第7話 a bolt out of the blue

*7月15日(土)雨*


 今日は早番。なかなか止まない雨と湿度の高さにげんなりする。

でも、今日、私は朝からそわそわしていた。何を隠そう、実は、あの事件(真理子曰く、『朝チュンの乱』)以来、久しぶりに徹くんに会うのだ。


あいつ、試験だからってガッツリ休み取りやがってっ!


思わず何も悪くない彼に対して悪態をつく。

学生さんが試験前に休みを取るのはよくあることだ。

だけど、この二週間。いつ皆にバレるか、警察が逮捕しにくるんじゃないかと怯えてた私の気持ちになってみろ……。


……来た……っ!


夕方四時過ぎに徹くんは現れた。梅雨をものともしない、実に爽やかな立ち姿。

悩み過ぎて顔色が悪く、髪がボサボサの私とは雲泥の差だ。


「綾乃さん、お疲れ様です」


「お疲れ~。ってそんなことどうでもいいから、ちょっと来てっ!」


レジカウンターを華麗に通り過ぎようとした徹くんを早々に捕獲し、力づくで人気ひとけの無い階段に連れ込む。私にタックルをかまされた徹くんは、目を白黒させている。


「ど、どうしたんですか?」

「今日は九時までだよねっ? その後予定あるっ!?」

「無いですけど。試験も終わりましたし……」

「よしっ! じゃあ、この前行ったファミレスで待ってるから、終わったら来て!」

「え?」

「来て!」

「わ、分かりました……」


 了承の言葉をむしり取り、やっと徹くんを解放する。彼は首を傾げながら事務所に消えていった。


 今夜が……勝負だな……!


 約束を取り付けたことにひとまず安堵し、私は気合を入れなおすと残りの仕事を片付けるためにレジカウンターヘと戻った。


 先に仕事が終わったため、一度家に帰って着替えてからファミレスに向かった。十五分ほど待つと、ようやく徹くんが現れる。

「すみません、遅くなって」


「ううん、私もさっき来たとこだから大丈夫。夕飯まだでしょ。何にする?」


ワンショルダーの小さいリュックを隣の席の背もたれに掛け、私の向かいに腰を下ろすと、徹くんはメニュー表をチラリと見て、「チーズとトマトのハンバーグの洋食セットにします」とあっさりと決めた。私は「了解」と答え、ベルスターを押すと、すぐにバイトの女の子らしきウエイトレスさんが小走りでやってくる。


「お待たせいたしました、ご注文をお伺いいたします」

「チーズとトマトのハンバーグの洋食セットを二つお願いします」


 注文を取り終えた女の子は、徹くんを見て驚いた顔をし、みるみる頬を赤く染めた。好みドンピシャらしい。

でも、徹くんはそんな彼女の様子には全く気付いてないようだ。罪作りな男……。

 

 彼女が名残惜しそうに去っていくと、徹くんは私に向き直り、「で、話ってなんですか?」 と尋ねてきた。

 よし、と覚悟を決めて、私はテーブルの上に頭を下げる。


「この前は本当にごめんなさいっ!」


 すると徹くんは、けげんそうに私の顔を見てきた。。


「……? 何のことですか?」

「えっと、その、酔って騒いだこととか、あと、そのぉ……徹くんをうちに連れて帰って……無理やり……こととか……」

「すみません、最後の方が聞き取れなかったんですが」

「だ、だからぁ、私が……その……徹くんに犯罪まがいの行為を働いてしまったことですっ」


 恥ずかしくてストレートに言葉に出せず、小声で必死に説明する。すると、徹くんもはようやく私の言いたいことを理解したようで、一瞬、クスリと笑った。……何故だ。


「ああ、そのことですか…」

「ご、ごめんね? 私、全然覚えてなくて……その……」

「え……全く覚えてないんですか……ひどい」

「あわわ……ごめんなさいっ! 土下座するので、よろしければ皆には黙っててもらえないでしょーかっ!」

「そんな、土下座だなんて」

「何ならジャンピング土下座でも何でもしますからっ!」

「……」

「ス、スライディング土下座でもいいですけどっ?!」

「……」


 何とか警察沙汰にはならないように必死でお願いする。だけど徹くんは俯いたまま、何も答えない。不安になって顔を覗きこむ。すると、徹くんの肩が小刻みに震えたかと思うと、何故かお腹を抱えて爆笑し始めた。


「もうやめて……ジャ、ジャンピング土下座って……それにスライディング土下座…ナニソレ、どんなのだよ……あー、もうダメ。笑い止まんない……!」

「え、えーと、あの……?」


「お願いだから待って」と言われて、釈然としないまま、彼が笑い終わるのを仕方なく待つ。ゆうに三分は笑い続けたあとでようやく笑い終わったようだ。でも、まだ肩が震えている。


「あー、面白かった」

「そ、そんなに……?」

「しばらくこのネタ思い出し笑いしそうなくらいにね。それで、綾乃さんの話をまとめると、綾乃さんは俺にイケナイことをしちゃったと思っていて、それを誰にもバラして欲しくないと。それを俺にお願いしに来たってことでいいですか?」

「は、はい……」


再び姿勢を正した私を、徹くんは口角を上げながら楽しそうに見ている。


「一つ言っておきますが、俺は十八歳なので、別にそういうことをしても罪にはならないんですよ」

「えっ? そうなの?」

「はい。知らない人は未成年=犯罪だと思っているみたいですけど」



 思ってた。そういうニュース、よく見るもんね。犯罪じゃないと分かり、私は胸を撫で下ろした。


「良かった……!」

「まあ、それも俺が訴えなかったら、という前提があってのことですけどね」

「えっ!」


僅かな希望をあっさりと打ち砕かれ、ぐっと喉を鳴らして黙り込むと、徹くんはまたもやくすくすと笑いだした。


「そうですね、黙っていてもいいですよ」

「ほ、ほんとっ?」


 小さく縮こまっていた体をガバッっと起こして徹くんを見ると、爽やかな笑顔を浮かべる。


「ただし、条件があります。お願いと言った方がいいですね」

「わ、私に出来ることなら何でもするからっ」


 もしかして、お金……? 貯金はそんなにないぞ、と不安げな顔をすると、徹くんはとんでもないことを言いだした。


「じゃあ、綾乃さん」

「は、はい……?」

「俺と、付き合ってください」

「……え?」


 たっぷり三十秒考えた。オレトツキアッテクダサイ。俺とツキアッテクダサイ。俺と付き合ってください……って……。


「ええぇぇぇぇぇ――――っ!!!!!」


 店内に私のすっとんきょうな叫び声が響き渡る。その途端にざわついていた店内が静まり返り、我に返った私は「すみません! すみません!」と周囲のお客さんに謝った。


そしてやけに楽しそうな徹くんに、真意を確かめることにした。


「……じょ、冗談だよね?」

「いえ、本気です」

「な、なんで?」

「綾乃さんが好きだからです」

「!?」


徹くんはさらっと大胆告白をした。


「どうしてっ? 何で私!?」

「そうですね。……うーん、一言でいえば何となく、です」

「何となくっ?!」

「だって、人を好きになるのに明確な理由って無いと思いませんか? でも……そうですね、敢えて挙げるとするなら……好きな映画のことを話す時すごい熱く語る所とか、お酒を飲む時すごく幸せそうな顔をする所とか、仕事は出来るのにどこか抜けてる所とか、年下に完全にナメられてる所とか、ですかね」

「何か、後半は悪口にしか聞こえないんですけど……」

「そうですか? 俺はいいと思いましたけど」


 自分で聞いといて今さらだけど、自分のどこが好きかって聞くなんて、まるで付き合いたてのバカップルみたいで猛烈に恥ずかしい。

だけど、どうやら冗談ではなさそうだ。

 この条件をのまないと、訴えられちゃうの?


「でも、そんな急に言われても……」

「いやあ、でもあの時の綾乃さんはすごかったなあ。バーなのにたこわさが無い! いますぐ持って来い! ってマスターに文句言った時は俺、どうしようかと、」

「や、やめて!」

「部屋での綾乃さんはもっとすごかったな。俺を家に連れ込んで、無理やり、」

「わーわーわー! 分かった! 分かったからっ!」


 私は食い気味に答え、徹くんの暴露話を遮った。全く覚えの無い話を持ち出されて焦る。もしかしてまだまだいっぱいやらかしてそうで怖い……。


「ま、前向きに、検討させてください……」


 深呼吸の後で、私は何とかその一言を絞り出した。


「それにしても、何もこうやって呼び出さなくても、電話でもしてくれればよかったのに。ずっと悩んでたんでしょう?」


「だ、だって、試験勉強の邪魔しちゃダメだと思って……」


 しどろもどろで弁解すると、徹君は目を瞠った後で、嬉しそうに微笑んだ。


「ああ、綾乃さんのそういう気をつかいすぎる所も好きですね。すごく」


 ピシャーン!

 せっかく平常心に戻りかけていたのに、追い打ちのような告白でまたまた私は凍りつく。


 その時やっと注文していた料理が届いた。待っている間にもう何年も経ってしまったかのような疲労感だ。

 遅いよ、もう……。


 固まってしまった私の代わりに、徹くんがウエイトレスさんに笑顔でありがとうございます、とお礼を言った。

 その後、私にフォークとナイフを持たせる。そして先にハンバーグを口に入れ、おいしいですよ綾乃さん、と天使の頬笑みを向けてきた。


私にはその極上の笑みが、悪魔のそれに見えたのだった。

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