異世界チートで資本主義社会に復讐するということ

さいとし

本文

 取調室の空気は淀んでいた。壁に寄りかかっていた警部は腕組みを解き、机越しに容疑者と向き合っている部下の肩を叩いた。意図を察した部下は、ため息をついてから、手元の調書をまとめ、首を振りつつ扉から出て行った。


 警部は椅子にどかりと座り、容疑者と向かいあった。さしたる特徴のない、真面目な公務員か研究者のような外見の男。彼は、取調室に連れ込まれてからというもの、一言も喋っていなかった。恐怖で口が開かない、といった風には見えない。一番近いのは、すぐに弁護士が来ることを確信している金持ちの態度、といったところだろうか。警部は気に入らなかった。もし本当に弁護士が来るのだとしたら、それまでに何か引き出しておかなければ。


「なぁ、聞けよ。俺はお前をある意味尊敬している。凄い男だってのは間違いない」


 警部の言葉に、容疑者は視線を上げた。


「いくつかの偶然がなければ、お前にたどり着くことはできなかった。お前のやった仕事は、限りなく完全犯罪に近い。俺の警察人生の中でも、間違いなく一番の大物だろう。敬意を表しているんだ、皮肉ではなくな」


「俺もあんたを尊敬してる」


 初めて、容疑者が言葉を紡いだ。自尊心をくすぐったのがよかったのだろうか。いや、と警部は容疑者の表情を慎重に観察しつつ考える。この男は、自己顕示欲の強いチンピラや、遊び半分のハッカーとは違う。


「正直、この段階で逮捕されることは、全く想定していなかった。足跡は残していないつもりだった。大したものだ、皮肉ではなく」


「部下たちの努力の賜物だ。お前を挙げるために、文字どおり粉骨砕身というわけだ。俺だってもう一月は家に帰っていない」


「手間をかけたな」

「ああ、かけたさ。何しろ、史上空前の偽札事件だ」


 警部は机にぐいと乗り出した。顔を近づけても、容疑者は全く怯まなかった。


「ロンドン、キューバ、パナマ、香港、東京、それにウォール街。お前がぶちこんだ膨大なキャッシュのおかげで、市場は大混乱だ。ハッキングでの数字の改ざんじゃない。想定外の質、想定外の量の偽札による攻撃。おまけに種類も豊富だ。ドル・ユーロ・元・円。ペソまであった」


「実はドルが一番簡単だったよ」


 警部は容疑者に見えない位置で拳を握った。こいつ、ついに認めやがった。


「目撃証言とカネの流れを追い、ようやくお前にたどり着いた。だが、今の段階でもわかっていないことがある。偽札の製造場所だ。どこで札を刷っていた」


 それこそが、この事件の最大の謎だった。警部たち特捜班は、偽札製造のインフラ面からも、当然事件を追っていた。しかし、その方面での捜査は実を結ばなかった。偽札は、まるで空中から魔法で生み出されたかのようだった。


「プリンターや、ちょっとした印刷工場で可能なレベルの質と量じゃない。造幣局並みのシステムが必要になる。機能を分散させて隠しているのなら、輸送の面から割れるはずだ。どこかに一極集中で製造する工場があったはずだ。それはどこだ!」


「タバコ」


 容疑者が呟いた。


「タバコを一本くれ。そうしたら、全て話す」


 警部は無言で胸ポケットからタバコを取り出した。容疑者に一本くわえさせ、火を着ける。容疑者は深々と煙を吸い込んだ。


「さっきも言った通り、俺もあんたを尊敬している。だから、あんたにこれから何が起こるか教えてやろうと思う」


 容疑者は親指で扉を指した。


「もうすぐ、あの扉が開く。そして、エルフたちが入ってくる」


「は?」


「エルフは全員戦士だ。多勢に無勢。あんたは縛りあげられ、俺はこの部屋を、この世界を出て行く。二度と戻ることはない」


 完全に想像の斜め上の台詞に、警部は言葉を挟むことも忘れた。


「最初に考えたのは、ケシや大麻などを栽培して、『こちら』へ流すことだった。だが、これはすぐに辞めた。俺は、『向こう』の世界を汚したくないんだ。俺のせいで『向こう』でも麻薬戦争が起こってしまったら、耐えられない。次に考えたのは魔法やマジックアイテムで『こちら』に混乱を引き起こすことだったが、そんなことができるアイテムは『向こう』でも貴重だ。『向こう』ではほとんど価値がなく、『こちら』では価値が高いものがいい。紙幣。それしかないと思った」


 警部の思考は完全に停止していた。容疑者は構わず続けた。


「インクや原版は意外に簡単だった。錬金術でインクは簡単に複製、大量生産できたし、手先の器用なエルフたちが緻密な原版をあっという間に作ってくれた。原料の栽培は、軌道に乗るまで時間がかかったが、いくつか農業技術を持ち込んだら、ホビットたちがうまくやってくれたよ。もちろん、穀物や野菜にも転用できる技術だから、非常に感謝してもらえた」


「さっきからお前が言っていることが全く理解できない」


「すぐにわかる。やはり課題は印刷だった。『向こう』ではまだ家内制手工業が中心だったからな。化石燃料の発掘は行われていなかったし、原動機を持ち込みたくもなかった。しかし、ゴーレムを自動生成するダンジョンを攻略し、そのシステムを掌握したことで課題は解決した。今では素晴らしい印刷工場だ。じきに紙幣の印刷も打ち止めにして、もっと意義のある、文化の発信拠点にするつもりだ。そう、じきに」


 容疑者は名残惜しそうにタバコをフィルター近くまで灰にした。


「数日のうちに、俺の最後の仕掛けが動きだす。これまでとは比較にならない量のキャッシュが市場に注ぎ込まれ、その上で偽札と発覚する。武器の裏取引に突っ込んだり、悪の枢軸国家にポンとくれてやったりもしたから、ムチャクチャになるぞ。ハイパーインフレでありとあらゆる産業は壊滅するだろう。世界から金という『信用』が消え去るわけだ。俺の復讐はそこで終わる」


 警部は真っ青になった。目の前の男が本気だとわかったからだった。


「やめさせろ!」


「もう俺でも止められない。教えてやろうか。公にはされてないが、あんたの国の赤字国債、数年前から買い支えてやってたのは俺の部下の関連財団だ。資本金は全て偽札で賄った。今の自由主義経済世界は、もはや架空の王国なんだよ」


 コンコン、と扉がノックされた。


 警部は思わず立ち上がり、腰に手を回した。しかし、拳銃は取調室に入る前に部下へ預けていた。

 扉は乱暴に開かれ、剣とナイフで武装したダークエルフたちがなだれ込んできた。警部は果敢に抵抗したが、すぐに麻縄で縛り上げられて部屋の隅に転がされた。


「魔王様、お迎えにあがりました」


「うむ」


 容疑者、魔王は手渡された豪奢なマントを羽織り、立ち上がった。ふと気づいて、警部に近寄ると、彼の胸ポケットに収まっていたタバコを抜き取った。


「こいつは『向こう』にないんだ。支払いはドルでいいか?」 



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異世界チートで資本主義社会に復讐するということ さいとし @Cythocy

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