いつもマスクをしてる


 毎朝、決まって同じ時間に起きて、同じバスに乗って高校に向かうといつも見かける顔がある。その子は多分僕よりも少し年上で、おそらく大学生なんだろう。僕が毎朝そのバスに乗る前からバス停に並んでいて、いつも定位置の運転手さんから二列後ろの座席に座る。

 去年の春、僕が高校に入学した頃には彼女はもうバス停に並んでいて、そのころから何かの儀式みたいに、秘密結社の構成員がみんなサングラスをかけているみたいに、いつもマスクを着けていた。

 どうしてその子が気になりだしたかと言えば、理由は二つある。一つは単純にマスクで顔半分が覆われているのに鼻から上がやたらとしゅっとしていて目元が綺麗だったからだ。くっきりとした二重と涼しげな目じりの上がり方。少しキツそうな澄んだ目元。変な言い方だけど「目美人」なのだ。

 もう一つの理由もわかりやすい。それは彼女の服装だった。赤茶けた、あずき色した上下のジャージを必ず着ている。それも春から夏、秋冬までずっと。冬はさすがにその上にコートを羽織っていたが春から秋にかけては必ずその格好で、しかも毎日マスク。彼女を見なかったのは夏休みくらいのものだ。クラスメイトに聞いたら大学生は夏休みが長いらしく、僕も部活はやっていなかったから夏の暑い盛りに彼女がどんな格好をしているのかは僕も知らない。でもきっとジャージなんだろうと勝手に思っている。

 僕の毎日の楽しみは、彼女のジャージの中のTシャツが何色なのかな、とこっそり覗き見る事だった。僕はそれを同級生のケンイチに報告するのが日課だった。「今日はグレーのTシャツ」「なんと今日は珍しくポロシャツだった」なんて風に。

 僕は名前すら知らないその子のことを「マスクさん」と呼び、話しを聞いてくれるケンイチは「ジャージマスク」と呼んでいた。なんだかタイガーマスクみたいで最初はちょっといやだったけれどいつの間にか慣れていた。

 毎朝会うから挨拶くらいはするようになっていた。朝の一言を交わして、時には二言、三言と世間話もする。その後バスに乗って彼女が定位置に座ると僕はその斜め後ろから彼女の左後頭部を眺める位置に腰を下ろす。周りの景色も見ず、彼女はひたすらにイヤホンで耳を塞ぐ。時々首を回したり指をパキパキさせたりと、あまり女の子らしくはない。でもいつの間にやらエアコンに揺れる彼女の前髪が気になっていて、バスに揺られる二十分弱、僕は幸せだった。


「ジャージマスクと付き合いたいのか」

「えっ、どうだろう。そういうの、あまり考えたことなかった」

 僕にはまだ恋人がいた事なんてないから急に付き合うとか言われても正直困っちゃう。

「聞いてみろよ、恋人いるのかって」

「無理に決まってるよ」

 僕と彼女の関係ははっきり言って赤の他人だ。そこでいきなりプライベートに踏み込む話しなんてしたらもう口きいてもらえないかもしれない。挨拶と天気の話し、それが僕たちの全てだった。

「マスクさんの事は、どう言えばいいんだろう、眺めていればそれだけで満足っていうか。想像するのが楽しいんだ」

「ネガティブだな、お前」

 ケンイチのような一種の強引さは、僕には一生持てそうにない。姿を見るだけでうきうきしちゃう自分の小者っぷりに少し劣等感。

「変かな、同じ空間にいるってだけで不思議と満たされるんだよね。それに食事を作ったり仲間とバカ騒ぎするマスクさんってなんかマスクさんらしくない。彼女は、なんていうか、生活感がまるでないんだ」

「あのな、ジャージマスクだって人間だぞ。うんこもすりゃあオナニーだってするさ。お前夢見過ぎ」

「やめてよ、そういうの」

 マスクさんはきっと、孤高の人だと密かに思っている。群れず、騒がず、クールに。猫のようにしなやかな一匹狼。

 彼女にはきっと、鼻も頬も唇もないんだ。

 マスクさんという人間は俗っぽい神秘さで、僕の心に居座っている。

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