葉の色づく季節まで
朝の弱雨も明け、夏の空気は過ごしやすい気温でベランダに出た私に深呼吸をさせた。
長袖の薄いシャツとハーフパンツのパジャマのまま湿った町を見下ろし、こんな時間からまばらに歩いているワイシャツ姿のサラリーマンを見送る。
みっちゃんに会いたい。
ここのところ毎朝起きるとベランダでそう思ってから一日が始まる。朝はいい。誰にも会わないから不安定を不安定のままにしていられる。
朝食はラズベリーヨーグルトとクロワッサンと紅茶だけ。有給で生まれて初めて行ったイタリアのホテルのバイキングでこの組み合わせに出会って以来、私の朝はこの紅茶なしでは成り立たない。コーヒーが飲めない事もあって、その分紅茶セットには少し贅沢を許している。
会社。残業。たまの付き合いの飲み会。その繰り返しの毎日。心がすり減りそうな毎日。
だから早起きして朝の時間だけは作るようにしていた。シャワーを浴びて髪を乾かし、化粧をしながら鏡に映る自分を見つめる。年をとったな。もう気が付けば四十代は目の前だ。今年の冬にはもう、四十路という大台に乗ってしまう。行き遅れた女。もう盛りを過ぎた女。幸せを逃したのかもしれない女。
みっちゃんに会いたい。また、そう思う。
私とは違い、幸せを手に入れた昔からの友人。家事も子育ても旦那の尻を叩くのも上手い、私の親友。
これから昼休みが始まるという慌ただしいロッカールーム、何となく人恋しくなって携帯のメールでみっちゃんに連絡を取った。「元気、最近どうしてる?」打ちながら思う。どうしてるもないのだ。私は仕事で、彼女は家庭でシンプルなサイクルを繰り返しているだけなのだから。幸せかそうでないかは問題ではないのだから。繰り返しという作業は、人を少しずつ息苦しくさせてゆく。
結局のところ、輝いている人というのは、例え些細なことでも、新しい変化を常に自分の心に取り入れている人なのだろう。そういうマメさが私にはない。そしてみっちゃんにも。だから若い頃から私たちは気が合ったのだろう。見た目も性格も違う私たちはお互いを見て、何かを分け合い、指摘して、慰め合った。
「久しぶりに旅行行こう! 一泊で温泉とか、予定明けれそう?」
みっちゃんからの早い返信を見て、私は頬を緩める。自分が早くメールを返す寂しい女だなんて彼女はちょっとも思っていないのだ。
「夏中は突然だしちょっと分からないな。でも秋までにはなんとかする」
私は小さな見栄を張る。
「OK。下調べは任せておいて。遊びにかける昼間の主婦はOLなんかよりよっぽど有能よ」
私は声を出して笑った。同僚が少し怪訝な顔でこちらをみたが、そんな事は気にならなかった。
秋が来る頃までに、山の木々に囲まれた心を洗う二人旅の温泉に行ける。
マッサージして美味しいものを食べて夜通し話そう。
葉が色づく季節までには、形にしたい久しぶりのプライベートの予定。
みっちゃんとの三十代最後の思い出作りが、ささやかな変化を自分の心に取り入れてくれるよう、私は携帯をしまって昼休みのガールズトークに交ざった。
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