第9話ありえない交遊関係
初日からとんでもない目に遭ったと、眉間の皺を解しながら思うエリザベス。
しかし、寄宿学校にいた時に受けた嫌がらせや罵詈雑言に比べたら、アリスの行動のすべては可愛いものであった。
小娘の一人くらい、あしらうことなんて朝飯前なのである。
けれど、面倒なことに変わりはない。
ユーイン・エインスワースは、性格はどうであれ、見目麗しい男だった。
この先も、アリスのような女性に突撃されたら困ってしまう。
それに、正式に決まった婚約を勝手に解消しようとしていたとは、エリザベス・オブライエンとはどんな女なのかと、信じがたい気分になる。
この先も、問題が起きなければいいと思う。
だが、まだまだ目に見えないトラブルがあちらこちら、地雷のように埋まっていて、行動を起こせば爆発してしまうのではないかと、危惧していた。
半年間、なるべく大人しく過ごそう。
エリザベスは決心する。
王都にいる間は、シルヴェスターの
身代わり生活期間は、以上の二点を達成することを目標に、目立たないように暮らそうと思っていた。
◇◇◇
午後からはエリザベスの私室に付き添いをしていた侍女を呼び、公爵令嬢エリザベス・オブライエンの交友関係の確認をする。
今日みたいに、思いがけないタイミングで知り合いと会うのは心臓に悪い。
忘れっぽいと言ってしらばっくれるのにも限界がある。
誰に会っても大丈夫なよう、侍女にすべての知り合いを聞きだした。
「バークリー男爵家子息のブルーノ様、ブレイク家の伯爵カール様、ブラッドロー伯爵家子息クリス様、アップルトン社のカーティス取締役……」
次々と関係のあった男の名が読み上げられ、エリザベスの表情は険しくなっていく。
驚くべきことに、それらの人物達とは密な付き合いをしており、朝帰りをするような関係であったと告げられた。
「いったい、エリザベス・オブライエンの貞操観念はどうなっていますの?」
「……それは」
「保護者は、何をやっていたのか」
「エリザベスお嬢様のお父上――公爵様は外交官でご多忙、こちらへは、一年に一度か二度、帰られる程度です。兄君であるシルヴェスター様も、お忙しく、お帰りは毎日深夜。教育係などが夜遊びなどを嗜めていましたが、まったく聞かずに、お出かけになってしまって」
「そう。最低最悪なご令嬢ですわね」
つまり、エリザベスの奔放な振る舞いは仕方がなかったという話。
家族の愛に飢えて、外に探しにいったのだろうと、適当に理由づける。
「エリザベスお嬢様は、貴族社会は息苦しい、自由に暮らしたいと口にしておりました。なので、本当に出て行ってしまうとは、ただただ驚いていまして――」
「……」
貴族社会は息苦しく、自由がない。
その点に関しては、エリザベスも心の中で同意してしまう。
実家で暮らしている時は比較的好き勝手な毎日であったが、叔母セリーヌの元で生活をしている時は、貴族のしきたりや貴婦人らしい振る舞いを学ぶ中でうんざりすることは一度や二度ではなかった。
拘束具のような
自由のない、貴族女性の人生――
好きなふるまいは許されず、いったい、なんのために生きているのだろうかと、疑問に思っていた。
だからと言って、エリザベスはその
自らは、家族の支えがあって在るものだとわかっているからだった。
「公爵令嬢のエリザベスは、自身が籠の小鳥だということに気付いていませんのね」
侍女は曖昧な表情を浮かべるばかりで、返事をすることはなかった。
「わたくしも、籠の中の小鳥。けれど、空を飛びたいとは、思いませんわ」
「エリザベスお嬢様は、小鳥というよりは、猛禽……」
「え?」
「いいえ、なんでもございません」
ぶんぶんと激しく首を横に振り、自らの発言を取り消そうとする侍女。
幸い、身代わりのエリザベスは猛禽のようだという発言は聞こえていなかった。
◇◇◇
夕方、狭く深いエリザベスの交遊関係を確認したあと、婚約者ユーインへ手紙を書こうと筆を執る。
侯爵令嬢アリスの騒ぎに巻きこまれ、恨みがましい気分でいたが、ユーインには関係のない話なので、昨晩の謝罪とお礼を書くだけに
エリザベスは、本物のエリザベスの筆跡を真似して手紙を書く用意周到さを見せる。
気まぐれに書いた手紙を送らずに、引き出しの中にいくつも溜め込んでいたので、どういう文字を書くのか確認することができたのだ。
奔放な娘であったが、丁寧な文字と綺麗な文章を書くことは、エリザベスも驚いていた。
丁寧に文字を書き綴り、封をする。
侍女に頼んで買いに行かせていた絹のハンカチを同封し、郵便局へ持って行くように頼んだ。
ひと仕事を終え、背伸びをするエリザベス。
初日から大変だったと、振り返る。
これも実家の牧場のため。
そう思えば、我慢もできる。
このようにして、エリザベスの公爵家での無事一日は終了となった。
◇◇◇
二日目。
侍女に起こされる前に目を覚ます。
枕元にある角灯にマッチで火を点し、読みかけだった本を開いた。
それは昨日、シルヴェスターの書斎から持ってきた一冊で、最新の経済学について記された物である。
こういった本は需要が少ないことから刷り数も僅かで、高価だった。
エリザベスの実家にあった経済学の本は
目新しい内容ではなかったが、経営学、社会科学などに絡めた分析が面白いと思い、時間も忘れて読み進めていた。
外から薄明りが差し込む頃、侍女がカーテンを開けにやってくる。
扉を叩き、一度エリザベスの名を呼んでから入ってきた。
「――おはよう」
「あ、おはようございます、エリザベスお嬢様」
カーテンを広げ、お茶を用意すると言って退出する侍女。
本を閉じ、角灯の火を消す。
今日はどのような装いをするか、考えなければならない。
エリザベスは大量の衣装を所有していた。
思わず溜息がでそうなほどに美しいドレスが、衣装部屋いっぱいに納められているのである。
けれど、胸辺りの寸法が合わず、毎回詰め物をしなければならないのは、エリザベスにとって気に食わない点。
――美しく着飾ることは武装である。社交場は、ある意味戦場だ。
それは、叔母セリーヌの発言。
婚約パーティや、アリスとの邂逅を記憶から蘇らせながら、その通りだと思う。
他人に隙を見せるわけにはいかない。
エリザベスはそう考え、今日もとびきりのドレスを用意するよう、侍女に命令をした。
外は晴天。
食卓には、焼きたてのパンが運ばれているところであった。
藍色のドレスを纏い、食卓に着くエリザベスは、食堂へとやってきたシルヴェスターに挑むかのように、挨拶をする。
「おはようございます、
「おはよう、リズ。今日も綺麗だね」
昨日はなかった一言に、エリザベスは眉間に皺を寄せる。
戦闘装束を褒めるのは、相手に余裕がある証。
悔しくなって、奥歯を噛みしめる。
「昨日は楽しく過ごしたかい?」
「おかげさまで」
渋面を浮かべたまま堪えるエリザベスの様子をおかしく思ったのか、シルヴェスターは笑みを深める。
いちいち気にしていたら負けだと思い、先に食前の祈りを始めた。
神へ感謝の言葉を捧げるうちに、荒れていた心も安らかになる。
瞼を開けば、同じように食前の祈りをするシルヴェスターの姿を見ることになった。
シルヴェスター・オブライエン。
エリザベスの十歳年上で、二十八歳。
易々と勝てる相手ではないと認識する。そもそも、人生経験に差があり過ぎた。
彼にも、なるべく深くかかわらないよう、心の中で決心を固める。
じっと眺めていれば、祈りを終えて瞼を開いたシルヴェスターと目が合う。
「リズ、何かな?」
「いいえ、なんでも」
そう言って、ふわふわに炒られた卵をフォークで掬い、口にする。
本日の朝食も、絶品であった。
「今日も遅くなる」
「存じていてよ」
「一緒に夕食でも、と思うんだけどね」
「どうぞ、お気になさらずに。お仕事に励んでくださいな」
朝から深夜まで働かなければならない生活は、いつか体に支障をきたすだろうと考えるが、幸い、シルヴェスターは本当の兄ではなく、他人であった。
どれだけ働こうが、心配にもならない。
「ああ、一つだけ、お願いがありますの」
エリザベスから、シルヴェスターへの願い。
それは――
「わたくしに、家族のキスはなさらないでくださる?」
その発言に、シルヴェスターはにこりと微笑み返す。
答えはエリザベスの望むものであった。
「わかった。家族のキスはしない。約束しよう、
茶化さずに真面目な返事をしたことに対して僅かに驚きつつも、きちんと誓ってくれたことに満足するエリザベスであった。
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