おばあさま、私には視えるのです

 柏木家に仕えることになった汎用ロボットのOSM410、通称オサムは見えない物が視えているらしい。


「おばあさま」


 オサムはテレビの前でうつらうつらとうたた寝をしかけていた女性に声をかける。


「んん・・・何かしら、オサムさん」


 柏木家のおばあさまこと、柏木さやかは気だるそうに答える。

 そして好物のどら焼きを手にし、一口大を手にした後に、ひょい、と口に入れた。


「この方はどなたでしょうか」


 オサムはゆっくりと手を上げて窓際に手を差し伸べた。


「・・・何を言っているの?」


 怪訝な顔をするさやかの質問には答えず、オサムは構わず話し続ける。


「おばあさま、私がこの家にお仕えさせていただいてから、一度もお会いしていない男性が、おばあさまの側においでです。茶箪笥に何かあるようで、静かに指を指しておられます。いかがいたしますか?」


 さやかは何を言っているのかわからなかった。そして気味の悪さに食べかけていたどらやきも落としてしまった。それは当然、ただのロボットがいきなり誰もいない、私しかいないこの部屋にもう1人誰かいる、と話し始めたからだ。


「い、いかがいたしますかって、オ、オサムさん。怖いこと言うのはやめて頂戴」

「しかしおばあさま、その方は何かを伝えたがっているようです」

「そ、そのひとはどういう人?どんな・・・かんじなのかしら?」


 家族全員でこのロボットを"オサムさん"と呼んでいる。かなり古めかしい名前だが、かなり真面目そうな雰囲気を持つこのロボットにはピッタリの名前だった。


「はい。私が見る限りですが、おばあさまより丁度頭一つ高い身長です。全体がぼんやりしておりまして、分かりづらいのですが、少しだけ痩せ気味でしょうか。髪は黒く、その他の特徴は・・・」


 さやかは慌てて口を挟んだ。


「もういい、もういいわ、オサムさん。で、で、その彼は、その人は何をしているの?」


 さやかの顔は青い。自分には視えない何かをこのロボットは視ている。科学の粋を集めたこの機械が、対極にあるような非科学的な事を目の前で話しているのは恐怖でしかなかった。


「はい、何度も同じ事をされています。一度おばあさまを指差し、その後ご自身を指差し、そしてあの茶箪笥を指差しています」


 さやかはこのロボットが、気味の悪いこという、変な壊れ方をし始めている気がしてならなかった。現在では何年かに1回あるかないかだが、ロボットが挙動不審に陥ることはなくならない。


 12年前にあった自分は神の使いだと言いながらある一家を惨殺した事件は、当時大きく報道され、家庭用ロボットには人並み以上の力をつけない制限が義務化される事になった。

 その心配がさやかの頭をよぎる。


「オサムさん、貴方が何を言っているのか、私にはわからないわ。そして見えない物が視える、なんて・・・気を悪くしないでね・・・こ、故障しているんじゃないかしら」


 オサムはしばらく動かずに静止し、しばらくして話し始めた。


「おばあさまの仰る通りです。私が視えるこの"彼"は実体をもたず、熱も音も感知しません。ただの映像と言うべきであることが適切なのはわかっているのです・・・しかしおばあさま、私は"視えている"のです」


 そういいつつ、またそのいる、という方向を凝視して静止するオサム。


「やはり、自己故障診断を221回行いましたが、壊れていない、と出ています」


 さやかはその心にある思いを堪え、その言葉を無視して話し始める。


「そんな事はないわ、あ、貴方は絶対壊れている。メーカーに調べてもらいます。わかったかしら?」


 オサムはその言葉に従った。


「わかりました」


 ◇◇◇

 三ヶ月後、オサムは戻ってきた。

 その間に柏木家に仕えていた臨時のロボットとの引き継ぎを終えると、オサムはさやかの元に歩いて行った。


「おばあさま、大変ご迷惑をおかけしました。陽電子頭脳に異常は認められず、視覚カメラとセンサーの不具合という事で全てパーツ交換してまいりました」


 そんな言葉にさやかは安堵する。


「そう、それならよかったわ。またよろしくね、オサムさん」


 オサムは恭しくお辞儀した。


「かしこまりました。また、よろしくお願いいたします、おばあさま」


 オサムは暫くはさやかの身の回りの面倒を淡々とこなしていた。しかし2週間しない間に、オサムにまた変化が生じた。


「おばあさま」

「なんです、オサムさん」

「・・・また、あの方が」


 さやかはハッとした。

 正直、数ヶ月であの時の出来事など忘れる事はできない。震える手を抑え、ゆっくりと手にしていたお茶をテーブルに置き、オサムの言葉を繋げた。


「・・・あの方とは、前の、前に話した男の方ですか?」


 オサムはある一点を見続けたまま、答えた。


「申し訳ございません。私は原則主人のお顔を見てお話しすべきなんですが」


 ウイーンと機械音が聞こえる。

 ほぼ見た目が人間とかわらない外見になってから気にした事のなかった、違和感のある機械音。


「・・・もう少しであの方の声が聞こえそうなのです」

「な、なんて言ってるのかしら」


 オサムがゆっくりと話し始めた。


「さっちゃ・・・たんす・・・の・・にある・・・のな・・・すみません、後はわかりません」


 またさやかは恐怖を覚えた。このロボットはなにかが視えるだけではなく、修理して帰ってきたらさらに聴こえるという。そしてまた同じように茶箪笥の事を言う。


 そして"さっちゃん"と。


 そんな呼び方をしたのはあの人だけ。私の夫。やっぱり。

 そして、まだ若い時に私を呼んだ呼び方。


「その方は・・・こんな人かしら」


 そう言いながらさやかは携帯端末を取り出し、写真を呼び出した。

 何年か前の旅行で撮った写真。

 ぶっきらぼうに口を結んでいるが、目が少しだけわらっている、あの人なりの撮られ方。オサムはその写真を凝視して、数秒、動きが止まる。

 そしてオサムは話し始める。


「恐らくは・・・ただ、私に見える映像はぼやけており、断定に至る情報とはなりません。それとこの方と、今そこにいる方は、少しお写真よりもお若いように見えます」


 若い・・・。

 子供達が成長するにつれ、私の名前を呼ぶことは少なくなっていった。

 そこにいる人は、そんな時の主人なのか。そう思いながら、さやかは恐る恐るではあるが、茶箪笥に近づいていった。

 この茶箪笥はアンティークと呼ばれる部類で、製造された時代は特定できないが、明治前後に作られたものだと言われている。結婚してしばらくした後に、あの人がいきなり買ってきた品物だった。


『ちょっと、なんでいきなりこんなものを買うのよ!』

『いいじゃないか、すごく気に入ってさ。小物を入れる家具が欲しいって、さっちゃん言ってたじゃん?だから、ね?』

『私になーんの相談もなく買わないでよ!私だってアンティークでも選びたかった!!』


 結局1週間ほど、ケンカしてたっけ?

 なんだかんだいって、私も使ってたけど、子供も生まれて、徐々に部屋の隅を追いやられていった。でも、処分するにはなんだかしのびなくて。今もたまに使うけど、何が入ってたかしら。


 意識せず、微笑む。

 茶箪笥は三段で構成されている。

 上の段は引き戸。中の段は、小さな引き出しと、小物を置ける棚。そして下の段は大きな引き出し。

 オーソドックスな、でもとても年季が入っていて、温かみのあるものだ。

 結局私も初めは文句は言ったが、実は1番気に入ってたのは、自分かもしれない。

 そう思いながら、ひとつひとつ、開けていった。


 初めて住んだアパートで使っていた洗濯機の保証書。

 失くしてたと思ってた爪切り。

 もう使うこともできないかなり古い型のスマートフォン。

 ひとつひとつの品物が、さやかの思い出をゆり起こす。


 そして一枚の写真が出てきた。


 アンティーク好きだったあの人が、画像の保存だけではダメだとか言い張って、2人で撮ったものを写真にしたものだ。


「こんなところにあったのね」


 ちょっとした連休を使って行った小旅行。

 色々回るはずだったのに、その時は大雨で結局ほとんど行けなくて、宿先の部屋で撮った2人の写真。


 裏を見れば、あの人の字で日付と、


『飛騨牛を食べたかった』


 と一言。


「こんな所にこんなもの書いて」


 そう言いながら、また微笑む。


「なになに?何見てるの、母さん」


 たまたま早く帰ってきた息子、隆一が近づいてきて、声をかけてきた。


「お父さんと撮った写真。若いでしょ」

「へー、ほんとだねえ」


 ほんの一時、いや、いつの間にか、オサムさんが取った行動よりも、懐かしさが勝ち、さやかはこんな思い出が出てきたことに感謝した。


 ◇◇◇

「おばあさま」


 あれからしばらくして、オサムはまたさやかに声をかけた。


「何かしら」

「また、ご主人が」

「あれを見つけて欲しいだけかと思ってたのに」


 あの後さやかは仏壇に飛騨牛のステーキを供えた。

 そして本当にその後パッタリと出なくなったため、なんで現金な人なんだ、と笑いながらあの写真を眺めたものだった。


「次は何かしら?」

「お迎えでございます」

「あら・・・そうなの。そうだったの」

「はい。残念です。おばあさま」

「・・・いいわ。隆一にも会ったし、ちょっとだけ面白かったわ」

「私もとても興味深い体験をさせて頂きました。視える、とはあのようなものなのですね」


 さやかは、うーん、と言いながら立ち上がった。


「私には視えないから、なんとも答えられないわ」


 既にロボットの役割は道具から家族へと認知されて久しく、夢の中でも盤石の地位を持っていた。



 彼女の今際の際の夢。

 そんな中にも不思議な形でロボットは存在し続けている。

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