第6話婚約者、ユーイン・エインスワース
婚約パーティ開始二時間前に、エリザベスの婚約者ユーイン・エインスワースが到着する。
身代わりのことは外には漏らさないというのがシルヴェスターの決定であった。
一応親戚であるが、ユーインにも伏せておく。
いずれ婚約は解消されるから、何も心配は要らないとエリザベスに言っていた。
初めて顔を合わせるエリザベスとユーイン。
間にシルヴェスターが入る。
向かい合って座る者達の雰囲気は、いいものではない。
張り詰めた空気の中、シルヴェスターは笑顔を浮かべながら、妹の紹介をする。
「彼女が私の妹、エリザベス」
「やっとこの放蕩娘を大人しくすることができたのですね」
ユーインは呆れと嫌悪感が含まれた、侮蔑の視線を向けていた。
それを見てエリザベスはホッとする。
もしも、彼が公爵令嬢に熱を上げているのならば、騙すことに対して多少の罪悪感を覚えることになる。ところが、目の前の人物は明らかに悪評知れ渡るエリザベスに良い感情を抱いているようには見えなかった。
「エリザベス、彼がユーイン。君の未来の夫だ」
「どうも、はじめまして」
エリザベスの返答にユーインは目を細め、何かを探るかのような視線を向けている。
ユーイン・エインスワース。エリザベスの四つ年上の二十二歳。
すらりとした長身に、きちんと整えられたアッシュブラウンの髪、眼鏡の奥にある切れ長の涼しい目元に、上品な目鼻立ち。
シルヴェスターのような華やかさはないものの、十分に整った容姿をしていた。
婚約を結んでいた二人が初対面であったのは理由がある。
それは数回あったお見合いをかねた食事会を、エリザベスがすべてすっぽかしたからだった。
当然ながら、約束を破られた側であるユーインは怒りと我慢を重ねることになる。
城に仕える文官である彼は当然ながら毎日多忙を極めていた。
食事会をするとシルヴェスターに誘われたので、婚約者のためにとスケジュールを調整してなんとか開けた時間であったが、一方的にすっぽかされること四回。
エリザベスに良い感情を抱いているわけがなかったのだ。
「シルヴェスター、どのようにして、彼女を説得されたのでしょう?」
「エリザベスも心を入れ替えたんだ。ねえ、リズ?」
にっこりと、妙に迫力のある笑顔で訊ねるシルヴェスター。
エリザベスは渋々、といった感じで頷いた。
「どうせ今晩も、来ないかと思っていました。何か、大きな騒ぎを起こして、公爵家の名誉を地に落とすようなことをするのかと」
ユーインの読みは当たっていた。
シルヴェスターは感情を表にだすことなく、笑みを深めていた。
「まあ、邪推は杞憂に終わったわけですが、私個人としては、釈然としないものもあります」
「そうだろうね。それは、こちらからも謝罪するよ」
再び、シルヴェスターの笑顔が向けられる。
無言での、「ここでユーインに謝ってくれ」という圧力を受けていた。
エリザベスは扇をパラリと広げ、口元を隠す。
そして、シルヴェスターに問いかけた。
「――なぜ、わたくしが謝罪を?」
「なぜって……」
エリザベスの言った言葉を繰り返し、返答に困るシルヴェスター。
一方、ユーインは眉間の皺を深めていた。
「さすが、社交界一の性悪娘というわけですね」
これ以上、話をするつもりはないとばかりに、ユーインは立ち上がる。
無言で部屋から出て行った。
二人きりとなり、シルヴェスターは盛大な溜息を吐く。そして、一拍間を置いて、席を移動する。エリザベスの斜め前に腰を下ろした。
「エリザベス嬢、君は、身代わりをするつもりはあるのか?」
質問に頷くエリザベス。
あのような態度を取ったわけを説明する。
「あの場面で、本当のエリザベスならば、素直に謝らないと思いましたの」
「ああ、そういうわけか。なるほど、その通りだ」
冷静になって考えてみれば、あの時のエリザベスの返答は完璧だったと認めるシルヴェスター。
「でも、あの場では謝ってほしかった」
「でしたら、のちほどあの御方にお手紙を書きますわ。今晩のお詫びと、お礼を」
「ああ、そうしてくれ」
妹のことでも頭を悩ませていたシルヴェスターは、さらなる問題を抱えてしまったと独りごちる。
その呟きを、エリザベスは他人事のように聞いていた。
二時間後、招待客が公爵家の集い、婚約パーティは始まる。
主役の二人は最後にでてくるようになっていた。
広場に繋がる扉の前で、エリザベスとユーインが並んで待機する。
目も合わせないまま、ユーインは隣に立つエリザベスに話しかけた。
「何故、今日参加するつもりになったのですか?」
「お兄様に、頼まれたもので」
嘘は言っていない。エリザベスはしれっとした表情で答える。
「今までも、シルヴェスターからのお願いはあったはずでしょう?」
「直接、熱心に頼まれたものですから、仕方がなく」
これも、本当のことであった。
ユーインは「良いご身分ですね」と、正直な感想を述べる。
「私も、この結婚はシルヴェスターに熱心に頼まれたので、受けたまでのこと。あなた個人には、まったく、欠片も、興味がありません」
「奇遇ね。わたくしも」
図らずも、本音をぶつけあう会話となった。
ピリピリとした雰囲気に、周囲の使用人の胃にダメージが降りかかる。
当人達は知る由もなかったが。
「エリザベス嬢――リズと呼んだ方が?」
「いいえ、エリザベスで結構」
「わかりました。……エリザベス嬢、手を、私の腕に」
「ええ」
今から、幸せな婚約同士を演じなければならない。
エリザベスは報酬のため、ユーインは公爵家と実家である伯爵家の名誉のため、戦いを挑むように扉を開いて先を進む。
招待客より盛大な拍手で出迎えられ、完璧な笑顔で応える二人であった。
◇◇◇
婚約パーティは滞りなく終了した。
ユーインのように、エリザベスを嫌う人は誰もおらず、終始心からの祝福を受けることになった。
招待客を見送り、ユーインと別れてから、エリザベスはシルヴェスターの私室に呼び出される。
「お疲れさま、エリザベス嬢」
「ええ、本当に疲れましたわ」
そう口ではいいながらも、エリザベスは疲労感を見せていない。
慣れない夜会に、本当はくたくたであったが、隙を見せるわけにはいかないと、今も背筋をピンと伸ばして座っている。
「なんとか、今晩を乗り切れて、ホッとしているよ。改めてお礼をいわせていただこう。本当に、ありがとう」
あとは本物のエリザベスが見つかるまでの半年間、好きに過ごしていいと言われた。
「ユーイン・エインスワースとの婚約は、いつ解消なさるおつもりで?」
「婚約パーティをしたばかりだから、それも半年後になるかな?」
「……そう」
婚約パーティの最後に、エリザベスはある宣言を受ける。
月に一度、食事をしてもらう、と。
婚約期間の一年間、一度も会わないとなると変な噂が立つ。公爵家のために、従うようにと言われていたのだ。
婚約解消は半年後。そうなれば、エリザベスはユーインとの食事を最低でも六回、行わなければならなくなる。
憂鬱だとばかりに、溜息を吐いた。
シルヴェスターはエリザベスにユーインの印象を訪ねた。
彼女は「死ぬほど気が合わない」と一言で答える。
「妹の結婚相手はユーインしかいないと思っていたのだけれど」
「ええ、自由奔放なご令嬢には、あの人みたいな堅苦しいほど真面目な人がお似合でしょう」
エリザベスは吐き捨てるように、結婚をするならば、ユーインよりもシルヴェスターのほうがいいと話す。
「それはそれは、光栄です、お姫様」
「軽口を叩いていないで、あなたも早く結婚したほうがよろしくなくって?」
「そうですね。私も、父に責められていることでした」
思わぬ反撃を受けたシルヴェスターであったが、笑顔で受け流していた。
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