第3話 第一回恋愛相談

 放課後、夕焼けが眩しいこの時間に俺と舞鶴はナイゼリヤというファミリーレストランに来ていた。言うまでもないが、恋愛相談のためである。


 店員に案内され、禁煙席に座り、ドリンクバーを二つ注文する。飲み物を入れに行こうと立ち上がった時だった。


「私、DDレモン」

 可愛くデコレートされたスマホを弄りながら、こちらを見向きもせず舞鶴が呟く。


「……そうか」

 自分のドリンクを入れに行くついでだったんで構わないんですが、舞鶴さん僕のことをパシリだと思ってませんか?


 ドリンクカウンターの前に立ち、まずは自分の分を入れる。俺はドリンクバーではいつも、なっちゃうオレンジを選択する。


 この柑橘系特有の酸味を再現し切れず甘いだけの飲み物になってしまった出来損ない感がどこか俺に仲間意識を抱かせるのだ。


 舞鶴に言われたDDレモンもコップに注ぐ。一瞬他の飲み物も混ぜてミックスジュースにしたらどうだろうかという考えが頭をよぎるが、確実にキレられるので止めといた。


「ほらよ」

「ん」

 DDレモンの入ったコップを舞鶴の前に置く。しかし思った通りお礼の言葉は無かった。


 スマホを見つつ、手を伸ばしDDレモンの入ったコップを手に取る舞鶴。そして口元まで近づけていった所で、何かに気づき、再び机にコップを置いた。


「ストロー」

 殴っていいか?



 そんなこんなで始まった記念すべきでない第一回恋愛相談だが、今俺達が何をしているのかと言うとテスト勉強である。


「あーもう、分かんない!」


 今日でテスト一週間前だ。そもそも何故今日を恋愛相談の日にしたのか分からないのだが、とにかく恋愛相談がいつ終わるか分からないので、先に今日やっておきたい範囲を勉強してもいいか尋ねると、しぶしぶ舞鶴から許可をもらうことが出来た。


 数学を前に苦戦している舞鶴を無視し、黙々とテスト課題を進める。このペースで行けば、時計の短針が五時を回る前に目標を達成出来そうだ。


「あと、一問……と」

 ぼそりと呟いた独り言に舞鶴が反応する。彼女はちらりと俺の前に開かれている教科書のページを覗き込んだ。


「もうそんな所まで進んでるの!?」

 驚き声を上げる舞鶴を見る。信じられないというような顔をしていた。


 舞鶴の進捗状況を確認してみると、俺が数ページ進めている間、舞鶴はどうやら片面一ページ分しか進まなかったらしい。


「あんた頭は良いのね……」

「俺みたいな根暗オタクが頭も悪かったらいよいよ救いがねえからな」

「よく分かってるじゃない」


 舞鶴はくすりと笑う。俺にまともな笑顔を見せるなんて珍しいなと思っていると、すぐに元の表情に戻り上からものを言ってきた。


「じゃああんたが問題解き終わったら、私に数学教えてよ。あ、それからメロンソーダおかわり」

「その偉そうな態度何とかならねえ?」

「少なくとも学校ではあんたより立場が上のつもりなんだけど。相対的に見て」

「すみませんでした」


 反論の余地が無さ過ぎて悲しくなってきた。ここまで露骨な態度を取られるといっそ清々しいのかもしれない。


 とりあえず最後の一問片付けるか……。



「で、ここをこうしてだな……」

 一つ一つ丁寧に教えていく。


 拒否権などほぼ無かったが、それでも俺の意思で引き受けたことだ。テキトーに教えることは理に反するだろう。


 あれ、俺今カッコいいこと言ってね?


「それでさい「ⅹに代入すれば良いのよね」……そういうことだな」


 俺が教えている間、思いの外、舞鶴は従順に聞いてくれていた。しかし彼女の頭が予想以上によろしくなかったため、時間は結構かかってしまった。


 だがこれで数学のテスト範囲は全て教えることが出来た。といっても例題だけだが。


 他人に教えている時間は一見無駄なように見えるが、他人に教えることで自信の理解度も深められるので、損をしたとは思っていない。


 ……が、やはり舞鶴さん、かかり過ぎじゃないでしょうか。もう既に七時前ですよ。


「あの……」

「どうした?」

 舞鶴は顔をしかめている。もしかしてまだ分からない所でもあるのだろうか。


「あ、あり……が……やっぱ無理」

 舞鶴は溜息をついた。


「あんたに礼を言うなんてありえない」

「俺ってお前からどう見えてんの?」

「ウジ虫」


 その理屈で言えば舞鶴は今までウジ虫に勉強を教えてもらっていたことになるな。


「まあ何でもいい。それより飯頼まねえ? 腹減った」

 頭を使うと腹が減る。



「こちら、トマトクリームスパゲッティ、ミックスグリル、ラージライスとなります。こちら鉄板の方が熱くなっておりますのでご注意ください。ご注文は以上でよろしかったでしょうか」

「はい」


 目の前に並んだ料理に目が釘付けになる。

 トマトクリームスパゲッティは舞鶴のもので、ミックスグリルとラージライスが俺のものだ。ミックスグリルはまだ鉄板に熱があるため、ソースがじゅわじゅわと沸騰しているのが見て取れた。


「いただきます」


 早速、ミックスグリルのハンバーグの一部を箸で切り離す。ソースを絡めて、口の中へ頬張った。舌で肉の味と熱さを確かめながらライスを更に口の中へ入れる。


 ん~~~~~!


 声にならない美味さが空腹状態の俺を襲う。腹が減ってる時の飯は、この世で最も幸せな一時だと言っても過言ではない。


 もう一口、もう一口と箸を進める。


 と、そこで、舞鶴が未だにスパゲッティに手をつけていないことに気づいた。では彼女は何をしているのかというと、粉チーズをかけ続けている。


 一体どれだけかけるのか。見る見るうちに赤かったトマトクリームスパゲッティが白くなっていく。いくら無料だと言ってもやり過ぎではないか。


 舞鶴の表情は輝きに満ちている。よっぽど粉チーズが好きなようだ。


「いただきます」


 フォークとスプーンを使い、綺麗にパスタを巻き取っていく。舞鶴の小さな口が大きく開き、パクリと一息に巻き取ったパスタを食べてしまった。


 嬉しそうに微笑みながら口をもぐもぐと動かすその姿を見ていると、普段の憎らしさを忘れてしまいそうになる。


 ニコニコ笑顔でパスタを食べていた舞鶴が、俺の視線に気づいた。


「な、何よ」

「粉チーズ好きなんだな」

「そうよ、悪い!?」

「別に」


 流石にかけ過ぎだとは思ったが、人の好みに口を出すつもりはない。それで、美味しく飯が食べられるのなら良いと思う。栄養には気をつけねばならないが。


「だって、仕方ないじゃない! 家族で外食することほとんどないし、しても別の店だし。友達と来た時はこんなにチーズかけてるの見せられないもん!」


 悪くないと言っているのに勝手に弁解が始まった。


「一人でファミレスってのもあれだし。こんなこと出来るの、今日ぐらいで……」

 というか友達と来た時は見せられないのに俺と来た時は見せられるんですね。

 あ、俺ウジ虫だったわ。


「そういえば今日は何であんたなんかとナイゼリヤに……」


 …………。


「「あ」」


 すっかり忘れてたな。今日の本題はそれだったというのに。

 まあ飯を食べながらでも構わないし、食後だって時間はいくらでもある。


 第一回恋愛相談を、改めて始めよう。



 の、前に。


「なあ、なんでわざわざテスト前のこの時期に恋愛相談なんてやるんだ?」

 ずっと疑問に思ってたことを言う。別にテストが終わってからでも遅くはないはずだ。


「ん、ごくん。……テスト最終日に皆でディスティニーランドに行こうってことになって」

 しっかり口の中の物を食べ終えてから話し始める。その辺りはちゃんとしてるんだなとどうでも良いことを考える。


「あー、そういえば立也も言ってたな」


 東京ディスティニーランド。名前だけはやけにカッコいいその遊園地は、東京にあると見せかけて実は千葉にあるという何とも言えない施設だ。


 東京湾に面しており、面積は五〇万平方メートルを超える。日本では最も人気の高い遊園地で、連日人が波のように押し寄せる。


 しかしテスト最終日ならば平日なので、まだマシなはずだ。平日でも、夏休みや冬休みは人が増えるのでテスト最終日に行くという選択肢は賢い。


「てことは俺に立也の好きなアトラクションを聞きたいとか?」

「そういうこと」

「それならWINEで良くね?」

「……」


 今気づいたという表情だ。普段WINEを使ってない俺でさえ思いついたのに、何故こいつは思いつかなかったのだろう。


「だってあんたのWINE知らないし……」

 苦し紛れに言い訳してくる。


「クラスWINEから分かるだろ」

「うるさい」

 一蹴してきた。それだけで俺の優位は崩れる。俺、よわ。


「それで天橋くんはどういうのが好きなの? アトラクションだけでなく、ポップコーンとかそういうのも教えて」

「つっても、あいつと遊園地に行ったのなんて大分前だしなー」


 確か二年前だったか。まだ中学生の頃だったように思う。

 足りない記憶を呼び起こし、舞鶴に答える。


「ジェットコースターとかは楽しそうにしてた記憶がある。お化け屋敷も嫌いじゃなかったはずだ。ポップコーンはキャラメルが一番好きだって言ってたな。あいつ自体甘い物が好物だから間違いないと思う」

「じゃあ、逆に嫌いなものは?」

「ショーとかシアターとかその辺かな。それならミュージカルや映画を見に行く方が良いんだとさ」

「なるほど」


 舞鶴は気合の入った表情でしっかりメモを取っている。


「で、天橋くんはその、観覧車はどうなの?」

「観覧車か」


 東京ディスティニーランドの一番の名物といえば観覧車だ。ディスティニーランドは運命さだめの国と呼ばれており、運命の相手と観覧車に乗ると必ず結ばれると言われている。


 そんなものは迷信だし俺は信じないが、やはり舞鶴のようは現役女子高生は信じるものなのだろうか。


 そもそも結ばれるから運命の相手なのであって、運命の相手と乗ったから結ばれるという訳では無いと思うのだがどうだろう。


 どちらにせよ、観覧車に好きな人と乗るというのは確かにロマンティックだ。なので立也と観覧車に乗りたいという舞鶴の思いを否定することはしない、が。


「それだけは止めといた方が良い」


 いつになく真剣に、そう答えた。


「どうして?」

「色々あんだよ」


 昔の話だ。舞鶴には関係が無い。そして、そのことについてはあまり話したくなかった。


「天橋くんは観覧車が嫌いなの?」

「嫌いって訳じゃねえな」


 好きだとか嫌いだとかそういう話じゃない。


「じゃあ大丈夫なんじゃ「どうしても駄目だ!」……!」


 相当一緒に乗りたかったのであろう舞鶴のしつこさに、つい語気を荒げてしまう。珍しく怒る俺を見て、彼女は怯えた表情を見せた。


「ご、ごめん」

 怖がりながらも、舞鶴は謝ってきた。だが彼女は悪くない。


「……舞鶴が謝る必要はない。取り乱した俺が悪かった。すまん」

「うん」


 いけない。未だにこんなことで平静でいられない俺が嫌いだ。あれからもう六年になるというのに、全く過去の呪縛から解き放たれてはいなかった。


 しかしそんなことは言い訳には出来ない。自分の弱さが惨めなだけだ。ウジ虫という罵倒は、存外当てはまるのかもしれない。


「……はあ。今日は俺が奢る」

 舞鶴を怖がらせてしまったお詫びという意味もあるが、どちらかといえば自分への戒めの方が強い。


「い、言われなくても最初から、そのつもりだったし……」

「お前……」


 よくこのタイミングでそのセリフが言えたなと、呆れると同時、少し感心してしまった。

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