第6話 真、居候を観察する
「やあ、孝則。せっかくの日曜に、事前に電話の一本もせずに押しかけてすまん。ちょっと忘れていてな。今日は上がっても大丈夫か?」
前触れ無しに息子夫婦のマンションを訪れ、エントランスで来訪を告げると、スピーカー越しに息子の戸惑った声が返ってきた。
「どうしたんだ、親父?」
「美須々が言っていた、クマ型悪霊憑依居候侵略宇宙人は居るかな?」
すると少しの間、沈黙が続いた。
はて? 美須々が言っていた通りの事を言ったつもりだったんだが、何か足りなかっただろうか?
「……『居候』って言う位だから、家に居ると思うんだが? ところでお袋はどうした?」
「今日は友達と観劇に行っている。だから俺がここに来ても分からないと思ったから、急遽来たんだ」
「意味が分からないんだが?」
「取り敢えず、開けてくれるか?」
「分かった。今開けるから、上がって来てくれ」
「ああ」
取り敢えず、予定は大丈夫だったらしい。休日で寛いでいただろうに、すまないな。
息子に対して少々申し訳なく思いながら、左右に開いた自動ドアの奥に進んだ。
「久しぶりだな、親父」
「いらっしゃい、おじいちゃん」
「やあ、沙織ちゃん。元気だったかい? これはお土産だよ。後で皆で食べようか」
「うん、ありがとう」
「それで、例の居候って言うのは……」
途中で買ってきた贈答用の果物の箱を渡し、何気無く周囲を見回しながら目的の物、というか人物を探す。
すると探すまでも無く、足元で元気な声が聞こえた。
「いらっしゃいませ! ようこそお越し頂きました、グランパ!」
その姿は美須々から聞いた通りだったが、聞き慣れないフレーズに思わず首を傾げた。
「『グランパ』と言うのは何かな?」
「あれ?」
「聞いてない? この前おばあちゃんが来た時に、ゴンザレスに向かって『私の事はグランマと呼びなさい!』って言ったから、おじいちゃんの事はそれに併せて『グランパ』って呼ばせなきゃ駄目かと思ったんだけど」
クマのぬいぐるみと沙織が、揃って戸惑った声を上げた理由を聞いて、思わず溜め息が出てしまった。
「そうか……。美須々の気の強いのは今に始まった事じゃないが、無理強いをしてすまないね。私は『おじいちゃん』でも『真さん』でも何でも好きな様に呼んで貰って構わないから」
「あ、そうなんだ。じゃあ真、俺はゴンザレス。一つ宜しく、って! 何でいきなり殴るんだよっ!」
「あんたの挨拶がなって無いからに決まってるでしょ!?」
久しぶりに会ったが、沙織はこんなに元気な子だったかな?
だが礼儀正しいのは結構な事だ。
「まあまあ、沙織ちゃん。定型外の宇宙人に、一般常識を求めたらいけないよ? 彼が人間で言えば何歳に該当するのかは分からないけれど、地球上の生活に関しては沙織ちゃんの方がはるかに先輩なんだから、広い心で接してあげないとね」
「う……、そりゃあまあ……、確かにそうかもしれないけど……」
「広い心で、ねぇ。本当にそうだよねぇ」
「一々五月蠅いのよ、あんたは!」
ちょっと感情の起伏が乏しいと思っていた沙織が、随分表情豊かになったと思う。これもクマ君のおかげだろうか?
しみじみとそんな事を考えながら靴を脱いでいると、孝則が改めて尋ねてきた。
「それで親父、今日は一体、何の用で来たんだ?」
「ああ。美須々の話を聞いて、お前やクマ君にさぞかし迷惑をかけただろうと思ってな。ちょっと詫びに来ようと思ったんだ。だが美寿々に知られたら『私がどんな迷惑をかけたって言うのよ!』って怒り出すに決まっているから、あいつの留守に来たんだ」
「うお! あのばあちゃんと違って、じいちゃんは随分話が分かるじゃないか!」
「本当に失礼よね、あんたって!」
再び騒ぎ出す子供達を横目で見ながら、孝則が苦笑した。
「別に、あの時特に迷惑を被った記憶は無いがな。お袋が騒々しくて傍迷惑なのは昔からだし、今更なんだが」
「確かにそうなんだがな。取り敢えずクマ君に、お詫びを兼ねたお土産を持って来たんだ」
「おぉ! やっぱりばあちゃんとは違って話が分かるじゃん! ありがとう! で、中身は何?」
「レンゲの蜂蜜だよ」
そう中身を教えながら、ジャケットのポケットから包装済みの箱を取り出して孝則に渡そうとしたが、何故か全員黙り込んだ。
孝則も手を伸ばして受け取る気配が無い為首を捻ると、クマ君が何やら茫然とした口調で尋ねてくる。
「……何で蜂蜜?」
「クマと言ったら、普通、蜂蜜じゃないのかな?」
「………………」
まだ誰も反応せず静まり返っていたので、その理由を考えてみた。そして自身の失敗を悟って、孝則に向き直って弁解する。
「うん? レンゲの蜂蜜は好みじゃ無かったのかな? ユリやサクラの方が好きだったとか。失敗したな。予めお前に、彼の好みを聞いてから来れば良かった。これが美須々に知られたら『だからあなたは鈍くさいのよ!』って怒られるから、内緒にしておいてくれ」
「……いや、うん。わざわざお袋に言うつもりは無いから安心してくれ」
「そうか。すまんな」
「あの、おじいちゃん? おばあちゃんからゴンザレスは飲んだり食べたりしないって聞かなかったの?」
「……そうなのか?」
「うん。『だから生活費がかからないから良いわ』ってお母さんが」
「そうか……。確かに美和子さんは、しっかりしているからな」
美須々の奴、そういう肝心な事を一切喋っていなかったからな。
確かに、宇宙人が何を食べて生活しているかという事に関して、考えなかったこちらの落ち度だが……。いや、失態失態。
「悪かったね。それなら本とかの方が良かったかな?」
「……いえ、お気持ちだけで結構です」
ぺこりと頭を下げたクマ君に、なかなか礼儀正しいじゃないかと感心した。するとそんな彼に、沙織が茶々を入れる。
「何かあんたがまともに見えて変なんだけど?」
「調子も狂うよ。本当にこの人、沙織ちゃんと血が繋がってるのか? あのばあちゃんとは何となく繋がってる感じがするけど」
「あんた、やっぱり失礼よね!?」
「取り敢えず、玄関先で話し続けるのもなんだし、上がってくれ」
「ああ。お邪魔するよ」
そしてリビングに通されてソファーに座ってから、目の前に座っている彼に対して、ここに来た最大の目的である問いを投げかけた。
「ところでゴンザレス君だったかな? 君の地球での滞在目的は?」
「へ? 滞在目的?」
「ああ。美須々が『潜在的侵略者』とか『潜在的病原菌』とか五月蠅くてね。ここに来たついでに調べて、君に危険性が無い事が分かれば、あいつも少しは大人しくなるかと思って」
「親父が五月蝿いって言う位だから、相当五月蠅いんだろうなぁ……。悪かったな、親父。あと三日で美和子が帰って来るから、その後はそんなに顔を出さないとは思うんだが」
「迷惑かけてごめんね、おじいちゃん」
息子と孫の、若干遠い目をしての謝罪に、笑って応じた。
「いや、良いんだよ。それでゴンザレス君、どうかな? やはり任務上、詳細は口にできないのかな?」
その問いに、彼はかなり狼狽した素振りを見せながら、困惑した口調で訴えてくる。
「ええと……、その、任務も何も、気が付いたらこれに入っていて、自分が何者かも分かっていない状態なんですけど……」
「そうか。それでは君は、今現在自我を探求している最中なんだな? つまり世界の成り立ちと根源を、自らの中にまず認めなければならないと」
「すみません……。何を言ってるのか、全然分かりません」
「構わないよ? 知る事とは、己の無知を知る事から始まるものだからね」
「はぁ……」
見た感じ、嘘を言ったり悪意に満ちている感じでは無いし、素直そうなクマ君じゃないか。
やはり美須々は少し神経質過ぎるな。
「何よ。あんたさっきから大人しいし言葉遣いが丁寧だし、気味が悪いわね」
「だってあの人と話してると、何か調子狂うんだよ! ばあちゃんとは違った意味で怖いよ!」
「別に怖くは無いけど」
「そりゃあ沙織ちゃんは見慣れてるだろうけど。何か落ち着き払ってるし、ただ者じゃないよね?」
「私は定年退職した、ただの中学の国語教諭だった人間に過ぎないよ?」
「そうなんだ。なんかもっと偉い人かと思ってた」
偉い人? 校長とかかな?
そんな風に思って貰えるのは光栄だけど、私の柄ではないからね……。
「私が校長になんてなれるわけないさ。平教員で終わったよ。美須々は校長で定年を迎えたけどね」
「……え?」
「おばあちゃんは、中学で数学を教えていた教員だったの」
「それで俺達兄弟がガキの頃、『あんな無能が校長や教頭になれるなら、私だってなれるわよ!』って言い出して、当時の校長から推薦状をもぎ取って、管理職昇任試験を受け始めて。あれよあれよと上り詰めちゃったからさ」
それらの説明を大人しく聞いていたクマ君は、恐る恐ると言った感じで右腕を上げながら問いを発した。
「……一つ、聞いても良いですか?」
「なんだい?」
「どうしてあの人と結婚したんですか?」
『あの人』って……、文脈的には美須々の事だよな?
うん、確かに若い頃は、色々聞かれたな。周りにも相当驚かれたっけ。そんな事を考えていると、沙織達がまた揉め始めた。
「あんた初対面の人間に対して、本当に色々失礼よね!?」
「じゃあ沙織ちゃんが教えてくれよ! 何かあの人とこの人がくっつく理由が全然想像できなくて、無茶苦茶気になるんだよ!」
「それは前々から私も気になってたけど、夫婦のプライベートに関わる事だし、根掘り葉掘り聞くのはどうかなぁって思って、聞いてなかったのに!」
「何だ。沙織ちゃんは知りたかったのかい? 言ってくれたらすぐに教えてあげたのに」
「え? 聞いちゃって良いの?」
「ああ、勿論だよ」
途端に言い争いを止めて、目を見開いたままこちらを凝視してきた沙織を見て、本心から可愛いと思った。若い頃の美須々に、ちょっと似てるかな?
「当時、美須々とは同じ中学に勤務していたんだが、ある日の放課後に職員室で仕事をしていたら、『鈍くさいあなたが、女性を口説いて結婚に持ち込めるとは到底思えないわ。私が結婚してあげるから、感謝なさい!』って言われたんだ」
「……ええと」
「それでおじいちゃんは、それに何て答えたの?」
何やら困惑した声を出したクマ君と、微妙に顔を引き攣らせている沙織に向かって、そのまま続ける。
「何となく結婚はしたかったし、確かに自分から働きかけて結婚に持ち込めるとは思えなかったから、『じゃあお願いします』って答えたよ?」
「………………」
正直に答えると、何故か沙織達は押し黙った。何かまずかっただろうか?
するとここで、孝則が口を挟んできた。
「ええと……、その、あれだ。親父とお袋は『破れ鍋に綴じ蓋』って奴だ。……あ、ゴンザレス。今の言葉の意味、分かるか?」
「うん。割れた鍋は、蓋代わりに他の鍋に被せて閉じて使う事しかできないって事だろ? つまり、ばあちゃんは普通の女の人じゃなくて、男みたいにしか行動できないって意味で、いてっ!! 何すんだよ、沙織ちゃん!?」
「やっぱりあんた馬鹿だわ!」
「何で!?」
ここで盛大にクマ君を殴りつけた沙織が、怒りも露わに一気に言ってのけた。
「『破れ鍋に綴じ蓋』って言ってるわけで、『破れ鍋は綴じ蓋』とか言って無いでしょ!? 第一、『綴じる』って言うのは開け閉めの『閉じる』じゃなくて、糸を通して一つに纏めて紙を綴じたり、布を縫い合わせて綻びを綴じたり、煮物の具材に卵をかけて纏める卵綴じの様にする場合の、『綴じる』なの! 要するに『綴じ蓋』って言うのは、繕って修繕した蓋の事よっ! このボケグマっ!」
そう言ってゼイゼイと乱れた息を整えている沙織を見て、その成長ぶりに思わず涙が出そうになった。
あんなに小さかった沙織が、こんなに口達者なしっかり者に育ったのか……。美和子さんもここまで育てるには、さぞかし苦労しただろうな。
感動のあまり自然に拍手してしまい、皆の視線を集めてしまった。
「うん、沙織ちゃんの言う通りだね。偉いねぇ。ちゃんと国語を勉強しているみたいで、おじいちゃんは嬉しいよ」
「えっと、うん……。これ位は常識だと思うし……」
「ゴンザレス君はまだ地球生活が短いだろうし、勘違いするのも無理は無いさ。大事なのは、同じ間違いを再び繰り返さない事だからね」
「はい……。気を付けます……」
取り敢えず、クマ君へのフォローもできたかな?
そこで孝則に、ここへ来たもう一つの目的を告げた。
「孝則、今日一日ここにお邪魔して、ゴンザレス君を観察していても良いかな?」
「はぁ? 何で?」
「私から見て危険性がないと分かれば、美須々だってあまり騒がないと思うし」
しかしそれを聞いた孝則は、それはそれは懐疑的な表情になった。
「……お袋が親父の意見を聞き入れるとは到底思えないが、好きにしてくれて構わない」
「そうか。じゃあ今日一日宜しく、ゴンザレス君」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「やっぱり気味が悪いわ~」
「完全に他人事だよね!?」
「当たり前でしょう?」
それからお茶も飲み終えたので、各自が好き勝手に動き出した。
新聞を引き寄せながら、クマ君の様子を窺うと、彼は何故か窓際に移動したと思ったら、仰向けになってピクリともしなくなる。
「ふむ……」
その光景を見て、ふと脳裏に浮かんだ物があり、忘れないうちにとポケットから手帳とボールペンを取り出した。
「窓際で 日差し厳しい 夏の日に 暑さこらえて その身を焼きつ」
「……何ですか?」
呟きながら、その口にした内容を手帳に書き留めていると、クマ君がのっそり起き上がりながら尋ねてきたので、軽く説明した。
「うん? 君が窓際でぐったりしていたから、自虐癖があるのか、それともノミとかを追い払いたくてわざわざ暑い所に居るのかと考えて、今時のクマは本当に大変だなと思った気持ちを、短歌にしてみただけなんだが」
「いえ、偶々ぐったりして横になったところが、日当たりが良い所だったんですが……」
「そうなのかい?」
そこで自室から本を持ってきたらしい沙織が、呆れ気味にコメントしてきた。
「やっぱりあんた馬鹿よね。何でわざわざ、そんな暑い所でくたばってるのよ」
「……もういい」
すると彼は気分を害した様に顔を背け、とてとてと部屋の隅に歩いて行った。そして日の当たらないそこで、壁に向かって背中を丸めて座り込む。
その姿にも、色々と考えさせられてしまった。
「その背中 寂しさ抱え 丸まれり 人恋しさに 時折震ゆ」
私の声が聞こえたのか、クマ君がゆっくりとこちらを振り向いた。
表情は全く変わらないが、その声音がかなり困惑している事が、はっきりと分かる。
「あの……、俺は別に、寂しくは無いですから」
「そうか? それなら心情としては『寂しさ抱え』では無くて『無理解故に』とかにした方が良いかな?」
「そういう事じゃなくて……。どうして何でもかんでも歌にしちゃうんだよ?」
そこで沙織が、会話に割り込んできた。
「おじいちゃんは俳句とか川柳とか短歌とか、とにかくその手の類の物を作るのが好きなのよ。と言うか、唯一と言って良い趣味なんだから、ケチ付けるのは止めなさいよね」
「別にケチを付けるつもりは無いけどさ……。何か俺を見ながら、物悲しいのを作るのは止めて欲しいんだけど」
「それなら、元気に動き回っている所を見せてあげたら? 大人しくしてるから、誤解されるんだと思うし」
「そうか。よし、これから雑巾がけをする」
何やら真剣に話し合っていたが、『雑巾がけ』?
何か聞き間違っただろうかと考え込んでいる間に、クマ君と沙織は素早く準備を整えたらしい。
なるほど……。確かにこれは雑巾がけに違いない。
例えクマが手にしているのが、フローリング用の吸着ウェットシートであろうと、クマ君が珍妙な物を両手に嵌めていようと、その事実は変わらない。
いや、宇宙人として、実に天晴れ。
「目の前を 行き来したりつ 幼子の 短き手足 いと励みたり」
なかなかの出来だと思ったそれだったが、当人にはあまり受けなかった様だ。
呟いた途端、クマ君は足を止め、勢い良く振り返って吠えた。
「ちょっと待って! 幼子って何!?」
「手足が短いのは合ってるわよね?」
「確かにそうだけどさ!」
「う~ん、見た目がどうしても幼児体型だから、短い手足で頑張っている様子を表現しようかと思ったんだが。じゃあ『幼子の』じゃなくて『異形者の』とでもするか? でも異形とか言ってしまうと、可愛さが激減なんだよな……」
ちょっと困ったな。他に良い言い表し方は無いだろうか?
そんな事を真剣に考えていると、クマ君の呻き声が聞こえてきた。
「沙織ちゃん……、俺、何かもう嫌だ……」
「何言ってるのよ。ただ歌を詠んでるだけでしょ? おじいちゃんはおばあちゃんみたいに、踏みつけたり燻したり殴ったり放り投げたり箱詰めしたりしないのに」
そんなとんでもない妻の行為を耳にして、クマ君に本当に申し訳無く思い、思わず頭を下げた。
「美須々はそんな事もしてたのかい? それは悪かったね」
「それは良いんだけどさ……」
「おや、随分寛大なんだね」
なかなかの好人物。加えて度量が大きいじゃないか。
本当に、見た目は当てにならないな。
「身の丈が 足らずと言えども その心 深き海なり 果てぬ宇宙なり」
「もう嫌だぁぁっ! 何なんだよ、この人!?」
「ちょっと! 何を錯乱してるのよ!」
誉めたつもりなのに、何故か頭をかきむしる様な動作をしながら、彼が喚いた。
やはり宇宙人の価値基準や感動のツボは、我々地球人とは相当違うのだろうか?
「悲しみに うち伏す我に 姉の膝 優しく受けつ 涙吸い取る」
「おじいちゃん、何で姉!?」
何でと言われても……。
沙織の膝にクマ君が突っ伏しているその体勢は、そんな風に見えてしまうんだが。
「何だか弟に泣きつかれた、お姉ちゃんのイメージだったから」
「それ、明らかに違うし! って、ちょっと! 何、人の膝でジメジメしてんの、スカート濡れたわよっ! もう、どうしてくれるの! 着替えて洗濯しなきゃ! あんたもよ!」
「いっ、嫌ぁぁっ! それだけは勘弁してぇぇっ!」
「沙織ちゃん、どうした?」
何やら急に怒り出した沙織が、クマ君の頭を片手で鷲掴みにして、リビングから出て行ってしまった。
「孝則? 二人はどこに行ったんだ?」
問いかけを無視されてしまった為、孝則に尋ねてみると、素っ気ない答えが返ってくる。
「脱衣所の洗濯機の所」
「まさか、ゴンザレス君を洗濯機にかけるのか? 大丈夫なのか?」
「取り敢えず大丈夫みたいだそ? 何回か経験済みだし」
「凄いな。流石は宇宙人」
「親父……、感心する所が違うと思う」
色々感心しながら様子を見に行くと、洗濯機にクマ君を入れた沙織が、蓋を閉めて憤然として脱衣所から出てくる所に出くわした。
「先に着替えて来るから、大人しくしてなさいよ!?」
「ちょっと待って沙織ちゃん! あ、おじいちゃん、助けてくれよ!」
透明な扉の内側から私の姿を認めて、能天気な顔のまま切羽詰まった声を上げるクマ君。
うん。なかなか非日常的なシチュエーションだ。
「生贄の 哀れな叫び 虚空にて 虚しく響き 誰とも知らず」
「ちょっと! そんな悠長に考えてる場合じゃ無いんだけど!?」
そこで先程まで穿いていたスカートを手にして、沙織が戻って来た。
「おじいちゃん! ごめん、ちょっとそこどいて!」
「ああ、悪かったね」
「沙織ちゃん!? ぐばあっ!」
急いで洗濯機の前から移動すると、沙織ちゃんはその蓋を開けて勢い良く持っていたスカートを中に突っ込み、更に手早く洗剤を入れて再び蓋を閉めた。
「よし、スイッチオン!」
「ひぎゃあぁぁぁーっ!! たーすーけーてー!!」
洗濯槽が回り始める気配と共に、洗濯機の内部から沸き起こる悲鳴。
「断末魔 悲劇と喜劇 入り混じる 泡と消え去る 汚れと夢よ」
「…………」
今一つかもしれない。再考するべきか。
そして洗濯機を眺めながら手帳片手に黙考していると、背後から声がかけられた。
「おじいちゃん。取り敢えず向こうでお話しない?」
「親父、前に来た時に美味いって言ってた栗饅頭買ってきたからさ。洗濯している間は、リビングで茶を飲んでようぜ」
「ああ、そうするか」
孝則も脱衣所の出入り口から呆れた様な顔で呼びかけてきた為、その提案に大人しく従った。
そして洗濯機から出てきたクマ君は、フカフカのピカピカになっていたが、それ以降は何故か私の視線から逃げ続けていた。
※※※
「……それで? 今日私に断り無く孝則の所に押し掛けた挙げ句、1日がかりで短歌を二十八個も詠んできたわけ?」
帰宅し、先に戻っていた美須々に今日一日の成果を報告すると、手帳を見下ろした彼女のこめかみに青筋が浮かんだ。
と同時に重大な間違いを犯したから、ここは早々に指摘してやらねば。
「美須々。短歌の数え方は一個、二個では無く、一首、二首だ」
「そんな事はどうだって良いのよ! しかも何なのこれ? 明らかに後になるにつれて、酷い内容になってるんだけど?」
「うん。ゴンザレス君は最初は元気が良かったんだが、日が傾くにつれて加速度的に元気が無くなってきたんだ。やはり同じ宇宙人のウルトラマンみたいに、活動制限時間があるんじゃないか?」
本当に大丈夫なんだろうか? 意外にひ弱な生命体だったらしい。あの大ざっぱな孝則に、そんな生命体の世話ができるとは思えんし、やはり美和子さんと沙織ちゃんが面倒を見ているんだろうな。
そう一人で納得していると、美須々が深い溜め息を吐いた。
「真顔で言ってるのが凄いわね……。とにかく! 勝手に出かけて、孝則達に迷惑をかけるんじゃないわよ! 次は私が一緒に行きますからね!?」
「それは構わないが」
「全くもう! ちょっと目を離すと、何をしでかすか分からないんだから! 良く定年まで問題を起こさずに、勤め上げられたわね。本当に奇跡だわ!」
プンプンと怒りながら、中断した夕飯の支度に戻る彼女。
私としては君と結婚出来たのが、生涯で最大の奇跡だと確信しているんだがね?
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