだけでも許されないなにかが僕の中にはあった。自分が悪魔に見える。天使に矢を撃って欲しかった。その矢は彼女が生成する思いなのかもしれないし、ひょっとすると悪魔を自分で消去する為の思いかもしれない。今この時も秒針はカチカチと一定運動を続けている。優輝といる時間はクラスメイトの誰よりも長い。そういう意味では安心するが、どうしても束縛という二文字が思い浮かぶ。これは僕の心が生成したものだ。しかし、自分が必死になっていたことに気づく。優輝が僕以外の男と話そうが、知ったこっちゃない。僕たちだけの会話を大切にしていけばいいのだ。
「歳!またボーとしてる。考え事してたんでしょ!」
「ごめん。大したことじゃないんだ。ただ本当にボーとしてただけ。それと話は聞いてなかった。もう一回言ってくれる?」
「学校帰りに文房具屋寄って、シャーペン買うからついてきて。ついでに歳も何か買えば?あそこの文房具屋結構大きいじゃん。書店も隣接されてるし、そっちにも寄ってみようよ」
僕は頷いて、優輝の顔を見た。不思議そうな顔をしていたが、すぐにニコッと微笑んだ。
約束した通り、帰りに二人で文房具屋に向かう。
「ねぇ。歳」
「なんだ?」
手を差し伸べる優輝に対して疑問を抱いていると。
「ん!」
と、もう一度手を差し出された。そうしてやっと僕は理解する。
「はい」
彼女の手を握ると温もりが伝わってくる。人間の手の温かさは丁度いい。もしくは彼女だからかもしれない。僕よりも少し小さくて綺麗な手だ。
「ほんとに付き合ってるんだね」
優輝は空を見上げる。
「そうだね」
そう呟いて、ぎゅっと握る。僕たちは黙って俯いたまま歩いていた。ふと彼女の顔を見たら、目が合ってお互い再び俯いた。
「歳も恥ずかしい?」
「当たり前だよ」
「成長したってことだね。私たち」
「昔は手を繋ぐなんて普通にしてたのに。でも今は違う。ちゃんと恋人として繋いでるもんね」
僕も空を見た。鳥が二羽並んで羽ばたいている。僕たちのように。
「やったー!着いた!」
「そんなに喜ぶことか?」
彼女は横で目をキラキラさせている。早速井川におすすめされたシャーペンコーナーを見る。様々な色が棚を彩っていた。
「これよくない?赤色のハート入ってるし、デザインもシンプルだし」
「優輝らしいね。いいと思うよ。俺は、この緑のシャーペンにしようかな。なんでも最近は緑を選んでしまって、自然の色愛好家みたいになってるよ」
「歳もイメージと合うね!それじゃ、これ購入。値段もお安い!」
「そのくらいの値段だったら、俺が買うよ。辛いこと思い出させてしまうかもしれないけど、お金、少しだったら出すから。喜んでもらいたいとかそんな気持ちじゃない。力になりたいだけなんだ」
そういうと優輝から少し笑顔が消えたが、すぐに顔を上げて言った。
「ありがとう。ではお言葉に甘えて」
僕は会計を済まし、カフェに行かないかと誘うと、彼女は賛成した。僕たちはまた手を繋ぎ歩き出した。風は僕らの歩調を早めるように背中を押してくれていた。
カフェに入り、珈琲を二つ注文した。彼女はシュガーを一杯入れ、僕はブラックを飲む。珈琲を生まれて初めて飲んだのが、中学一年生だった。その時はシュガーを何杯か入れたのだが、味わい、飲み込む感触が堪らなく好きになった。それ以降僕は珈琲を毎日のように飲む。読書をする時も、ゴルフの休憩中も、一口飲んで息を吐き出す運動を繰り返している。
「歳の珈琲飲ませて。私もブラックに慣れる!」
「いいけど、苦いぞ?無理するなよー」
案の定一口飲んで、苦いと呟く。
「でもまだ飲みたい」
「なんでそこまでして飲もうとするんだよ?」
「歳と一緒のものがいい…」
「全く…。徐々に慣れていけばいいじゃん。ほら、これ優輝の珈琲」
甘い、と言いながら、美味しそうに飲んでいる。そんな彼女を観察するのも悪くない。隣のテーブルの男女は何も喋らずスマフォを触っている。
「次はゴルフかな」
僕は唐突に呟く。
「そのためには、バイト頑張らなきゃね。私帰りに冊子貰って帰ろ!」
「俺もついでに探そうかな。新しいの始めたいし」
会計を済まし、カフェを出て、再び帰路に戻る。勿論、僕が全額支払った。駅までは五百メートルもない。少しゆっくり歩こうと思い、歩調を緩める。
「とりあえず打ちっ放しかな。バイトを探してからね」
「とりあえず打ちっ放しだね。バイトを探してから!」
「真似すんじゃない」
もう自然に手を繋いでいる。風は相変わらず、追い
駅に着くと、冊子を取る。パラパラとめくるが、これだと思うバイト先がない。出来れば彼女と一緒に働きたい。
「優輝、今日は遅いから、もう帰った方が良さそうだね」
「え?でも、もう少し一緒にいたい。だってまだ十九時だよ?高校生なんだからいいじゃん」
「夜は危険だし、何かあっては困る。俺もまだ一緒にいたいけど、心配してるんだ。わかってくれ」
優輝は了解したように頷き、目を閉じた。最初は戸惑ったが、僕は答えるようにキスをする。お互い腰に手を回し、愛を分かち合う。
「好きだよ。優輝」
「私も歳大好き」
言葉を交わし、改札の向こうに消えていく彼女を見送る。唇と腰にはまだ彼女の温かみが残っていた。
守るべき存在を知ってしまったその時から、僕の道は分岐をさらに増やした。君の笑顔が見たいから、君の体を近くに感じていたいから。僕は君の心になる。君を見下ろす空になる。色々なことを考えすぎて、どこにも焦点が合っていなかった。僕を見下ろす空は優輝ただ一人なのだろうか。僕は普段より深く深呼吸をして、帰路に着いた。
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