はちみつ色のウィスキー
ホテルのバーラウンジは、バーランと略すらしい。
仕事終わりに同僚と話していて、俺はもう三年カノジョがいないって話をすると、バーランなら一人で飲みに来る女がいるよ、と言われて今ここに居る。
細く甘いピアノのメロディと、はちみつ色のウィスキー。
L字のカウンターから見るつり下げられたグラスたちとその奥に並ぶ酒のボトル。
一言で言ってしまえば、俺には似合わない大人の空間。
時刻は九時を回った。二人で静かに飲んでいたカップルが席を立ち、カウンターには俺しかいない。スマホを触る気にもなれず、つまらなさと若干の酔いで、感じ悪く見える、と言われる自分の目を伏せる。
「そちらの女性に一杯」と「あちらのお客さまからです」
それは何だかドラマみたいで、でも実際にそう言うやり取りは普通にあって、ただ俺には縁のなかった世界。
セックスしたいって言う暗喩と、してもいいよって言うパーミッション。
これから自分がそんな台詞を口にするのかと思うと、何だか笑いが込み上げる。
誰でも、何でもいい、渦巻く都会の九時は、嫌悪と期待で満ちている。
うとうととしていたような気がした。
一つ空けた左隣に、女がいた。一瞬の眠りから覚めた放心状態の鼻孔に、人口めいた花と性欲の香りがした。
横顔を見つめていると、右耳に髪をかけた後、彼女は人差し指を立てて見つめ返してきた。
しばらく意味が分からなくて、無理やりに起こした脳が、やっとそれが「一人?」って意味なんだって気付いた。
遅れて俺も人差し指を立てると、彼女は笑って「ウィスキーでいい?」と言った。
「女に奢られるのは性に合わない」
「それ、差別よ」
「そんなつもりじゃないけど」
「ならいいじゃない」
「そう? じゃあ、ロックで」
俺は立ち上がり、席を一つずらして彼女の隣に座る。出されたグラスを重ねると、軽いガラスの響く音がキン、と鳴った。
「きみ、こういう風に飲むの初めてでしょ?」
「何で分かるの?」
「だって、すごく居心地が悪そう」
「煽られて何となく来たけど、俺には向いてないなって思ってた」
「おばさん臭い言い方をするなら、すごく初々しいなって。でも、目の奥はすごく落ち着いているなって」
「コンプレックスなんだよね、この目」
「いいじゃない。ステキよ、その余裕そうな感じ。そんな目をする男ってね、自分に自信がある人なのよ」
「感じ悪いって陰口叩かれてるよ。まあ、それを俺が知ってる時点で陰口じゃないんだけど」
「それを言う男は嫉妬していて、それを言う女はきみに興味があるのよ」
「すごいポジティブだね」
「私は人間が嫌いだから、人間がどういう風に感じて、動くのかをすごくロジカルに見てる。きみの周りにいる人はきみが嫌いなんじゃなくて、きみが図れないのよ。だから噛みついてくるの」
「そんな尊重の仕方、いらないな」
「きみも嫌いでしょ、風景みたいな人間。だから分かるの」
「じゃあ、あんたは何でこんなとこに飲みに来るんだ?」
「それはきっと、風景が嫌いなくせして、私も風景の一部だからよ」
「あんた、俺より病んでるね」
「病んでるって自覚してバーランに来る女の方が、まだ健全でしょ」
「そうかもね」
「私とセックスがしたい?」
「そうでもない」
そう言うと、彼女は
「きみも相当病んでるね」
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