第7話 沙織、ある夏の日の1コマ
今日は暑かったけど、大きな洗濯物がカラッと乾いて嬉しいな~。
「いてててっ!」
あれ? ああ、そう言えば、少し前からここら辺に転がってたかも……。
抱えていた洗濯物で視界を遮られていた為、身体の向きを変えて足下を確認すると、そこには悶絶するゴンザレスが居た。
潰しても元に戻るし、大丈夫だよね? でも一応、謝っておこう。
「ごめん。そこに居るのを忘れてたわ。さっきからピクリともしてなかったし、寝てたの?」
「ずっと起きてたよっ!」
プンプンと、本気で怒っている口調で主張されてもね……。
「そう? 目が開いたり閉じたりしないのって、寝てるか起きてるか分からないし、意外に不便ね」
何か能天気な表情で、何もかもが台無しなのよ。ゴンザレスを見てると、表情って大事なんだってつくづく思う。
「それ以前の問題だよな……。こっちは真剣に悩んでいるってのに、表情が変わらないから全然分かって貰えないし……」
「それ以前に、その能天気な表情だと、どう見ても悩んでいる様には見えないんだけど?」
「酷いよね!?」
でもそんなゴンザレスが、何をそんなに悩むのか気になるな……。
そんな素朴な疑問が発生した為、床に座って洗濯物をたたみながら尋ねてみた。
「それはともかく、何をそんなに悩んでるのよ」
そう促してみると、私の前にちょこんと正座した奴が,、神妙に言い出した。
「俺ってさ、何なんだろう……」
「クマ型憑依宇宙人」
「だ~か~ら~! そんな細かい事は取り敢えず置いておいて、俺はどうしてここにこうして存在しているのかなと、そういう事を悩んでるわけ!」
だから頭に手をやっても、かきむしるとか無理だから。
「……今更な気がするんだけど。自分がここに居る存在意義とか?」
「そう!」
「無いんじゃないの? だってうちを侵略したって、世界征服とか無理だもの」
「もう嫌だ……」
そう言って床に突っ伏した奴を見て、イラッとした。事実を正確に指摘してあげたのに、一々面倒くさいわね。
「別に小難しい事、考えなくっても良いんじゃない? 要するに『我思う故に我在り』って事でしょ?」
「何、それ?」
「う~んと、正確な所は忘れたけど、確かデカルトの言葉で、あらゆる事象が実際に存在するのか疑わしいけど、疑問に思っている自分の意識は確かに存在するって事? だから自我を持って思考している以上は、その存在と言うか意識と言う物は、現時点で確かに存在してるって事。……でもこれって、ぬいぐるみにも当てはまるのかな?」
ピョコンと不思議そうに顔を上げたゴンザレスに、聞きかじっただけの知識を披露する。
まあ……、ちょっと間違ってても良いよね? だって自分でも、良く分からなかったんだもの。
「じゃあさ、俺ってこのまま存在していても良いのかな?」
「良いも悪いも……、『ウザいから消えて』って言ったら、あんたは消える事ができるの?」
「……やっぱり沙織ちゃんは冷たい」
また声が湿っぽくなってきた……。
今日は暑いし、湿っても外に出しておけば、すぐ乾くと思うけどね。
「ちょっと。さっきからウジウジしてないで、タオルを畳む位できるわよね?」
「はいはい。何か悩むのが馬鹿らしくなってきたよ……」
何やらブチブチ言いながらも、素直にたたみ始めるゴンザレス。だけど三枚目をたたみ終えたところで、ふと気が付いた様にこちらに顔を向けてきた。
「そう言えば、沙織ちゃん」
「何?」
「今日は火曜日だよね?」
「そうよ。それが?」
「今日は学校は休み?」
思わず、洗濯物を畳んでいた手が止まった。
やっぱりこいつ、馬鹿だわ。
「……今日から夏休みよ」
「へ?」
「夏休みって分からない? 著しく作業効率が落ちる暑い時期に、教師と子供が『こんなくそ暑い時に、勉強なんかやってられっかー!』と錯乱して暴れ出すのを防ぐ為に、お上が定めた長期休暇の事よ」
「え、ええと……」
何やら困惑している奴に、説明を続ける。
「因みに受験生以外の子供にとってはパラダイスだけど、共働きの親にとっては子供をどこに預けようかとか、家族旅行の日程調整に四苦八苦して、頭の痛くなる時期でもあるわね」
「……ご苦労様です」
「あ、勿論私は、ここに行きたいあそこに行きたいなんて、小さな子供みたいな事は言わないわよ? 行きたければ一人で行くから」
「うん……、ほんっと沙織ちゃんってクールだよね。でもさぁ……、もうちょっと可愛い方が良いと思うんだけど……」
何やらまたブツブツ言ってるけど、余計なお世話よ!
「それにしても、いつも通り起きて朝食を食べて、午前中に学校の夏休みの宿題を三割方終わらせて、昼食を食べてゴロゴロしてゲームやって、おやつまで食べて洗濯物を取り込んだ時点で、漸くそれを聞くわけ? 鈍過ぎない?」
「…………」
途端に黙り込む奴。
当然よ。反論のしようが無いわね。
「因みに夏休みは、八月末までだから」
「え? じゃあ毎日ずっと一人?」
「平日はね。でも今年はあんたがいるから、一人じゃないけど?」
「へ?」
そこで再び洗濯物をたたむ手を止めて、考えてみた。
「……うん、去年までと比べると、確かに随分喋ってるよね。一人だと何を言っても独り言になっちゃうから、なんとなく嫌だし」
「そうか……、うん、そうだね」
「何一人で納得してるのよ? 変なの」
しかも、何か妙に嬉しそうだし。変な奴。
でも……、そうか。独り言になっちゃうよね。独り言かぁ……。
「う~ん」
「……何?」
思わず考え込んだ私を見て、何やら腰が引けながら恐る恐る尋ねてくる奴。
失礼ね。一体私を、どんな人間だと思ってるのよ?
「ゴンザレス。外に行く?」
「え?」
「ママに夕飯の買い物を頼まれてるのよ。リュックに詰めていけば、周りの人にも変な顔をされないと思うんだよね。どう? やってみない?」
「行く!」
「よし、決まり。出かけるわよ」
私の提案に、嬉々として乗って来た奴。
やっぱり一日中家の中に居たら、退屈だろうしね。
「頭を出す為にファスナーをかなり開けてるんだから、後ろから手を突っ込まれてお財布を盗られない様に、気を付けてよ?」
「大丈夫! 変な奴が居たら『泥棒!』って叫んでやるから」
「実際にそんな事をしたら、絶対腰を抜かすわね」
スーパーまで徒歩十分の道のりを、ゴンザレスを入れたリュックを背負って、てくてく歩く。
一応注意事項を口にすると、自信満々に言い返してきた。その場面を、想像するだけで笑える。
「でもやっぱりこの位置が良いわ。歩きながら普通に会話ができるし。ぬいぐるみを抱えて歩くような恥ずかしい真似はできないし、バッグに入れて手に提げてると、話しの度に持ち上げたり、声を大きくしなきゃいけないから不便だもの」
「うん。確かに周りから見たら変だよね」
「でもこれなら、独り言を呟いている様にしか見えないだろうし」
「おい、菅原。何ブツブツ言いながら歩いてるんだよ?」
「相変わらず変な奴」
「今日は巧は一緒じゃないのかよ。旦那をほっぽりだして火遊び中か?」
マンションの横の公園を抜けて、そろそろ大きな通りに差し掛かろうかといった所で、面倒な三人組に捕まった。どうしようかと思ったが、取り敢えず連れに、状況説明をしようと思う。
「あら……、これはこれは……。頭の中身も顔の作りも、巧に一歩も二歩も劣っているコンプレックスの裏返しで、何かと巧と一緒にいる私に時たま思い出した様に絡んでくる、他に仲良しのお友達がいない残念トリオの、長谷部則夫君、井上龍太君、小林進次郎君、こんにちは。でも正直に言わせて貰えば、夏休み早々会いたくなかったわ」
背中のゴンザレスに相手との関係をさり気なく説明してみると、小声でなんとなくうんざりした様な声が返ってきた。
「……懇切丁寧な説明台詞をありがとう」
「どういたしまして」
「……ざっ、残念トリオ!?」
「おまえっ! 普通、そこまで言うか!?」
確かに普段だったら、もう少し取り繕ってるけどね。しょうがないじゃない。ゴンザレスと一緒に居る時に、絡んできたあんた達が悪い!
「さすがに普通は言わないけど、こっちにも色々事情があってね。気に障ったのなら、一応謝るけど」
「ふざけんな!」
「何だよ、お前こそ未だにぬいぐるみを持ち歩いてんじゃねえか!」
「すました顔して、とんだお子様だよな!?」
「あ、ちょっと!?」
人が殊勝にも謝りましょうかと言ってるのに、何勝手に人の物取り上げてるのよ!?
一瞬ヒヤリとしたけど、あいつらの手の中のゴンザレスが大人しくぬいぐるみの真似をしているのを見て、冷静に考えた。
うん、あいつは馬鹿だけど、底抜けの阿呆じゃないし、アドリブを利かせる位できるわよね。
「ほらほら、返して欲しかったら土下座しろよ!」
「ぬいぐるみが大事な、お子ちゃまとは笑えるな!」
「別に良いわよ?」
「え?」
「正直、変な処分はできないし、誰に押し付けようかと思って、持ち歩いてたのよ。助かったわ。それ、色々取り扱い注意だから宜しくね。じゃあさよなら」
そう言ってあっさり立ち去るそぶりをすると、途端に連中が狼狽した。そしてその手の中で、響き渡る異音。
「ちょっと待て!」
「何だよ、取り扱い注意って」
「そんな変な物」
「ギシャアァァ――ッ!!」
何か得体の知れない獣の咆哮とか、金属の激しくこすれ合う音とか、どうにもぴったりと表現しきれない音がゴンザレスから発生した。
やるじゃない。あんた予想以上に演技派だったのね。今の今まで知らなかったわ。
「なっ、なんだぁ!?」
「今の声、って言うか変な音、これから聞こえたぞ!?」
「キドウカイシ……、カイシ……」
「なっ、なんだぁ!?」
「タイショウシャ、ロック・オン、ショウメン、キョリカクニン。ドクガスフンム、イップンマエ、カウントカイシ、ゴジュウキュウ、ゴジュウハチ、ゴジュウ」
今度は無機質な合成音っぽい声で、カウントダウンを始める奴。
だ、だめっ! あいつらのあの狼狽ぶり! 笑いを堪えて、お腹痛い!!
「う、うわぁあぁぁっ!! 毒ガスだあぁっ!!」
「げえっ!! マジかよっ!!」
「何でそんな物が!?」
慌てて長谷部君がゴンザレスを放り投げたが、あいつはスタッと危なげなく着地すると、今まで自分を捕まえていた相手に向かって、迷わずとっとこ駆け出した。
「ターゲットイドウ、ツイセキカイシ」
「ひいぃぃっ!! 付いて来やがる!」
「あ、あっち行けっ!!」
「おい、則夫、お前寄ってくんな!!」
「何だと!? お前ら、自分達だけ逃げるつもりかよ!!」
「当たり前だろ!?」
喚きながら駆け去っていく三人組。
あいつらの友情が今後どうなるかなんて、知った事じゃないわ。
「ゴンザレス、もう良いんじゃない? それ以上行ったら人通りもあるし、止めといて」
三人の姿がすぐに見えなくなったため、軽く追いかけて声をかけると、あいつはピタリと足を止めた。
「了解。どうだった?」
「上出来よ。だけど毒ガスって……。そんな事を言い出すあんたもあんただけど、それをまともに信じるなんて、残念っぷりが甚だしいわ」
「俺が言う筋合いじゃ無いけど、確かにそうだね……」
声に残念さが滲み出るのは、仕方が無いと思う。
取り敢えずゴンザレスの足の裏の汚れを軽く払って、再びリュックの中に入れてそれを背負って歩き始めた。すると広い通りに入った所で、声をかけられる。
「よう、沙織にゴンザレス」
「あ、巧。一日ぶり」
「こんにちは」
「お前達、一体何をやったんだ? ついさっき、例の残念トリオとすれ違ったんだが、お前の事を『自動追尾装置付き毒ガス噴霧器を持ち歩くマッドサイエンティスト』だと喚いてたぞ?」
巧が不思議そうに尋ねてくた為、連中の残念度が更に増した。
「……残念過ぎる頭ね」
「本当に信じてるんだ」
「何だ?」
「大した事じゃ無いのよ。ゴンザレスを取り上げて悪戯しようとしたから、咄嗟に二人でからかっただけ」
「へぇ? それは見たかったな」
悪戯したと言っても咎めるわけじゃなく、にやにや笑いながらそんな感想を口にするって、どうかと思う。巧って、ちょっと性格悪いわよね。
「だけどあいつら、本当に馬鹿よね。巧にコンプレックスが有るからって、毎回何かと絡んでこなくて良いのに。時間と労力の無駄じゃない。馬鹿馬鹿しい」
「…………」
正直に感想を述べると、何故か並んで歩きながら、巧がもの言いたげな視線をよこした。
何なの? 何か言いたいことがあるなら、はっきり言えば良いじゃない。
「巧、何か言いたい事でもあるの?」
そう尋ねると、巧は苦笑いしながら言い出した。
「いや、あいつらを弁護するつもりは無いが、ちょっとだけ不憫だなと思って」
「どうして?」
「う~ん、何と言うか……、あいつら良くも悪くもガキだし」
「巧だって同い年の子供じゃない」
「俺は今時のガキ。あいつらは一昔前のガキ」
「意味不明」
巧って時々、回りくどい言い方をするのよね。そして周りが分からなくて首を傾げているのを見て、一人で悦に入ってるのよ。
さっき、ちょっと性格悪いかもって思ったけど、訂正。結構性格悪いわ。
そんな事を考えていると、多少自信なさげな声が会話に割り込んできた。
「ええと……、ひょっとして、あいつらが絡んできたのって、巧君へのコンプレックスの裏返しじゃなくって……、沙織ちゃんへのあれの裏返しとか?」
「お、ゴンザレス、分かってるじゃん。お前やっぱりオスだよな」
「……うん、まあ、オスの範疇に入ると思うよ?」
何やら人を無視して、人の背中で語り合っている二人に、ちょっとイラつく。
「ちょっと。二人で何を話してるのよ?」
「男同士の話?」
「男同士の話?」
「ハモるな」
全く、意味不明だから。何を分かりあってるのよ!
本当に、男って馬鹿ばっかりだわ!
「だけどさぁ、実際に自分でするとなったら大変だろ?」
「そんなの今更だ。とっくに長期戦の覚悟をしてるしな」
「……粘着質のストーカー」
「何か言ったか、クマの分際で」
「ぐはっ! ギブギブ!!」
何か悲鳴と背中を引っ張られる感覚に、流石に切れた。
「ちょっと! 人の背中で何をやってるのよ!? それに巧、あんた家に帰るところじゃないの!? さっさと帰りなさい!!」
それからは巧もゴンザレスも大人しくなったけど、結局三人で買い物をして家に帰る事になった。
男同士の話? 一体何だっていうのよ。
女で悪かったわね!?
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