僕とこの街 ―ある日の一人酒―
瀬田まみむめも
*●*●○
僕はこの街で生まれ育ち、二十と数年が経っている。
この街にある駅は、急行電車が停まる駅だった。
複数の路線が接続することはないが、バスが多方面に出ていて、便利だからゆえなのだろう。
駅の改札を出ると、人々は散り散りになっていく。
僕の家は歩いて十数分の場所にあり、バスを使うまでもない。
北口から外に出ると、もう夜は深くなっていた。
今日は金曜日で、お腹も空いた。
せっかくだからどこかの居酒屋に寄ろう。そう思った。
そう言えば、気になっていた店があることを思い出す。
バスターミナルを抜けて信号を一つ渡った場所。
老朽化して震災が起きた時が気になる雑居ビル。
一階はチェーンのラーメン屋や定食屋、それと花屋と写真屋が並んでいる。
てっきり、地上五階建てだと思ったら、地下も一フロアあったのだ。
花屋の横に地下へと降りる階段があり、その気になる居酒屋の看板が光っていた。
やってる。
僕は階段を恐る恐る降りてみた。
地下は一本道で全く広くなかった。
マッサージ屋、床屋があったが、すでに閉店時刻のようで暗かった。
その居酒屋だけがこの時間で営業している唯一の店だった。
隔てるのはドアノブ式の扉一枚。
中の様子は不明で、どんな店かもよくわからない。
目で見てわからねば、鼻でもわからない。無臭の空間。
僕は何度か店の前を往復して一度はそのまま帰ろうと思った。
階段にも一歩、足をかけた。
しかし、
「行動した後悔より、行動しなかった後悔」
という言葉を思い出し、店の前に戻る。
ドアノブに手をかけて店の中に入る。
「こんばんはー」
僕は恐る恐る挨拶をする。
もうこのときには調べた閉店時間ギリギリだったのだ。
店はとてもきれいだった。
カウンター席があり五人ほどかけられる、テーブル席も四人がけにして六席か。
全てが木製で、ビルの外見とは違い新しい店であると僕は確信した。
「いらっしゃいませ。大丈夫ですよ」
よかった。
カウンターから出てきたのは、若い女性だった。
と言っても、僕と同じくらいか……もっとも、僕には見る目がないため、アテにはならないが。
それと、カウンターには同じく若い男性が一人いた。
この店は本当に若かった。
三十年も生きていない僕にもわかるのだから、そうなのだろう。
僕はカウンター席を選び、先客だったおじさんの隣を開けて、その横に座った。
メニューを開くと、魚介がメインだった。
僕は魚のフライと唐揚げ、日本酒を注文した。
すぐに日本酒は提供され、お通しは切らしていると言われた。
構わないとの旨を伝えたら、マグロの刺し身をサービスしてくれた。
その刺し身は、今まで食べた刺し身の中で飛び切りの旨さであった。
赤身の短冊切り。赤くてみずみずしくて、正直、ここまでとは思っていなかった。
提供された料理もどれも絶品で、そういう意味でとんでもない店に来てしまったなとさえ感じさせた。
日本酒をちびちびと飲んでいると、
「すみません」
と、隣のおじさんに声をかけられた。
「あ、はい」
この手の声かけには、いい記憶がなく僕は警戒の色を隠さずに返事をする。
「日本酒はよく飲まれるんですか?」
「ええ、ウイスキーとかも飲みますね。逆にビールはちょっと……」
「それはいいですね。若い人は日本酒はあまり飲まないから。ビールとかばっかりだし」
「そうなんですね……日本酒好きなんで、普通の若い人の好みはわかってなくて」
正直に言えば、このまま壺でも売られるのではないかと思ったが、まったくそんな会話ではなかった。
日本酒を好き好んで飲んでいるのが珍しかったとのことだ。
その後も、会話をしながらチラチラおじさんの卓を見れば、メニューに載っていない料理がそこにあった。
肉を細かくした物と大根が茶色く煮られた料理。
「それって、牛すじ大根ですか?」
人の卓の料理を聞くには褒められたものではないが、酒で酔い、友好的な会話をしているのだから許されるだろうという気持ちはあった。
「そうですね。一番のおすすめです」
とおじさんが答えた。
魚介の店で? とも思ったが、僕も注文する。
すると、おじさんの逆の隣の卓にでかい器が置いてあり、そこにその牛すじ大根と品書きがあったのだ。
メニューになくてそこにあるんじゃ気が付かまい。
その器から一人分を移し、温めたものが提供された。
大根は箸がスッと通り、牛すじには十分な味が染み込んでいて、これは美味かった。
「美味しい!」
声を漏らすと、カウンターにいたお兄さんが「ありがとうございます」とお礼を言った。
「あ、名刺を持ってれば渡して覚えてもらうといいですよ」
と、おじさんが続いた。
僕は是非またこの店を利用したかったし、名前を覚えてもらえればと思ったので、快くお兄さんに名刺を渡した。
全ての料理を平らげ、酒も飲んだ。
会計をしようとしたら、おじさんが先に席を立ったので、僕はもう少しだけ待つことにした。
聞き耳を立てていたら、僕の四倍は食べたり飲んだりしていたので驚愕が隠せなかったが、金曜日だし、おじさんだしということで一人で納得することにした。
しばらくして、おじさんが店を出てから会計を済まして、お店の名刺を受け取った。
「おいしかったです。また、来ます」
絶対来る店にはこの言葉を残すことにしている。
地下にある隠れた名店が、この街にもあったのか。
僕は心に思いながら店を後にした。
地上に出る階段を登りながら「おいしかったなぁ」と余韻に浸りながら、
「また来よう」
この気持ちが明日を生きる糧となる。
今日のこの日、この出会いが、僕の人生の一部になっていくのだ。
僕とこの街 ―ある日の一人酒― 瀬田まみむめも @seta_mmmmm
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