第4話 孝則、居候の姿にほっこりする

 さて、実に久々の我が家だ。飛行機の関係で早く帰って来れたし、今日は美和子と沙織の好物でも作って、帰って来るのを待っててやるか。


 そんな事を考えながら気分良く自宅の玄関の鍵を開け、靴を脱いで上がり込んだ俺は、リビングで予想外の光景に遭遇した。


「…………」

「へ?」

 どうやら、テレビを見ながらエアロビの真っ最中だったクマのぬいぐるみが、ソファーの上で横向きに寝ながら、片足を上げた姿勢で固まった。


 あのままの姿勢で、疲れないんだろうか?

 そう懸念したのも束の間、それはすぐにわたわたと慌てふためいて、ソファーから床に飛び降りた。


「ごっ、強盗っ!? 警察! 警察を呼ばないと!」

「あ、おい。俺は強盗なんかじゃ」

「ああっ! なんで届かないんだよっ!!」

 ソファーから飛び降りたと思ったら、一目散にリビングボードに駆け寄るクマ。


 ええと……、そういえば少し前に、美和子がメールで何だか書いてたな。変な宇宙人が入り込んだぬいぐるみが、家にいるとかなんとか。

 美和子の冗談だからこんなに笑えない内容なのかと、それを見た瞬間笑ったんだが。……マジ話だったか。世の中、不思議に満ちてるな。


「ほら、これが欲しいんだろ?」

 遥か頭上に向かって腕を伸ばし、必死にジャンプしている姿が不憫で、リビングボードの上からコードレスホンを取ってやった。すると奴はそれを受け取り、律儀に頭を下げる。


「お、おう、サンキュ。……え、ええと、確か警察は、1、1、0……、ぐわぁあああっ!! この手じゃ、ボタンを一つだけなんて、押せないじゃないか!!」

 なにやらクマが叫びながら苦悩し始めたので、電話の横にメモと一緒に置いてあった、ボールペンを取って渡してやった。


「それならこれを握って、先端でボタンを押せば良いんじゃないか?」

「そうか! お前、頭良いな! 借りるぞ! それじゃあ今度こそ、1、1……」

 そこで急に動きを止めるクマ。

 どうした。エネルギー切れか?


「……なんで手を貸してくれるんだ? 通報されたら、お前は捕まるんだぞ?」

 何か凄く今更な上に、意味不明な事を言われた気がする。


「どうして俺が捕まるんだ?」

「不法侵入者だからだろうが! それに今から色々盗む気だろう!?」

「だから何で俺が、そんな事をする必要がある? あ、ひょっとしてこれが拙いのか?」


 しまった。うっかりしていた。

 そりゃあ、サングラスで顔が分からない人間がいきなり押し入った様に見えたらビビるわな。向こうの日差しがきつくて、すっかり習慣になってたから。

 しかしサングラスを外して素顔を晒した俺を見て安堵するどころか、奴は呆然とした声を出した。


「へ? 何で俺?」

「はぁ? 俺は一度も、ぬいぐるみになった記憶は無いが?」


 どうしてその反応?

 俺だと分かったら、普通、安心するんじゃないのか?

 あ、ひょっとして、俺の顔を知らない?

 いや、それなら『何で俺?』なんて、わけが分からない台詞は出ないよな。一体、何がどうなってるんだ?

 何やらこいつとの意志疎通には、決定的な壁があるらしい。早く沙織が帰って来ないかな?

 そんな事をぼんやり考えていると、奴が声高に主張してきた。


「そうじゃなくて! だってお前、死んでる筈だろ!? 仏壇に写真が飾ってあったし! 巧も『親父さんは少し前に遠い所に行った』って言ってたし!」


 ああ、なるほど。そういう事か。

 すっかり得心がいった俺は、苦笑いしながら説明する事にした。


「そんな事を俺に言われても困るんだが……。美和子には『仏壇は写真を飾る所だし、あそこなら毎日否応なく沙織に顔を見て貰えるわよ?』って言われたし、巧君の台詞は大まかなところは間違っていないが、明らかに面白がってわざとはっきり言わなかったんじゃ無いのかな?」

 すると奴は能天気な顔のまま、真剣な口調で念を押してくる。


「じゃあ……、本当にお前はママさんの旦那で、沙織ちゃんのパパで、一度も死んでないんだな?」

「二度や三度も死ぬ奴がいたら、お目にかかりたいな」

「茶化すなよ! 俺は真剣に聞いてるのに!」

 ぽすぽすと片足を踏み鳴らして、どうやら本気で怒り出したクマに、俺は笑って頭を下げた。


「悪い悪い。俺は正真正銘、菅原孝則本人で、美和子の夫で沙織の父親だ。お前の事は美和子から聞いてたが、今の今まですっかり忘れてた。ゴン太って言うんだろ?」

「ゴンザレスだよっ!!」

「ああ、そうだった。ゴンザレスか」


 そうだ。ゴン太とかゴンザレスとか、美和子のわけが分からんネーミングセンスにも吹き出したっけ。沙織が生まれた時にも、俺、頑張ったよな……。

 当時の奮闘を幼稚園の頃に沙織に教えてやったら、「パパ、大好き」って言ってくれたもんな。

 ゴンザレスで、余計に冗談だと思い込んでたんだが。


「ところで巧が言ってた『遠い所』って、一体今までどこに行ってたんだよ?」

 怒りをなんとか抑えたらしい奴は、見上げながらそんな事を尋ねてきた。


「それも聞いてないのか。カタールに正月明けから、海水淡水化プラントの設置に行ってたんだ」

「カタールって、どこだっけ?」

「ペルシャ湾に面した、アラビア半島の小さな国だ」

「ペルシャ湾って?」

 確かにカタールは小さいが、宇宙から見下ろしたらペルシャ湾は、はっきり見えると思うがな?


「……宇宙人なのに知らないのか?」

「だから、何であんたにまで宇宙人って言われなくちゃならないんだよ! 第一、どうしてそんなに長い間、そこに行ってる必要があるんだよ?」

 物凄く疑わし気に言われて、思わず苦笑した。

 まあ、ぬいぐるみや宇宙人には、俺の仕事の内容は、分からないわな。美和子達は全然教えてなかったみたいだし。


「そりゃあ、物を設置しておしまいって訳にはいかないからな。これから実際に使う現地の担当者に、使用に関わるノウハウや使用する上での定期的なメンテナンス、各種トラブルが生じた時の対応方法とか、色々教え込まなきゃいけない事が山積みなんだ」

「……なるほど」

「しかもあの狸部長『向こうに行くついでに、パイプライン敷設の為の現地調査もして来てくれ』とかサラッとほざきやがって……。 ふざけんな! それで帰国が二ヶ月は遅れたぞ。なあ、部長をちょっと位、呪ってやっても良いよな?」


 うっかり思い出したぞ。あのお気楽にしか聞こえない一言で、俺の帰国がどれだけ延びたと思ってやがる、あのヅラ疑惑親父がっ!!

 いっぺん、本当に闇討ちしてやるか。

 そんな事を考えながらクマに同意を求めると、奴はじりっと後ずさりしながら賛同してくれた。 


「おぅ……、ちょっとじゃなくて、目一杯呪って良いと思うぞ?」

「そうかそうか! お前なかなか話が分かるクマだな! こんな事、美和子や沙織に言っても『呪う? そんな非科学的な事に時間を費やす位なら、職場の飲み物に混ぜる物を物色したら?』とか冷たく言われるだけだしな!」

 いやぁ、本当に、俺の妻子ながら二人がクール過ぎて、心が折れかける事がたま~にあるんだよな。

 まあ、俺の精神は元々頑強だから、完全に折れた事なんて一度もないんだが。

 あれ? なんでこのクマ、項垂れてるんだ?


「……おい、何かテンション低くないか?」

 すると奴は、サッと顔を上げて喚いてきた。


「低いよ! 地を這ってるよ!」

「あ、戻った」

「戻ってないよ! いや、ある意味戻ったけど、このエネルギーは怒りからきてるんだからね!」

「まあまあ、そう怒らずに。土産を持って来たから、これで機嫌を直してくれ」

「土産? 何だよ?」

 ショルダーバッグを床に下ろし、膝を付いてそれを取り出した。

 どうだ! 滅多にお目にかかれない、レア中のレア!! 


「ほい! ルブアルハリ砂漠の砂! 本当は沙織に持って来たんだが、お近づきの印にお前にやるから、遠慮するな!」

「…………」

 砂が入ったプラスチックのミニボトルを差し出したのに、奴は微動だにせず、無言で突っ立ったままだった。


「あれ? おい。どうした、ゴンザレス」

 すると、何やら盛大に溜息を吐いた気配がする。


「タイプはかなり違うけど……、やっぱりあんたはママさんの旦那で、沙織ちゃんの父親だ」

「そりゃあどうも」

「誉めてないよ! それに何で、そんなに嬉しそうな顔になるんだよっ!!」


 何が気に入らなかったんだろうな? クマの気持ちは分からん。

 さて、荷物を片付けたら、食材の買い出しに行くか。


 ***


「あ、パパ、お帰りなさい!」

 おう、愛娘のお帰りだ。相変わらず可愛いな。


「ああ、ただいま。今日はもう買い物は済ませてるし、俺が夕飯を作るからな」

「わーい! ……あれ? ゴンザレスは? いつもはソファーでごろごろしてるのに」

「何か良く分からんが、隅でいじけているみたいだぞ?」

 キョロキョロソファーの周囲を見回している沙織に、リビングの隅を指さしながら教えてやると、膝を抱えて背中を向けて丸まっている奴を見て納得したが、すぐに怪訝な顔になった。


「あ、本当だ。でもどうして?」

「さあ……。お前の方が分かるんじゃないのか?」

「えぇ? 私にだって分からないわよ。宇宙人の気持ちなんて。じゃあ、さっさと宿題やっちゃおうっと」

 うん、やっぱりあっさりしてるよな。久々だ、この感じ。

 職場はどっちかと言うと、体育会系だから新鮮だ。


「いやぁ、やっぱり我が家は良いよなぁ……」

 久し振りに皆で食卓を囲みながら、心の底からの感想を口にする。しかし美和子達の反応も、実に相変わらずだった。


「沙織が顔を忘れる前に、帰って来られて良かったわね」

「もう四年生だし。一・二年いなくても大丈夫よ」

 サラッと流されてしまったが、まあ、いつもの事だ。

 しかし一応、ちょっとした願望を口にしてみる。


「沙織……。ここは一つ可愛らしく、『顔を忘れちゃうと嫌だから、今度は早く帰って来てね』とか」

「私、そんなに記憶力悪くないから」

 うん……。お前は頭の良い子だ、沙織。

 ただもうちょっと、お父さんを労って欲しいな……。(涙)


「あらあら。前はすっかり忘れちゃって、孝則が帰って来た時にぎゃん泣きしたくせに」

 笑いながら美和子が口を挟んできた為、沙織が納得しかねる顔付きで言い返した。


「それ、いつの話よ?」

「二歳児の頃だったかしら?」

「無理でしょ! そりゃあ泣くわよ、不可抗力! 目の前にいきなり知らない人が出てきたら、小さな子供はビビッて泣くでしょ」

 沙織が力一杯主張してきた為、帰宅時の事を思い出した俺は、苦笑いで再び会話に混ざった。


「そうだなぁ、ゴンザレスも俺にビビッて警察に通報しようとしたもんな」

 そう言った瞬間、沙織が物凄い勢いでクマに顔を向けた。


「は? あんたそんな事、本当にしようとしたの? ちょっと止めてよ! 通報を受けてお巡りさんが踏み込んだ時、クマのぬいぐるみが動いて喋ってたら、うちが悪の秘密結社のアジト並みに変な目で見られるわ!」

 いや、別にクマのぬいぐるみが動いてたからって、悪の秘密結社のアジトだなんて思われないんじゃないのか? それとも、最近そういうドラマとかアニメとかが、流行ってるんだろうか?

 クマのぬいぐるみが動き回る、悪の秘密結社のアジト……。随分フレンドリーな秘密結社だな。

 そんなにゆるゆるな雰囲気で、悪事なんてできるのか?

 思わず真面目に考え込んでいると、食卓の片隅で、台布巾と共に直立不動で待機していたゴンザレスが喚いた。


「この家は十分変だろ!? なんで長期出張中の旦那さんや親の写真を、仏壇に飾ったりするんだよ! 普通は死んだ人の写真だろ!? 縁起悪いし、非常識にもほどがあるよ!!」

「存在自体が非常識なあんたにだけは、常識を語られたく無いわ!! そもそも資格無しだからね!」

「差別だ!! クマにも常識位、語る権利はある!」

「生きたクマのコミュニティーでは語ってるかもしれないけど、クマのぬいぐるみにはないわよっ!! 賭けても良いわ!!」

 そのままギャイギャイと言い合っている一人と一匹(いや、一個と数えるべきか?)をぼんやりと眺めてから、俺は隣の美和子に囁いた。


「なあ、美和子。今、思ったんだが」

「何を?」

「なんだか沙織が、前より明るくなってないか?」

「そう? 普段と変わらないと思うけど」

「ずっと一緒に居たら、分からないかもしれないがな」

 こういう時、淡々としている美和子には、苦笑するしかない。

 だが美和子も色々思う所はあったようで、少し考え込みながら答えた。


「確かに、以前よりは口数は多くなったわね。でも明るいと言うより、五月蠅いと思うわ。ほぼ毎日、ゴンザレスと揉めるか漫才をしてるし」

「毎日こんな調子か。なるほどな」

 これだけ賑やかなら、嫌でも口数は多くなるか。沙織はあの性格に加えて、一人っ子だからな……。


「なあ、美和子」

「何?」

「もう一人、子供を作るか?」

「……いきなり何を言い出すのよ?」

 ちょっと驚いた顔を向けてきた美和子に、笑いだしそうになった。

 一見そうは見えないけど、これは相当驚いているよな?


「あんな沙織を見てたらさ、下に弟とか妹とかいた方が、情操教育に良いんじゃないかと思ってな。なんか角が取れてきたとか、丸くなってきた感じがするし」

 正直に感想を口にしてみると、美和子からは容赦の無い冷笑が返ってくる。


「情操教育ですって? これまでは基本的に放任主義だったのに、随分似合わない事を口にする様になったのね。砂漠の太陽にやられたの?」

「ほったらかし云々を言われると、おしまいなんだがな」

 全く反論できずに苦笑いすると、美和子は小さく肩を竦めてから皮肉げな笑みを消し、何やらブツブツと呟き始めた。


「取り敢えず一つ、大きなプロジェクトの目処は付いたし、言われてみれば、ここら辺が最後のチャンスなのかしらね?」

「美和子?」

 何を言っているんだろうと思ったら、美和子が相変わらず素っ気ない口調で言ってきた。


「言っておくけど、もう高齢出産の分類に入るのよ? リスクも負担も大きいってところ、ちゃんと分かってるんでしょうね? 沙織の出産の時以上に、こき使うわよ?」

「おう! 勿論分かってるさ!」

 言ってみるもんだな。今までは美和子の仕事や俺の仕事の関係で、二人目なんてなかなか気軽に口にできなかったが。

 そうと決まれば、もうちょっと海外出張が少なくできるように、あと一年位の間に後輩達をビシビシ鍛えておかないとな。


「パパ、何ニヤニヤしてるわけ?」

「うん、オッサン顔だよな」

 いつの間にか言い争いを止めて、俺の顔を凝視しながら言ってきた二人と一匹。


 なんだ、そんなに正直に顔に出てたか?

 ちらっと美和子の様子を窺うと、相変わらず我関せずって感じで、黙々と食べ続けている。平常運転だな。まあ言質は取ったし、これはこれで良いか。


「そりゃあオッサンだからオッサン顔だよな? ゴンザレスは良いよなぁ……。中身がオッサンでも、見た目がそう見えないもんなぁ……」

 心の底から羨ましそうに言ってやったら、沙織が心底嫌そうな顔でクマを見やった。


「あんたオッサンなの? まさか私の着替えとかお風呂とか、覗いてないでしょうね!?」

「誰がそんな事するか! っていうか、僕はオッサンなんかじゃないよ!!」

「オッサンなのに僕って言ってたら、相当キモイわね」

「というか、宇宙人の年齢って測定できるのか?」

「だから宇宙人じゃないし、オッサンでもないって言ってるじゃないか!! もう嫌だ、この家族!!」

 俺と美和子も淡々と感想を口にすると、クマが「うわあぁぁぁん!」泣き叫んでテーブルに突っ伏した。しかし俺が慰めの言葉を口にする前に、沙織が冷静に言い出す。


「あ、ママ。また泣き出した」

「宇宙人のくせに、メンタル弱いわね。沙織」

「らじゃ」

「うわわっ!! 泣いてないよ! 濡れてないから、たーすーけーてー!」

 何やら端的に母娘でやり取りを済ませ、沙織はクマの頭をがっしと掴み、無造作に手にぶら下げながら部屋から出て行った。


「どうしたんだ?」

「大した事じゃないわ。ここ暫くの恒例行事よ」

「すっかり賑やかになったな」

 相変わらず淡々と食べ続けながらの美和子のコメントに、俺は苦笑を禁じえなかった。

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