第2話 巧、新しい玩具の発見

 登校しようとマンションのエントランスを抜けて、学校へ向かう一直線の道路を歩き始めると、その少し先に見慣れた幼なじみの姿を発見した為、嬉しくなって駆け出した。

 今日は朝から幸先が良い。


「沙織、おはよう!」

「あ、巧。おはよう」

「今日は遅いんだな。金管クラブの朝練は無いのか?」

「そうなの」

「今日久しぶりに、家に行ってもいいか?」

「え? うぅ~ん、そうだな~」

 並んで歩きながら許可を求めると、普段なら即断即決の沙織が、何故か微妙に困った表情を見せた。

 随分とレアな表情だ。今日は朝から色々珍しい事がある日だな。


「誰かと約束でもあるのか? それなら止めておくけど」

「ううん、そうじゃ無いんだけど……」

 困らせる気は無かったから、約束があるならそっちを優先しろと言ってみたが、どうやらそういう事でも無いらしい。

 本当に何だろうと首を捻っていると、何か決心した様に沙織が頷き、一人で納得した様に喋り出した。


「うん、『百聞は一見にしかず』って言うし、直に見て貰った方が早いよね」

「何だ? 部屋の中が多少散らかってても、今更だろ?」

「そう言う訳でも無いんだけど……。とにかく分かったわ。それじゃあ帰りは、昇降口で待ってて。遅くはならないと思う」

「ああ」


 小さい頃は毎日の様に遊んでいたが、さすがにこの年になると男子と女子で交友関係が違ってくるし、沙織の家に行くのはほぼ1ヶ月ぶりだ。

 自然に浮き立つ内心を密かに抑えつつ、帰りに待ち合わせて話をしながら帰宅した俺達だったが、沙織の家の玄関を開けて中に足を踏み入れた瞬間、見慣れた家の中はSF、もしくはファンタジーの世界に侵食されていた。


「ただいま、ゴンザレス」

「あ、沙織ちゃん。おかえり」

「…………」

 玄関から奥に続く廊下を、滑るようにやって来たクマ。そして表情は全く変わらないのに、愛想の良い声での挨拶。


 こいつ、できる…………。

 いやいやいや、ちょっと待て! 落ち着け俺! そうじゃなくて!!


「掃除はこれで終わったよ」

「ご苦労様。今日は友達を連れて来たの。同じマンションに住んでる、長谷川巧よ」

「そうなんだ。俺はゴンザレス。宜しく」

 俺が内心で激しく葛藤しながら、脳細胞をフル回転させてるってのに、事も無げに会話するな!!

 しかもその白い掃除用のウェットシートを、拭き掃除の雑巾代わりにしているのは分かるが、その両手に嵌めた珍妙な物は何だ!?


「何だ? その手は」

 好奇心に負けて、得体の知れない奴が握手を求める様に差し出してきた腕の先を睨み付けながら尋ねると、奴はやっと気付いた様に動き出した。


「あ、うっかりして、嵌めたままだった」

 そして器用に両手を引っ掛け合い、スポッとそれから腕を抜く奴。それを見ながら沙織が補足説明してきた。


「ゴンザレスは全身布製だから、濡れてる物を触る時、素手だと当然濡れちゃうの。だからママがネットで探したのよ。ゴム製椅子の脚カバー3Lサイズ。この直径だと、ゴンザレスの手にぴったりフィット」

「本当に優れ物だよね」

 互いに頷きながら、どう見ても平常運転の一人と一匹(いや、この場合一人と一個と言うべきか?)に無性に苛ついた。


「……おい、沙織」

「何? まず上がったら?」

 沙織がきょとんとしながら促してきた為、それに益々イラッとしたものの、取り敢えず大人しく靴を脱いで上がり込んだ。それと同時に、さっさと話を進める事にする。


「沙織。これまで交わされたお前達の会話について、突っ込み所が色々あるんだが、一つずつ片付けていくぞ」

 真面目にそう宣言すると、沙織は溜め息を吐いてから、困った物を見るような目で俺を見てきた。


「巧ってさ……、普段はそんなにこだわりを見せないのに、時々妙に細かい時が有るよね」

 正直に言えば、「お前はいつも興味の無い事には殆どこだわらないタイプの人間だが、時々色々突き抜ける事が有るよな!」と叫びたかったが、グッと我慢した。

 今ここで、平常心を保てなくなったら困る。


「まず一つ目。そいつは何だ?」

 ビシッと喋る珍妙なクマを指さしながら問いただすと、二人(?)もしくは一人と一匹は、平然と答えた。


「未知のエネルギー生命体型宇宙人がうっかり入り込んでしまった、私のクマのぬいぐるみ」

「死んでしまって肉体を失った幽霊か、植物状態の身体から抜け出た魂がうっかり入ったクマのぬいぐるみ」

 自分の顔が引き攣るのが分かる。

 耐えろ、俺。まだ真実の追究は終わっていない。


「二つ目。この状態はいつからだ?」

 その問いにも、迷わず返答があった。


「先週の水曜から」

「九日前からだね」

 あまりにも淡々と答えてくれるので、頭痛がしてきた。

 頑張れ、俺。


「三つ目。これを見て、おばさんは何とも言わないのか? それとも隠してるのか?」

 保護者はどうしてるんだ、保護者は! 

 まさかとは思うが、公認なんじゃないだろうな!?


「隠す必要ってあるの? ここに居るなら働けって即答だったわ」

「食費の負担も躾もする必要は無いから、どうでも良い的な言われ方をされたけど……」

 ……まさかの公認だった。

 うん。確かにおばさんは沙織以上に理系脳で、ちょっとやそっとでは動じない人だと分かってはいたけどさ。


「四つ目。どうして名前がゴンザレスなんだ?」

 段々疲労感を覚えながら次の疑問を口にした途端、沙織達は声高に交互に主張し始めた。


「聞いてよ、巧! 呼び名をどうするかってなった時に、それまで通り『エリー』って呼ぼうとしたのに、生意気にもこのクマ風情が」

「何で俺が、明らかに女名で呼ばれなくちゃならないんだよ!」

「って主張したのよ。そうしたらママが『茶色だからゴン太で良いんじゃない?』とか言い出して」

「何で茶色だから『ゴン太』? 全然意味分からん!」

「それは確かに私も分からないけど。それでこいつがそう言ったら、ママが『じゃあゴンザレスね』って言い出して。そうしたら」

「だからどうして『ゴンザレス』なんだよ! ママさんの感性ってやっぱりおかしいよ!」

「って喚いたのよ。そうしたらママが『それならゴキブリね』って言い出して……」

「人生って……、妥協と譲歩の積み重ねだよな……」

 どこか遠い目をしながらの沙織の台詞に、能天気な表情のクマの声だけ沈鬱な台詞が続いた。


「『人生』じゃなくて『クマ生』よね。あ、正確には宇宙人生かな?」

「だからいい加減、宇宙人から離れようよ」

「あんたもいい加減、しつこいわね!」

「しつこいのはそっちだろ!?」

「おい、お前ら」

 そして重い空気から一転、俺を無視してぎゃいぎゃいと言い合っている二人を見ながら、自分の中で一気に不快感が増した。


「今までの話を総合して、そいつがおばさん公認の居候で、取り敢えず沙織に危害を加える危険性が無いのと、おばさんのネーミングセンスにかなりの問題がある事は分かった」

「それだけ分かれば十分よね」

「いや、不十分だ」

「え? 何かもっと聞きたい事があるの?」

 不思議そうに沙織が首を傾げた為、俺は当然の要求を繰り出した。


「話はもう良い。その代わり、家から解剖セットを持って来るから、そいつの頭と腹の中を切って見せてくれ」

「切る!? 切ったら切れちゃって裂けちゃうじゃないか!!」

 途端に狼狽しながら自分の頭やお腹を押さえつつ、支離滅裂な事を叫んだクマに、俺は冷ややかな視線を送った。


「沙織。こいつ、頭悪いのか?」

「私達よりは下だとは思う」

「酷いよ、沙織ちゃん!」

 真顔で容赦のない事を言った沙織だったが、奴の非難の声を受けて、軽く俺を睨みながら釘を刺してきた。


「一応言っておくけど、本当に切ったりしないでよ? 中身はどうあれ、体は私のぬいぐるみなんだから。それお気に入りなんだし、1ミリでも切ったりしたら、即刻出入り禁止だからね?」

「……分かった」

「沙織ちゃん、ありがとう! 怖かったよう!」

 途端に歓喜の叫びを上げた奴に、沙織が苦笑いしながら肩を竦めてみせる。


「私は化学系だけど、巧は生物系だからね。未知の昆虫や小動物を解剖したくてたまらないのよ。まあ、大して害は無いから」

「何か俺には、大有りな気がするんだけど!?」

「気のせいよ。ほら、取り敢えずリビングで待ってて。今、麦茶を持って来るわ」

「悪いな」

 今の今まで上り口で論争をしていた為、沙織の指示に大人しく従い、ランドセルを背負ったままリビングへと足を向けた。

 どうしても視界に入って来るクマは、俺の目の前を足音を立てずに歩いており、正直眩暈がしてきたが、それ以上に猛烈な怒りが湧き上がってきた。


「…………」

「何?」

 リビングでランドセルを下ろして、床に片膝を付いて奴を見下ろす。その視線を受けた奴が不思議そうに尋ねてきた為、俺は笑顔で話しかけた。


「別に? 本当にぬいぐるみっぽいなぁと。……ぬいぐるみの分際で、沙織と仲良く喋ってんじゃねぇよ。この畜生野郎」

「……え?」

 笑ったまま本音を垂れ流すと、奴の全身がピキッと固まったのが分かった。その隙を逃さず、素早く片手で奴の胴体を捕まえる。


「沙織はな。コミュ障まではいかないが、サバサバしている性格のせいか、気軽に話す人間がもの凄く少ないんだよ。それがたったの九日で、息がピッタリの夫婦漫才モードってどういう事だ。あぁ!?」

「ひっ!? ど、どういうって!?」

 奴を鷲掴みしたままソファーに座り、至近距離から悪態を吐いてやった。


「初対面の時、当時三歳の俺が沙織とまともに会話できる様になるまでに、どれだけ苦労したと思ってやがる。それなのに、貴様は楽々とこの家に居場所を確保しやがって。これか? この間抜け面が、警戒感や危機感を抱かせないのか?」

「いででででっ!」

 腹立ち紛れに奴の顔の両側を摘んで、思いきり左右に引っ張ってやると、途端に悲鳴が上がる。そこに両手にグラスを持った沙織がやって来た。


「ちょっと。何騒いでるの?」

「いや? 何でも無い。ちょっと親愛を込めた挨拶?」

「ちょっと。手荒に扱わないでよね」

「悪い」

 笑い返したものの、俺の手の中の奴を見て沙織が僅かに顔を顰めた為、それ以上悪ふざけはせずに奴をソファーに放り出した。

 あれだけ脅しておけば立場を弁えるだろうと思ったのだが、奴は相当のアホだったらしい。


「沙織ちゃん! 助けて!!」

「あ、ちょっと! こら! 離れてよ! 暑いんだけど!?」

 叫びながら、奴が俺の隣に座った沙織の背中に回り込んだと思ったら、そのシャツの下に潜り込んだのだ。

 ……本気で命が要らないらしいな。


「沙織、貰うぞ。あと取ってやるから、背中向けろ」

「うん、お願い」

「じゃあ……、よっと」

 麦茶入りのグラスを受け取った俺は、沙織に背中を向けさせると、その盛り上がっているシャツの中に手を入れ、勢い良く奴を引きずり出した。そして受け取ったグラスの中身を半分ほど、奴の頭に注ぐ。

 当然わざとだ。


「うわぁぁ――っ!」

「え? あ、ちょっと巧! 何してるのよ!?」

 当然奴は悲鳴を上げ、驚いて振り返った沙織は目を丸くした。それに対して、俺は一見素直に謝罪の言葉を口にする。


「悪い。勢い良く引きずり出したら、弾みで持ってたグラスを無意識に傾けたみたいで」

「もう! 気を付けてよね」

「こいつにもかかっちまったし、下手したらシミになるな。すぐに洗ってくるから、洗濯機を借りても良いか?」

「じゃあ頼める? 洗濯ネットと洗剤は、脱衣場の棚にあるから。私はその間、床を拭いておくわ」

「了解」

 間取りは当然分かっているし、俺は奴を手にぶら下げたまま、洗濯機がある脱衣所へと向かった。


「ま、待って! 沙織ちゃん! お願いだから、こいつと二人にしないで! それに洗わなくても大丈夫だから!!」

 俺に生殺与奪の権利を握られた奴は、面白い位狼狽してバタバタと手足を動かして抵抗してきた。

 うん、これ位生きが良くないと、いじめ甲斐が無いってもんだ。


「往生際が悪いぞ、クマ公。胸じゃなく背中に潜り込んだ事に関しては、温情をくれてやる」

「温情って言っても、お前絶対、大した手心を加える気無いよな!? それに前に潜り込んだって、どうせ胸なんか殆ど無いじゃないか!!」

 そうかそうか。

 お前、本格的に、命が惜しくないらしいな。

 良~く分かった。


「洗剤と柔軟剤、最大量コース決定だな。漂白剤もぶち込むか」

「ちょ、ちょっと待って!」

 益々暴れまくる奴を難無く押さえ込み、探した洗濯ネットに入れてドラム式洗濯機の中に放り込む。

 向け出そうとごそごそ奴が蠢いているが、ネットが絡んで身動きできないうちに、無事洗剤、柔軟剤、漂白剤をセットできた。


「身も心も綺麗になって、生まれ変わって来い」

「いや、生まれ変わるも何も」

 何か奴が言っていたが、蓋を閉めたのではっきりとは聞こえない。


「アディオス、ゴンザレス」

「うぎゃあぁぁぁぁぁ――――っ!!」

 別れの言葉を口にしながらスイッチを押して洗濯機を起動させた途端、内部から奴の悲鳴が上がり、俺はそれを背中で聞きながらリビングへと戻った。



 小一時間後。

 乾燥まで終了した洗濯機の蓋を開け、ネットの中から奴を取り出すと、ピクリとも動かなかった。

「おう、フカフカだな。ついでにくたばったか?」

 どうやら気絶していたらしい奴は、俺の声で正気付いたのか、勢い良く顔を上げて猛然と抗議してきた。


「死んでないよっ!! 散々地獄を見せられたけどね! この鬼畜野郎!」

「……へぇ? まだそんなに元気があるなら、あと二・三回はいけるか?」

「ひいっ!!」

 軽く脅しただけなのに、奴はその後一言も喋らず、大人しく俺にぶら下げられていた。

 それにちょっと興を削がれながら、リビングへと戻る。


「あれ? 沙織?」

 しかし何故だか沙織が居ない。オープンカウンターの向こうのキッチンにも気配は無く首を捻っていると、リビングに隣接した和室に続く引き戸が開けられており、そこから沙織がひょっこりと姿を現した。


「ああ、そっちに居たのか。何やってんだ?」

「ついさっき、今朝仏壇のご飯とお水を変えるのを忘れてたのを思い出したの。ママにバレたら怒られるから、今のうちに替えておこうと思って」

「なるほどな。あれだけ余裕かまして登校してたのに、普段より時間に余裕が有ったから、却って忘れたか」

「そういう事」

 苦笑いでそんな事を言い合っていると、手で掴んだままの奴が不思議そうに尋ねてきた。


「仏壇?」

 その質問を本気で意外に思いながら、奴を見下ろす。


「え? まさかお前、知らないの? ここで暮らし始めて一週間以上経過してるんだろ? 1日1回仏壇の水とご飯を換えるのは、沙織の朝の仕事の筈だぞ?」

「そこの部屋に入った事は無かったし、朝沙織ちゃんとママさんの食事が終わってからは、テーブルの上を布巾掛けしてたから、気が付かなかった」

「……なかなか役に立ってんじゃないか」

 沙織が台所に仏飯器と湯飲みを持って行ったのと入れ替わりに、俺は和室に入った。そして奴を畳の上に下ろし、「ほら」と仏壇を指さす。


 扉を閉めると、一見クローゼットの様に見える家具調のそれは、結構趣味が良いと思う。以前おばさんが選んだと小耳に挟んだ事があったが、それはネーミングセンスとは別物だったらしい。

 そんな事を考えていると、奴が神妙な声で再度問いかけてきた。


「巧君」

「何だ?」

「あの写真は何?」

 仏壇の前方に飾られている写真について尋ねているのが分かったので、俺は何気なく答えた。


「何って……、沙織の親父さんの写真だけど。それも聞いて無いのか?」

「うん。ママさんも沙織ちゃんも、この間話題に出した事は無かったし」

「まあ、二人ともサバサバしてるし、その場に居ない人間の事について、よほどの事が無いとわざわざ話題にする事は無いかもしれないな」

 何と言うか……、世間一般の感覚とは、やっぱりちょっとずれてるかもしれないな。ここの家族。つうか、家族の写真を仏壇に飾るって、縁起が悪いとか考えないんだろうか?

 そんな事をしみじみ考えていると、奴は慎重に再度尋ねてきた。


「因みに、どうして居ないのかな?」

「親父さん? 半年位前に、遠い所に行っちまったからな」

「そうなんだ……」

 そう呟くなり、写真を見上げて奴は微動だにしなくなった。

 どうしたんだ? 


「……そういう事か。だから、こうなったのか」

 そんな事を言って、目の前に持ち上げた自分の手を見詰めているらしい奴を見て、ちょっと面白い仮説が脳裏に浮かんだ。


 おいおい。まさかおじさんがぽっくり逝って、おばさんと沙織が心配で成仏できなかった魂が、その身体に入り込んだとか思ってないよな? 

 いや、これは絶対そう勘違いしてるだろ。

 そこで必死に笑いを堪えていると、先程のご飯とお水を新しい物に変えて戻って来た沙織が、変な顔をして声をかけてきた。


「あんた達、こんな所で何してるの?」

「何でも無い。今出る」

「うん」

 そしてどことなく力無く歩いて部屋を出て行く奴の背中を眺めながら、俺は苦労して笑いを堪えた。

 さて、あいつはいつ真実に気付くだろうか。その時、どんな顔をするのか楽しみだ。

 あ……、顔は変わらないのか。



「ただいま~」

「お帰り。ご飯はあと二十分位で炊き上がるし、味噌汁とお浸しは作っておいたから」

「ありがとう、巧。じゃあ急いで他のおかずを作るわね。手伝って」

「了解」

 自宅に戻って、台所で夕飯の支度を始めていると、スーパーの袋を下げた母さんが帰って来た。それから並んで料理をしていると、何気なく聞かれる。


「そう言えば、あんた今日、沙織ちゃんの所に遊びに行ってくるって言ってなかったっけ?」

「行ってきたよ。相変わらずだった」

「あんた以上にしっかりしてるものね、沙織ちゃん」

 そこで苦笑した母さんが、ふと思い出した様に言ってくる。


「あそこのご主人がこの前海外出張に出てから、どれ位経ったかしら?」

「確か、半年は経った筈だよ。正月早々に出向いた筈だし」

「そうか……。それが仕事とはいえ、本当に大変よね」

 調理の手を止めずにしみじみと口にした母さんに、俺は素っ気なく感想を述べた。


「でもそろそろ帰って来る頃じゃないか? それにあそこの家は、母娘がクールな分親父さんが熱い人だから、ちょうど釣り合いが取れて良いんじゃないかと思う」

「確かにそうかもしれないわ」

 苦笑いの母さんの横顔を見て、俺も笑ってしまった。

 勿論、得体の知れないあいつの事を、ここで口にするつもりはない。とことんクールなあの母娘と違い、平凡な俺の母さんに言ったりしたら、間違い無く正気を疑われるに決まっているからだ。


「……暫く退屈しないな」

「え? 巧、何か言った?」

「何でもない。独り言」

「そう?」

 これからとことん、あいつで遊ばせて貰おう。

 手伝いをしながらも俺は頭の中で、今後あいつでどうやって遊ぶかの算段を立てていた。

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