ブヒブヒちゃんの下心
彼はいつも、鼻を鳴らして笑う。
その辺のおじさんみたいじゃなく、軽やかに、憎らしく、笑って見せる。
「クリスマス、飯でも行きます?」
知っているんだ、この子は。
自分の価値も、私の価値のなさも全部。
「誘ってくれてるの?」
「いやじゃなければ。車がいい? タクシーがいい?」
「どう違うの?」
「タクシーなら、二人で飲める。車なら、好きな場所へ行ける」
どっちにしても、たぶん私は抱かれる。この衰えた身体を。
素敵な幻想だ。車で、あるいはタクシーで、魅力のある男の子とクリスマスの夜を過ごすのは。
「考えさせて。今年はイブ、日曜だよね。仕事もあるし…。焦らしじゃなくて、現実って意味で」
「クリスマスはね、夢を見る日なの。現実は遠い明日にある。俺もさ、次の日が、現実に戻った瞬間に、ただの社会人に戻るよ。でもそれまでは柚子さんも女になればいい」
「簡単じゃないよ。ただのOLが女になるのって」
「それは柚子さんがそんな気がしてるだけ。年をとったら女じゃないの? 女はいつまでも女だよ?」
「若いね、きみは」
浮かれているんだ。私は。
年下の、生意気な鼻ったれに会うのを、待ちきれない。
街の木々に電飾。午後六時の風も、安易なこのムードも、待ち合わせをしている、ただ立ちすくむ枯れた私を盛り上げてしまう。
鏡の前で、コートを羽織る指先が震えた。
触れられるかもしれない、彼の指を思うとたまらなかった。
ハッピーハッピークリスマス。
ハッピーなのは結局、結局触れ合う粘膜と粘膜だけなのかもしれないけど。
車で来るのか、タクシーで来るのか分からない。
だから私はすれ違う車両にいつもびくびくする。
永遠に、来なければいい。
私は夢を見たまま、いつだろうって思いながら、イルミネーションが消えていくのを待っていればいい。
どうして連絡一つ入れてくれないんだろって思いながら、寂しい、ただ遊ばれた女になって一人で部屋に帰ればいい。
怖いよ。
とっても、怖いよ。
安易な男女だったなら。
ただ触れ合う肌と肌が欲しいだけなら。
でも私はきっと、軽弾みにおばさんを誘う彼に、きっと愛して欲しい。
夜中の二時を過ぎてしまえば街はもう、個別の獣の愛し合う声に溢れるのだろう。
笑われるかな?
でもさ。
その時間になる前までの、女の子でいられる空気の中で、ただ女の子として扱われる私を、私は見ていたい。
くすぐったりからかったりして、段々男と女になっていく、その前を。
切なくて、焼ききれそうだ。
でも私は、情熱をあいつに見せない。
ただクリスマスを過ごす、ただ抱かれる都合のいい女になって、ただ夜明けが近づく頃に、そっとベッドを抜け出す女になりたい。
どうやって、愛してって言うの?
どうやって、私だけを見てって言うの?
言えない。言えないよ。
都合がよくていい。
だから。神さま。
せめて、この聖なる夜だけは、ただ都合のいい女であることを、演じさせてください。
車の、ブレーキの音が聞こえた。
彼はきっと鼻を鳴らして、当たり前のように待っている私を笑顔で見つめるのだろう。
二秒後の、現実。
足音が、近づいてくる…。
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