不良品の生きた道

ワラビー

第1話 22歳、発達障害を知る/幼年期の発達障害者

 昔、あるお菓子メーカーの工場に見学に行ったことがある。原材料の仕込みから製造工程を見学していく中で袋詰めの前に人によってお菓子が仕分けられている光景を見た。


話によるとベテランの職員がちょっとした形の違うものも弾いているという。機械ではそれができないからこうしている……というようなことを言っていた気がする。


その時は見た目に違いがないのに見分けられるなんてと子供心にすごいなぁと思っただけだった。しかし、今この光景を見たなら私はこう思う。これは今の私の立ち位置だと。


私の年齢は23歳。アルバイトだ。普通の学生ならもう社員として働き始めているはずの年齢だ。入試で浪人したわけではない。私はこの袋詰め工程前の検品に引っ掛かかった落第生なのだ。


それと同時に検品に引っ掛かった原因の一つがわかった。発達障害、私の場合は高機能自閉症ことアスペルガー症候群だった。


就職試験を受けていく際にどうにも面接で緊張して仕方がないと感じたのが精神科受診のきっかけだった。ネットでたまたま緊張を抑えられる薬の存在を知り、精神科のとあるクリニックを受診した。


リーぜという比較的軽めの精神安定剤をもらい(医師曰くお守り)ある程度試験を受けたものの結果はついてこなかった。そんな時に病気の可能性があると心理検査を受けた、


2015年12月上旬。私はアスペルガー症候群の診断を受けた。私の生きてきた中で感じてはいたが気にしないようにしてきた違和感の正体が生まれて22年経って初めて明かされたのだった。


                         ○

 発達障害と聞いてインターネットや本で調べて気付いたのは幼少期のころから私はその症状に覚えがあるということだった。恐らく心理検査や生い立ちなどを聞いた総合的な結論がこの病気だったのだろう。


私がある程度明確に覚えている記憶は5歳のころからだ。当時は幼稚園に通っており友達は多く……はなく、やっぱり少なかった。


元々、幼稚園のあるところに昔から住んでいたわけではなく幼馴染のような立場の人間もいない。かといって積極的に話かけられるわけでもなく、この当時の交友関係は住んでいた団地で同じ幼稚園に通うメンバーの中に入れてもらうような形で進んでいたと記憶している。


そんな形なので幼稚園での自由時間はほぼ一人。ただ当の本人は全く意にも介さず遊んでいた。今思うと気づけよとか小言も言いたくはなるが言ったところでどうにかなるものでもないが。


この幼稚園時代に周りとなじめないという特徴を露見しているがそれ以外にもこの時を振り返ると周りとは違うなと感じたことが結構ある。(もちろん悪い意味で)


例えば鉄棒がへたくそだった。逆上がりがいつまでたってもできずに補修になっていた。これは結局小学生になっても改善されず今でも鉄棒は嫌いだ。そもそも運動全般がダメなのだが。


それ以外にも変なこだわりを発揮する場面が多々あった。避難訓練で避難用に備え付けられた滑り台を滑れずに大泣きしたりしたこともあった。


もっとも印象に残っているのはお泊まり会の時だ。確か年長に上がってからだったと思うが夏休みに幼稚園の園舎に泊まるお泊まり会が行われた。夜になって近くの寺までをコースとした肝試しが行われた。当時6歳。なんやかんやで怖かったわけだがその中でこんな一幕があった。


寺に近づいた時の事。脅かし役の先生(たぶん)がウマのお面をして飛び出してきたのだ。その際に自分たちに向かってこんなことを言っている。


「明日、ニンジンもってこいよ!」


要約だが確かこんなことを言っていた。私も含めてその場にいたグループもそれ以外のグループもたぶんそう言われたのだろう。


そして翌日。お泊まり会の写真撮影の段階になった時、その馬もいた。私は思った。ニンジンをあげなければと。


……結局、あの言葉を覚えていてニンジンを渡そうとしていたのは私だけだった。


記憶違いなら申し訳ないが覚えている限りそんなことをしていた園児はほかにいなかったと思う。覚えていなかったのかそのあたりは定かではないが当時の写真を見る限りたぶん私だけだったと思う。無駄に無駄なときぐらいにしか発揮しない私の記憶力のルーツはこの辺にあるように感じる。


これらすべてが必ずしも発達障害につながっているかと聞かれると正直疑問が残る。ただ、少なくとも関連ぐらいはしているのではないかと思うのが私の見解である。


一方で当時の先生方からはとても気にかけてもらった覚えがある。明らかに手のかかる子供筆頭格だったはずなのだがあんまり知らない先生にもよく話しかけられていたような気がする。先述の鉄棒の練習にもよく付き合ってもらったものである。


それでも少なくとも友人はいて多少の違和感こそあれども普通に生活していた私の仮定に変化が訪れる。引っ越しである。


父親の職場が変わるわけではなかったのだが、団地から一戸建てに引っ越すにあたり市が変わることになった。別にこれは親が悪いわけではない。しかし、同じ県内であったが小学生前の友人というのはその後なかなか会う機会もなく、記憶では一度だけ同じように別の市に引っ越した同級生に会ったぐらいだ。


この引っ越しの結果、私の交友関係は一度完全なリセットを図らざるを得なくなる。まぁ残っていたらよい結果になっていたのかといわれるとたぶん返す言葉はないだろう。しかし、ただでさえ交友関係を作るのが苦手な私にとって一つ目の大きな転換点になったのは事実だろう。


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