ジュウェリビリー作戦1
「大丈夫か、ウェリオン?」
悪夢から目覚めたウェリオンを最初に出迎えたのは赤毛のよく焼けた肌をした男だった。品がなく粗暴そうな風貌はしかしどういうわけか親しみを感じさせる。ウェリオンはいささか偏見に満ちた感想を胸で呟きつつ、寝ぼけ眼で頷いた。
「大丈夫だ。」
「それならいいんだがな。なんだかうなされてたからよ。起こしちまった。」
「いや、ありがとう。クラウジック。」
名を呼ばれた男は気さくに、いいってことよ、と口にした。
ジャッカス=クラウジック。それがこの男の名前だ。ウェリオンと同じ士官学校、リーレギオン士官学校の生徒だった男で、クラスメイトでもあった男だ。
リーレギオン士官学校はガリアンデュア東部に位置するリーレギオン市に建てられたものである。首都ガリスパレスの士官学校とは対になる存在ではあるが、その質はガリスパレスに一歩譲る。だが、開戦前リーレギオンの生徒数はガリスパレスのそれを上回っていた。理由としてガリスパレスと違いリーレギオンは比較的庶民の、中流階級の子弟でも入れるほどのレベルと準備金だったこと、リーレギオンが前大戦で戦場となった際、士官候補生たちが大勢の死傷者を出しながらも街の防衛をなしとげた。その英雄的行動に刺激された親たちはこぞって子どもを未来の英雄として育てようと決めたのである。その頃にはすでに第一次大戦の恐怖は薄れており、むしろ近い将来に起こるであろうドゥーマールとの戦いに向けて愛国心の高まりを見せていたのである。
ウェリオン=ルーファスもそんな哀れな子羊の一人であった。父親の身勝手な決定で彼は齢16で士官学校に送られるハメになったのである。いや、世間の責任にも言及せねばならないだろう。今や(といっても一年以上前だが)士官学校を出なければ一人前ではない、それどころか国民に非ずとも言われていたのだ。
クラウジックはリーレギオンで成績の悪かった生徒の一人だ。不出来を自覚するウェリオンよりも下なのだから相当なものだが、一方で戦闘技術において、同期に彼に勝るものはいなかった。
「よく言うよ、クラウジック。本当は別の理由だろう。」
別の、呆れ果てた声がウェリオンの聴覚に届いた。そちらへ顔を向けると、真面目そうな、黒髪の同年代の少年が同じくイスに腰掛けていた。
「どうせ話に飽きたんだろ?」
ウェリオンも段々寝ぼけた意識から思い出してきた。確かこの少年と、クラウジックとの三人で話をしていたのだ。だが段々眠気が襲ってきて、それから…。
「ルーファス。君も君だよ。いくら退屈だからって寝るなんて…。」
ウェリオンは困ったように苦笑する少年に向けて同じく苦笑して言った。
「すまん、すまん、ローベ。少し、疲れてたんだ。」
ローベはその問いに呆れたように肩をすくめた。
トリスタン=ローベはウェリオンと同じクラスだった士官候補生で、クラウジックとは同郷の幼馴染だった男だ。だが、二人とは比べ物にならないほど博識に富んだ成績の優秀な青年だ。彼もまた親によって士官学校に入れられた口だが、本人はそのことに関して特に文句はないようだ。あるとすれば、彼は将来政治家になりたいとのことであろうが、親孝行の彼がその願いを成就するのは難しいだろう。
頭脳明晰だったが、ローベはけして驕ることのない人物だった。人当たりのよく、面倒見の良い男で、当然人望があり、彼もその期待に答えた。難しい話をわかりやすく説明するのが上手く、人をまとめるのが上手でもある。その才覚は軍事面でも発揮し、特に戦略戦術の造詣の深さと指揮能力には定評があり、将来は良い指揮官になれるだろうとウェリオンは思っていた。
「悪いな、何の話だったか。」
「難しい話さ。」
「お前が言うにはそうなんだろうが。」
「違うよ。君たちにとってさ。」
呆気にとられるウェリオンをよそに、いたずらっぽくローベは笑った。真面目一辺倒ではなく、こういう「軽口」もすることができるのも、それが悪意に感じられないのも、ローベの長所と言えるかもしれなかった。
「冗談はこれぐらいにして、この作戦の話だよ。」
作戦!そうだった。ウェリオンは今、重要な作戦に向かう途中の船に乗っているのだ。寝ぼけていた頭が段々と覚醒し、様々なことを思い出してきた。だが、そのことを口にせずむしろ隠すようにべつのことを口にした。
「それで、答えは出たのか?」
「ダメだね、まったく。」
「そりゃあ、クラウジック相手になぁ…。」
「それもそうだけど、犬に話すだけでも気分は楽になるものだろ?それと同じさ。」
このようなローベの少し度の過ぎた毒はしかしほとんどクラウジックにしか吐かれることはない。それは幼馴染同士故の気のおけない関係を示すもので、短気なクラウジックもいつも舌打ちだけで済ませてしまうのである。ただ、昨今はストレスのせいかその度数が増えているようだが。
ふとウェリオンがあたりを見渡せば、彼らと同様に話を交わし合う集団が数個、散見された。どの集団も、笑顔からはほど遠く必死に、焦りあるいは悲観的な表情で、怒号や悲愴的な声で議論している。いずれも後ろ向きな態度に思える。
いや、よく見れば一つだけ例外を見出すことが出来る。金髪の少女が中心となったグループでは、彼女が周りを慰め、励まし、鼓舞し、その集団だけは和やかに、明るい雰囲気で談笑を交わしあっていた。やがて彼女は代表として場を締めると、皆を解散させ、部屋でゆっくり休むように命じる。彼らはそのことに異存はないようで、再会の別れを交わすとぞろぞろと部屋を出て行く。ただその中で例の少女だけが部屋に留まり、ウェリオン達の集団に近づいてきた。
「何の話をしていたの?」
美しい少女だった。その輝かしいきめ細やかな金色の髪に目を奪われがちだが、それは少女の魅力を引き出す一つのパーツに過ぎなかった。その顔立ちは端整で、健康的な白い肌をしている。鼻は形よく高く、唇は肌と同様に瑞々しさを帯びている。その口から漏れ出る声は明瞭さと鋭さと心地よさを兼ね備えていた。耳が長くピンと伸びているのは彼女がエルフの血筋を引くことの証左だ。そして特徴的なのはその瞳で、大型のルビーをはめ込んだような、綺麗な紅の瞳をしている。ただ、全体的な顔立ちは少女から大人の女性になる途上、と言った感じで、そのことが一部の完璧主義者には不満であろうと思われた。
ウェリオンは、この麗しい少女に話しかけられたことに対してなんら感慨を抱かなかった。それどころか、冷淡にこう言い放った。
「別になんでもねぇよ、フラン。あっち行けよ。」
彼女の返答は同世代の少女のように口で返すのではなく、清々しささえ感じさせる音を発生させるキレのよい平手打ちだった。これこそが、この少女のウェリオンへの対応策の一つであった。格別痛くはない。意識しているか、無意識にか、「いつも」この攻撃は威力がないのだった。あるいは痛みに慣れきってしまったのかもしれない。まったく昔からこいつはいつも暴力的だ、と。
昔、と言ってもそれはクラウジックやローベ達との付き合いより遥か過去からの出来事。十数年の年月だ。すなわち、つまりはウェリオン=ルーファスと、フランことフランシーヌ=ド=グルナーは幼馴染の関係にあたる。一方は普通の一般家庭の人間の息子、かたや一方は田舎とはいえ、名士の娘でエルフとのハーフだったが、親の代からの付き合いと、地元で同年齢が二人だけだったということもあり、彼らは自然と仲を築くことになったのである。
二人を知る一部の者はその仲を恋仲だと邪推する者もいるが、二人に言わせると「冗談じゃない」。ことウェリオンに至っては、フランがリーレギオンに入ると言うので、両親に同じように学校へと入らされたのであるから迷惑極まりないことだった。
彼にとっての救いと言えば、フランが自分の家柄や容姿や能力を鼻にかけて高圧的な態度で、ウェリオンを使用人のように扱う、などと言った振る舞いをしないことだった。それも当然のことで、フランにとってそのような振る舞いは下品な行いであったし、彼女はそもそも自分がお嬢様だということを自覚していないように見えた。彼女は花や宝石やお化粧よりも実や鉱石や武具を好む行動派の少女だった。
面倒見のよい、成績優秀な器量よしのこの少女は地元では無論、リーレギオンでも人望と羨望を集めた。昔から彼女を知るウェリオンには理解出来なかったが、彼女に言い寄ろうとする男子生徒が皆無だった理由について、ウェリオンを彼氏だと勘違いしていた故だなどという答えを彼が知ったとしたらそれこそ理解出来ないことだろう。知った時など冷笑を投げかけるに違いない。
最もこれらは関係の中の一事に過ぎず、二人は別に仲が悪いわけではなかった。それだけお互いのことを知りすぎた、気のおけない仲といったところだ。
「この作戦について討論していたんだよ。」
ローベがウェリオンの代わりに答えた。彼はフランを友人として見ているうちの一人である。
「それならそうと言いなさいよ。別に隠すことでもないでしょ。」
フランはそうウェリオンに文句を言った後、髪を軽く流して言った。
「皆考えることは同じなのね。手段は違うにしても。」
「君は何してたんだい?」
「分隊の皆とのお話。あんた達、そういったことはちゃんとしてる?」
ローベ以外の二人は横へ首を振ったフランは呆れたように、そして怒ったように息を吐き、言った。
「駄目よ。今回の作戦には皆との意思疎通が不可欠よ。ただでさえ訓練の期間が短かったのに…。そもそもこの作戦の全容も不明瞭なのよ。出来ることはやっておかないと。」
「グルナーの言うとおりだ。それにしても…そうか、あれから三週間程度しか経っていないのか…。」
ローベのため息に、ウェリオン達は同意の頷きをした。四人全員がそれぞれ過去に思いを馳せているようだった。三週間前の、この作戦の始まりの日へ。
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